ところで、皆さんは「ヘイトスピーチ」という言葉をご存じでしょうか。
ヘイトスピーチとは、「人種、宗教、性的指向、あるいは性別などの要素に対する差別・偏見に基づく憎悪(=ヘイト)を表す行為」であり、対象の人物あるいは団体に対して、嫌悪や憎しみを込めたか、またはそれが込められていると分かる内容の発言や主張をさしています。
ヘイトスピーチは、相手の尊厳を著しく傷つけるのみならず、民族あるいは国家全体に対する侮辱(ぶじょく)にもつながるということで、ヨーロッパを中心に規制が強まる傾向にあり、我が国においても「ヘイトスピーチを規制すべきだ」という声があがるとともに、地方議会において「国による法規制などを求める意見書」の採択が行われつつあるようです。
しかし、一口に「ヘイトスピーチ」といっても、どのような表現を対象にするのかが曖昧(あいまい)ですし、我が国で日本国憲法第21条において「表現の自由」が保障されている以上、一つ間違えれば「言論弾圧」にもつながりかねない、という問題も同時に抱えているのです。
では、「ヘイトスピーチに対する規制」のどこが問題なのでしょうか。例として、私が住む大阪市の場合を参考にしてみましょう。
※下記の映像は3月2日までの掲載分をまとめたものです。





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青田です。 黒田先生
青田です。
この事に関しては、
難しい問題ですね。感情レベルでは、やはり、ヘイトスピーチには嫌悪感を感じます。しかし、日本では、憲法で『表現の自由』が認められていますし、
さらに忘れてはいけないのは、刑法で、 『名誉毀損罪』、『侮辱罪』もあります。
つまり、日本の法律では、『表現の自由』を認めながら、それが著しくその人間の「人権」を侵害した場合の受け皿として、刑法で抑制しているわけです。
この状態で、『ヘイトスピーチ』規制法を制定すると、他人に一切、否定定期なこと、批判的なことの言えない無味乾燥とした何の本音もない会話しかできなくなります。
多くの人間が誤解していますが、テレビの放送禁止用語は、あくまでも、自主規制です。
ぴーち こんばんは!
先日ですか・・たまたま
テレビを見ていたんですが、その中で日本の若者が
ネット上にて、自分の意見に賛同するものを牽引して同意を募っているという話題を目にしました。
内容は、その若者は大学を中退後、専門学校に通ったものの、奨学金も返済出来ない程、就職も難航してしまい、食事も生活も疎かになる程、困窮を極めている中で、外国人留学生は学費が免除されたりと優遇されている事に腹を立てていて、自分たち日本人がこんな苦しい思いを強いられているのに、何故に外国人が裕福な学生生活を送っているのか?不公平でならない。という内容でしたが、
それをヘイトスピーチだと見なされたことから話題にされていました。
ここで問題なのは、その若者が心に思うだけに留まっているならまだしもネット上で仲間を大勢募り、自分の意見と共感するものをより多く集めて、あわよくば暴動を起こしてやろうとする勢いが問題なのだろうなと思ってみていました。
前記事のお話では有りませんが、今は
個人の意見がたちまち全世界を駆け巡り、賛同者が多く集結してしまうという恐れがあるので
ネットでのこうした意見は慎重に見定めていく必要があるのだなと思いました。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、無味乾燥かつ恐怖の言論弾圧社会になるでしょうね。
だからこそ、こうした問題は真剣に検討しなければなりません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 誰もが閲覧できる場において、青年の発言は程度を越えたものだったかもしれませんが、なぜその青年が、そのような思いを抱くに至ったかを知ることも重要ではないでしょうか。
そのあたりの経緯を含めて、今回の講座で詳しく紹介する予定です。
何でも法律というのは、安易
青田です。 黒田先生
青田です。
私は、モラル的問題まで、何でも法律というのは
非常に危険だと思います。
日本は、日本が法治国家だからです。
感情的な嫌悪感、モラルの問題は、
「道義的責任」と『法的責任』とは
明確に分けておかないと非常に危険です。
青田さんへ その2
黒田裕樹 そのとおりですね。
道義的責任やモラルの問題にまで法が踏み込めばどうなるのか。
この後の更新で明らかにしたいと思います。