しかし、時が流れるに従って元老のほとんどが死亡し、また軍隊も経験不足であるうえに頭脳が特に優秀な人々(=いわゆる学校秀才)が多くなったという事情があったほか、第一次世界大戦後の世界各地で軍縮の動きが活発になり、相対的に軍隊の価値が下がったことで、軍人の不満が次第に大きくなっていきました。
そんな折の昭和5(1930)年にロンドン海軍軍縮会議が行われ、我が国が各国と海軍の補助艦の数を制限する協定を結んだことが明らかになると、軍部が「海軍軍令部長の同意を得ないで、政府が勝手に軍縮条約を調印した行為は、憲法に定められた統帥権の干犯である」として政府を攻撃しましたが、この主張には無理がありました。
なぜなら、一国の軍備について決定を下すことは統治権の一部であり、統治権は天皇の名のもとに国務大臣(=内閣)が行うものだからです。従って、軍部による主張は統帥権の拡大解釈に過ぎず、統帥権干犯問題は社会的地位の低下に危機感を抱いた、軍人社会の反撃の一つでしかありませんでした。
ところが、時の野党であった立憲政友会が、「与党の攻撃材料になるのであれば何でもよい」とばかりに、統帥権干犯問題を政争の具として、軍部と一緒に政府を攻撃したことで、話が一気に拡大してしまったうえ、憲法の条文上では内閣が「存在しないことになっている」という事実も、さらに悪い影響を与えてしまったのです。
※下記の映像は3月20日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
なるほど!
経験者よりも、経験が乏しい頭でっかちな人間が仕切り始めると、問題が生じて来るものですよね。
現実はなかなか頭で考えている通りになるものでは無い事を忘れてしまうものなのでしょうか・・
それにしても、内閣問題は一番痛い所を突かれましたね。やはり肝心要となる部分がしっかりと定められていないといけませんね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
法の目をかいくぐるのはどこの世界も一緒ですが、それを政党がやるというのは…。