第3条でのいわゆる「神聖不可侵(しんせいふかしん)」を字面どおりに解釈して「天皇は憲法によって神の扱いを受けていた」と主張する人が多いですが、これはとんでもない誤解です。
そもそも「神聖」とは「尊くておかしがたいこと、清浄でけがれがないこと」であり、それに「不可侵」が加われば「尊厳や名誉を汚してはならない」という意味になります。つまり、天皇の尊厳や名誉を汚さないために「天皇に政治的責任を負わせない」というのが正しい意味なのです。これは、「国王は君臨すれども統治せず」とする立憲君主制の考え方そのものでもあります。
明治憲法において、天皇は政治的な権力は何もお持ちでなかったのですが、権力とは全く別の概念として、天皇が我が国の長い歴史における権威をお持ちであられた一方で、近代国家として歩むために絶対に必要だった憲法を制定した政府には、明治維新から20年余りしか経っていないということもあって、後ろ盾となる権威がどうしても不足していました。
そこで、歴史的な権威をお持ちの天皇が、憲法上における様々な手続きに署名されるという重い現実によって、憲法そのものや、憲法によって規定された議会や国務大臣(=内閣)、あるいは裁判所などの決定に「正当性」を加えようとしたのです。
これこそが「天皇によって国がまとまる」という我が国古来の理想的な政治体制であり、現代の日本国憲法における「象徴天皇」とも大きな差はありません。私たちは明治憲法における「天皇大権」によって定められたのは、あくまでも天皇の「権威」であって、決して「権力」ではないことを深く理解する必要があるのではないでしょうか。
※下記の映像は3月12日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
青田です。 黒田先生
青田です。
この明治憲法の『神聖ニシテ侵(おか)スベカラズ』を理解するには、元々、甲骨文字は、
神との交信で、使われた文字であって、
人との交信で使われた文字ではないことを
理解すると、その意味がわかります。
現代の日本人は、『この神聖にして侵すべからず。』を『天皇の神格化しているとかとか、あるいは、漢字を人との交信するため』にしか考えてないから、勘違いします。
日本だけが3300年前の殷の時代の
漢字(?)の意味をそのまま伝えています。
私も知りませんでしたが、20代から、96歳まで
甲骨文字から漢字の研究をした白川静先生には
驚嘆します。
余談ですが、
学生運動の学生が、この大学で、白川静先生の研究室に押し入った時、
白川静先生は、その武装した学生達に
上半身裸(当時は、冷房がなかったので)で
出てきて、
『馬鹿野郎。俺は、大事な甲骨文字から、漢字の研究をしているんだ。くだらないことで、邪魔するな。』と怒鳴ったそうです。
甲骨文字から、漢字を研究した人間は、おそらく、日本人だけでしょうね。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに甲骨文字の背景からすると、仰るとおりですね。
ぴーち こんばんは!
お話を伺っていて思ったのですが、
天皇は日本の父の様な存在なのかも知れないと感じました。
親は常に子供の成長を少し遠くから見守っている事が理想だと言いますが、
まさに天皇陛下は日本の行く末を温かく見守る存在であるかの様です。
実際、親が生きている時には例えそれぞれが独立して離れ離れに暮らすようになっても、時々は帰省してそれなりに絆を確かめ合うものですが、
もしもその親の存在が無くなった時には、子供たち同士の交流も疎遠になるケースが多いものだと思います
そういう意味でも、天皇の存在は
普段私達は無意識に感じていることかも知れませんが、いざとなると発揮される結束力の根源は
日本の父の存在があるからこそなのかも知れませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、素敵な例えですね。
以前に第1回公民授業でも紹介しましたが、天皇陛下のもとですべての国民、いや世界中の人々が平等ですから、大切な家族=父親というのも十分考えられると思います。
解釈論の怖さ
青田です。 黒田先生
青田です。
この明治憲法についての条文ですが、
現代の歴史教育の怖さを感じました。
条文の解釈論を変えるだけで、いくらでも
非民主的な憲法だったと洗脳できるからです。
ということは、
某市長の創る某条例も、解釈論(拡大解釈)だけで
暴走する可能性がありますね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰るとおり、拡大解釈が許されるのであれば、白を黒と言いくるめることも容易です。
だからこそ、某条例は絶対に許してはなりません。