歴史講座に関しては、プロの歌手である山口采希(やまぐちあやき)さんとのコラボも実現するなど、様々な分野で行ってまいりました。いずれもが自分の貴重な財産であるとともに、映像やネットを通じて、より多くの皆様に訴え続けてこられたのではないかと思っております。
また、大変光栄なこととして、いわゆる「歴史講座」以外でご依頼をいただく機会も年々拡大し、大阪・東京だけでなく、名古屋や四国などにおいても講演が実現できたことを嬉しく思っております。
ブログでの更新と並行して、今後も可能な限り全国各地での講演を精力的に行うことで、一人でも多くの皆様に「本当の歴史を伝える黒田節」を披露(ひろう)してまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。





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青田です。 黒田先生
青田です。
日本の歴史は、地方から、変革するものが多く、
そういう意味では、黒田先生が、全国に飛び廻るのは
地方の活性化に繋がりますね。
日本の変革期は
〇 鎌倉幕府は、神奈川県の鎌倉市という田舎の政権。
〇 室町幕府の創設者の足利尊氏は、栃木県の田舎者。
〇 戦国時代は、尾張という田舎から、変革者が現れた。
〇 幕末も、薩摩(鹿児島県)、長州(山口県)
土佐(高知県)、肥前(佐賀県)という田舎者達が変革した。
そういう意味では、今後、黒田先生が全国を飛び廻るのは、さしずめ、水戸黄門ですね。(笑)
私は、うっかり八兵衛として、お伴したいです。(笑)
青田さんへ
黒田裕樹 確かに、物事の始まりは地方からが多いですね。
うっかり八兵衛…。最近講座にお越しにならないですが…。
壮大な歴史
青田です。 黒田先生
青田です。
私は、歴史を考える時、人類の歴史から
考えるのですが、原生人類は、30種類いる
人類に近い人種の中で、環境に適応できないがゆえに生き残りました。
〇 弱いがゆえに木から、下りて、他の動物が落とした食べ物を拾い、それがゆえに、股関節が柔らかくなり、移動可能になりました。
〇 ネアンデルタール人のように、体が頑強でなかったがゆえに、
仲間と協力し、武器を使うようになりました。
元々、人類の祖先は、アフリカですが、そこから
脱アフリカで、世界に飛び散りましたが、
アフリカから、一番、遠いのは
日本、シベリア、アメリカ西海岸です。
そう考えると、
日本人の祖先は、どんな思いで、アフリカから
この極東の地に辿りついたのかを考えると
日本人の祖先は、凄かったと思います。
ちなみに、ヨーロッパは、アフリカから、近いので、たいした旅ではなかったと思います。(笑)
ぴーち こんばんは!
そうですか^^
今ではその10倍以上もの方たちが生の講座を
拝聴させて頂きたくて、足を運んでいらっしゃるんですものね!素晴らしい事だと思います。
そして、歌手デビュー?のお噂は・・?
分かりませんがw
今後も幅広い活躍も期待しています♪
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰るとおりですね。これもまた日本民族の誇るべき歴史かもしれません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
6年間も続けてみるものですよね。
歌手デビューですか(笑)?
それもまた面白いかもしれません(爆)。
しかし、今の歴史教育は、あまりにも「マイナス」や「影」の部分を強調し過ぎではないでしょうか。一方的な記述は必然的に物事の歪(ゆが)みをもたらすのみならず、歴史を通じての「物事の本質を自分の力で見抜く」という貴重な機会を永遠に奪われてしまいかねません。
だからこそ、私はすべての時代においてバランスの良い記述を常に心がけてきましたし、それが評価されての6年間であったのではないか、と自負しております。
通史の連載は2月でいったん終了となりましたが、今後は「本物の歴史講座」の更新を続けながら、別の機会で語らせていただいた講演の内容を更新したり、あるいは古代史を中心に推敲(すいこう)を重ねたりしてみたいとも考えております。
いずれにせよ、当講座は今後も毎日更新を重ねてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。





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ぴーち こんばんは!
仰るとおり、物事には光と影。
メリットもあればデメリットも有りますものね。
そういえば、昔のアメリカの映画やドラマを拝見していると勧善懲悪物が多かったですが、最近は
一人の人間の心の中には善にも悪にも傾倒する要素がある様な内容が増えて来ました。
所が逆にそれまで日本は、そういう思想が当たり前だったのに、最近は日本の方が、考え方に短絡的な所が見え始めていますよね。
これも教育の在り方が変化している為だとは思いますが、そういう影響がもしかしたら、全般的に影響始めているのでしょうかね・・・?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 映画に造詣の深いぴーちさんならではのご指摘ですね。
単純な思考だと、複雑な流れについていけないと言いますが、だからこそ普段の教育が重要なはずですよね。
例えば、紀元前660年に橿原宮(かしはらのみや)で即位された、神武天皇(じんむてんのう)以来の数々の伝承がある大和朝廷が、最近では「ヤマト王権」と、まるでその他大勢の政権の一つという扱(あつか)いを受けていることです。
また、隋(ずい)に対して毅然(きぜん)とした態度で対等外交を貫き、我が国独立のきっかけをつくった偉大な政治家の聖徳太子(しょうとくたいし)が、最近の研究では「いなかった」ことにされたばかりか、多くの教科書で本名の「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」あるいは「厩戸王(うまやどおう)」という表記がされています。
この他、鎌倉幕府の成立が、朝廷から政治の実権を委譲(いじょう)された重要な出来事である、征夷大将軍への就任の1192年ではないことになっていますし、さらには、江戸時代の農民が原則として生活に不自由していなかったにもかかわらず、なぜか「貧農史観」で「戦う農民たち」という一面的な教育が続けられています。
いったいなぜこのようになってしまったのでしょうか。





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ぴーち こんにちは!
歴史と言うのは、調べていくうちに
新たな
証拠やらが見つかって、これまでの常識が
見事に覆された。。などという事が有るとは思いますが、聖徳太子がご本名になってしまうと
何故か印象が悪くなってしまうのが、悲しいですね(T_T)
それと、いい国作ろう!で覚えた元号が
違っていた・・というのも、学生さんは苦労が増えますね。。(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 全く仰るとおりです。
それが本当に真実であればともかく、プロパガンダによるものであれば、先人に申し訳が立ちません。
大東亜戦争を振り返る1回目となる当講演ですが、レジュメが22ページという膨大な量となり、どうしても早口で展開しなければならなかったのですが(それでも2時間かかりました)、明治から大正、あるいは昭和初期にかけての我が国を取り巻く世界情勢について、多くの皆様にご理解いただけたことを嬉しく思っております。

次回(3月28日)は東京講演を行います。大阪同様、多数の皆様にお越しいただけることを心より願っております。
第47回黒田裕樹の歴史講座(ブログ開設6周年記念講演)
「大東亜戦争その1 ~予兆」
主催:日系文化振興会
後援:my日本
日時:平成27年3月28日(土) 午後3時より
場所:スター貸会議室 飯田橋 (会場は2階です)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:金1,000円
参加をご希望の方(特に関東在住の方々)は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。
なお、講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,000円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。





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また、いわゆるブログランキングも上昇し、一時期は「日本史ブログNo.1」の栄誉も賜(たまわ)りました。現在でも常にランキング上位を維持しており、何よりの励みとなっております。
記事の内容は、時代が下るにつれて詳細となり、6年間のうち約半分が明治時代以降の近現代史となりました。毎日の更新は大変でしたが、私にとってはこの上ない楽しみでもあり、またやりがいを常に感じながら、ついに完結の時を迎えたのです。
なお、第二次安倍内閣の誕生で通史を終了しているのは、現在の政権が「続いている」からです。一方、平成18(2006)年から約1年の短命で終わった第一次安倍政権に関しては、すでに「歴史」となっていますので、通史に加えました。





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ぴーち こんにちは!
黒田さんの努力がそのままその数字となって現れて居るのでしょうね!
ブログなどは匿名性が高いツールですので
本音は勿論の事、時には心ない言葉を容赦なく掛けられる場所でも有る中、こうして長年継続することが出来るのも、きっと黒田さんのお人柄の良さと
信念の賜物だと思います。
これからも楽しみにさせて貰いますので宜しくお願いいたします♪
何か寂しいです。
青田です。 黒田先生
青田です。
何か妙に寂しいです。
これからも、私を忘れないで下さいね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
仰るとおり、本人の信念があればこその継続だったと思っています。
通史は終わりますが、ブログはまだまだ続けますので、よろしくお願いいたします。
青田さんへ
黒田裕樹 逆の意味で忘れることがないと思いますよ(冗談です)。
皆様にこう語りかけてから、早いもので丸6年が経ちました。旧石器時代から始めた日本史の通史ですが、いわゆる「本物の歴史講座」をはさみながら毎日欠かさず更新を続け、今年2月7日の「安倍政権の復活 その2」でいったん完結としました。
ブログを始めた頃は、まさかこれほど長く続けることになろうとは夢にも思いませんでした。当初は授業案の延長線上の記載であったのが、詳細に調べれば調べるほど、現在の歴史教育の問題点が浮き彫(ぼ)りになりました。
「これはアカン。矛盾点をしっかりと押さえて、『本当の歴史』を皆様に紹介しなければならない」。
そう強く思い、自分なりに考えるところを活字化しながらの毎日が続きました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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クラチー 通史完結&6周年おめでとうございます!
…ぬぬ!?本当の歴史!?
こ、これからどういう展開に…!?
(@Д@;)
本当に御苦労様でした。
青田です。 黒田先生
青田です。
本当に長い間、楽しませて、頂き
勉強させて頂きました。
有難うございました。
正直、私の投稿に返答するのは、大変なエネルギーだったとお察し申し上げます。
(私の場合、ネットのストーカーのようでしたので
)(苦笑)
次回からの、更新を楽しみにしています。
ぴーち こんばんは!
私も最初はこれほどまでにブログを続けられるとは思いもしませんでしたので、黒田さんのお気持ちが分かります^^
これからもどうぞ鋭い切り口で歴史の真髄を探求して頂きたいと思います。
万里ママ ブログ6周年、おめでとうございます。
これからも引き続き、独自視点での
歴史分析と説明を楽しみにしています。
クラチーさんへ
黒田裕樹 有難うございますm(_ _)m
ブログの記載内容が、最初に比べると徐々に変化しているんですよね(笑)。
6年も経てばそれなりに上達しますから当たり前なんですが…。
青田さんへ
黒田裕樹 もうエネルギーが残っていませんので勘弁してください(爆)。
次はどこにコメントが来るのでしょうか…(笑)。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。ぴーちさんも長いあいだブログを続けておられますからね。
通史はいったん終了しますが、ブログそのものはもちろん今後も続けますので、よろしくお願いします。
万里ママさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
万里ママ様へのブログへも、これからも訪問させていただきます。
松本大臣をはじめとする数々の抵抗もむなしく、マッカーサー草案は、一院制を二院制にすることや、土地その他の天然資源の国有化を削除することなどの細かい変更があったのみで、ほぼ原案どおり閣議で決定され、帝国議会における審議が始まりましたが、この審議の内容は毎日のように英文に訳されてGHQの管理下に置かれ、GHQの了解なしにはどのような修正もできないという有様でした。
また、憲法改正における重要な審議である憲法改正特別小委員会は非公開とされ、すべてがGHQの思惑どおりに進められたうえで、若干の変更を加えたのみで衆議院と貴族院で相次いで可決され、昭和天皇のご裁可を経て、昭和21年11月3日に日本国憲法が公布されるとともに、翌昭和22(1947)年5月3日に施行(しこう)されました。この日は「憲法記念日」として国民の祝日となっています。
新しく制定された日本国憲法が、マッカーサー草案を下敷きとしていることは、GHQによって機密事項とされ、我が国が独立を回復する昭和27(1952)年まで一切公表されませんでした。国民が全くあずかり知らないところで新しい憲法が誕生していただけでなく、そこには本来許されるべき日本人による自由な憲法批判が全く認められない、という閉鎖性が秘められていたのです。
五箇条の御誓文を国政の指針と定めた後、我が国の古典などを参考にしたうえで、約8年近くの長い歳月をかけて完成させた明治憲法に対して、素人が一週間で書き上げた、しかも外国製の憲法を、国会での審議とは名ばかりで、GHQによって無理やり制定させられた日本国憲法。憲法に対する我が国での自由な議論は大いになされるべきですが、少なくとも両憲法の成立過程を十分に理解したうえで進めるべきではないでしょうか。
では、このような経緯でつくられた日本国憲法の内容について、私たちはどのように学校で教えられているのでしょうか。詳しくは次回の「公民授業」並びに講演で紹介させていただきたいと思います。
※下記の映像は3月26日までの掲載分をまとめたものです。
(※第2回公民授業の内容はこれで終了です。次回[3月27日]からは通常の更新[=通史完結にあたって]に戻ります))





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ぴーち こんばんは!
まずは6周年おめでとうございます!
黒田さんのブログに初めてお邪魔させて頂いてから4年目程になりますでしょうか?
これまで本当に沢山の学びを経験させて頂き
日々感謝致しておりますm(_ _)m
これからもまた宜しくお願いいたします。
本文の件ですが、
今回は日本国憲法についてのお話でしたが、
敗戦国になってしまった国の悔しさ、苦しさを
日本もこうして味わう羽目になってしまいましたが、敗戦国の酷さを及ばずながら、時々耳にしたりしますが、どの国も惨めな戦後を辿っているのだなとしみじみ思います。日本は国を分断されたりしなかっただけまだましだと言われる人も居ますが、
それでも、戦後70年を迎えた現在でもアメリカの
言う事に従わなければならない風潮には悔しさを覚える事が多いのがなんとも遺憾に思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お祝いのお言葉有難うございます。
ぴーちさんは拙ブログ誕生間もない時期からずっとお付き合いくださってますよ(^ω^)
仰るとおり、戦後から70年も経つのですから、一日も早い自主憲法の制定が望まれますよね。
完全にブラックジョーク
青田です。 黒田先生
青田です。
この無理やり押しつけられた日本国憲法は
完全にブラックジョークだと思うのは
日本国憲法21条で、『検閲の禁止』を規定していますが、GHQへの批判、東京裁判の検閲をGHQは、しまくっています。
さらに、日本国憲法39条で、『事後法・遡及処罰の禁止』を規定しているのに
東京裁判自体、戦犯を事後法で、裁いています。
日本国憲法は、東京裁判の最中に施行されました。
全く、意味がわかりません。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにブラックジョークですね。
だからこそ、憲法改正あるいは自主憲法制定が必要なのではないでしょうか。
そして昭和21年2月13日にマッカーサー草案を提示した際、ホイットニー民政局長は松本大臣に対して、「この改正案(=マッカーサー草案)を受けいれなければ天皇の地位を保証することができない」と通告しました。これはすなわち、昭和天皇の身柄と引き換えにマッカーサー草案の受けいれを求めるという、事実上の脅迫でした。
さらに、ホイットニーらが会合の場所である外務大臣官邸から一旦庭に出た際に、一機のB29爆撃機が大きな轟音を響かせて飛んでいきました。これも「言うことを聞かなければ日本に爆撃を加えるぞ」という、政府に対する心理的な圧迫でした。
加えてホイットニーは、GHQと政府との連絡役を務めていた白洲次郎(しらすじろう)に対して、「我々は戸外に出て原子力エネルギーの暖を取っているのだ」と言い放ちました。この発言も、広島や長崎に次いで三度目の原爆投下を行う可能性があることを示したものであると考えられています。
※下記の映像は3月26日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
もう他に選択肢を与えられない条件ですね(^_^;)
これではまるで
先日のお話に出てきた死刑宣告と同じじゃないですか!
言い逃れも出来ずにそれに従うしか無かったのは
余りにも苦痛な事でしたね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 まったくもってそのとおりです。
敗戦国の悲劇とはいえ、卑怯極まりないですね。
GHQは事前に松本試案の概要を入手しており、日本政府に先手を打つかたちで、自分側からの草案作成を急いでいたのです。
ところが、民政局員の25人のメンバーのうち、弁護士の資格を持っている人物こそ存在したものの、憲法学を専攻した者は一人もいませんでした。このため、民政局は日本の民間憲法草案やアメリカ合衆国憲法ほか、世界各国のありとあらゆる憲法を参考として、わずか一週間で急ごしらえの草案をまとめ上げ、マッカーサーの承認を得たうえで日本政府に通告したのです。
なお、民政局のメンバーには、ベアテ・シロタ・ゴードン氏のような女性も含まれており、彼女によって「家族生活における個人の尊厳と両性の本質的平等」が規定された憲法第24条が起草されたことが知られていますが、何と言っても憲法に対する素人が、しかも外国人の手によって作成された草案ですから、我が国にとっては困惑以外の何物でもありませんでした。
しかし、我が国は松本試案を断念して、マッカーサー草案を受けいれる以外に選択肢は存在しませんでした。なぜなら、GHQが占領という立場を悪用した脅しを我が国にかけてきたからです。
※下記の映像は3月26日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
マッカーサー草案がこれほどまでに
何も考えられずに提案された憲法だったとは
存じませんでしたので、正直驚きました。
しかも今の今まで日本人はそのいい加減な憲法を順守して、守って来たのかと考えるとなんと愚かな・・と思う反面、日本人とはなんとタフで忍耐力に優れた人種なのだと改めて感じました(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに愚かですよね。
押し付けられた憲法は、独立後には速やかに変えられるはずだったのですが…。
松本大臣がなぜ一院制なのかをGHQに問いただすと、ホイットニー民政局長は「日本にはアメリカのように州という制度がないから上院は必要ないし、一院制の方がシンプルではないか」と答えました。要するに、憲法草案を作成した立場の人間が、二院制の意義を全く知らないのです。
さらに松本大臣を驚かせたのが、「土地その他の天然資源は国有とする」という事項でした。これは私有財産の否定を意味しており、松本大臣が後に幣原首相に草案を報告した際に、「まるで共産主義者の作文だ」という会話が残されています。
なぜマッカーサー草案には二院制に対する認識が欠けていたり、あるいは私有財産を否定するような内容が含まれていたりしたのでしょうか。それもそのはず、実はマッカーサー草案は、「憲法の素人がたったの一週間で作った急ごしらえ」のものだったからなのです。
※下記の映像は3月26日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
素人が急ごしらえで作った草案ですか・・
それはどうしてそのような事になって
しまったのでしょうね・・。
素人が作った憲法が国を支える屋台骨として
存在させようとすること自体、信じがたい事実ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですよね。
なぜそうなったかについてはこれから明らかにしますが、にわかに信じがたい話となります。
オレンジ 黒田先生って、こんなに立派な講演をされるのに、まだ臨時講師なんですか?採用しない大阪府教育委員会はどうかしています!黒田先生のような人に正しい歴史を教えてもらいたかったです!これからも頑張って下さい!
オレンジさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
採用試験に合格できないのは、ひとえに私の実力不足です。
これからも努力して頑張ります。