また、ソ連のコミンテルンも、それまでの暴力主義だけでなく、尾崎秀実(おざきほつみ)のようなスパイを日本政府の権力の中枢(ちゅうすう)にまで送り込むことにより、戦局がソ連に有利になるように、我が国を内部から支配しようと考えるにまで至ったのです。
これらの事情を鑑(かんが)みれば、治安維持法を単なる悪法と決めつけるだけで満足するのではなく、なぜそのような「悪法」が制定されなければならなかったのか、という「歴史の大きな流れ」を見極める必要があるのではないでしょうか。
ところで、戦後の思想界を中心に、「治安維持法によって戦前の一般民衆が不当に弾圧された」と強調されたことによって、現代の政府や警察などがマスコミなどの世論に対して過剰に気をつかい、その結果として、思想や宗教がからむ凶悪な事件に対する取り締まりが弱まっている傾向が見られます。
我が国のような法治国家において、組織的な暴力行為を容認する集団の存在は断じて許されません。治安維持法という「亡霊」におびえるあまり、逆に我が国が存亡の危機とならないようにするためにも、治安維持法に対する公平な認識を多くの国民が共有すべきではないでしょうか。
※下記の映像は3月20日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
確かにそうですよね。
共産と名前を聞いただけで拒否反応示してしまうのは愚かな判断だと思います。
共産主義的な考え方の中にも、これは取り入れても良さそうだと思える案件の一つや2つは有ると思います。要は、特に日本は他国で考えられた事を
上手く生活の中に取り入れて、日本流にアレンジし
活用させることに長けていると思いますので、
不適当なものは排除するとしても、その中で良かれと思うものを積極的に取り入れて、日本独自の
マイルドな法律を制定するべきだと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 本来、法律というのもは当事国の風土にあったものを制定すべきですね。
それを見誤り、外国の主義主張が絶対だと誤認すれば、将来まで禍根を残すことになります。