1917(大正6)年に起きたロシア革命によって帝政ロシアが倒れ、1922(大正11)年にソビエト社会主義共和国連邦(=ソ連、現在のロシア)が誕生しましたが、国境をへだてて巨大な共産主義国家が生まれたという衝撃は、当時の我が国にとって計り知れないものがありました。
なぜなら、ロシア革命によって、ニコライ二世などロマノフ王朝の王族がことごとく虐殺(ぎゃくさつ)されたのみならず、ソ連が世界の共産化をめざして組織したコミンテルンにおいて、1922年に「君主制の廃止」が目標とされたからです。
我が国にとって「君主制の廃止」とはすなわち「皇室=天皇の廃止」であり、絶対に許されるものではありません。また、ロシア革命の余波を受けて、1920(大正9)年にニコライエフスクにいた約七百数十名の日本人全員が、革命軍に殺害されるという尼港(にこう)事件が起きていたこともあり、共産主義が我が国に広がることを、当時の政府や国民が恐れたのは無理もないことでした。
だからこそ、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情(じょう)ヲ知リテ之(これ)ニ加入シタル者」を取り締(し)まることを対象にした、治安維持法が制定されたのです。
※下記の映像は3月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど。
日本が共産国主義を忌み嫌う一つの要因として
君主制の廃止がある訳ですか。
確かに伝統ある君主制を絶たれてしまっては
日本でありながら、日本で無くなる事と同じですものね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本が共産国主義を忌み嫌う一つの要因として
> 君主制の廃止がある訳ですか。
> 確かに伝統ある君主制を絶たれてしまっては
> 日本でありながら、日本で無くなる事と同じですものね。
まさしくそのとおりです。
当時の我が国の必死さが伝わってくるエピソードですね。
この共産主義が??です。
青田です。 黒田先生
青田です。
この共産主義が、全く、理解できません。
人類は、古代ギリシア時代から、民主政治→共和性→ 皇帝→王政→共和性と繰り返してきました。
それとは、全く、違う次元の理想社会の創ろうとして、共産主義を創りましたが、
格差を失くし、君主を殺し、全て、平等な社会と
言いながら、実際には
独裁者が必ず、現れます。
そして、不公平な格差が起こります。
結局は、世の中というのは
理論・理屈・理想だけだと、成り立たない気がします。
そう言えば、日本の過去の某民〇党政権も政権を取る前は、理想的な夢のような話ばかりしていました気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 結局、人間が思うような理想郷は作れるはずがない、ということなんですよね。
世界全体での実験が大失敗に終わっているのに、それでも「騙される」のは、やはり人間の性(さが)なのでしょうか…。