我が国が原則どおりに行動できた背景の一つに、新羅との友好関係の構築が挙げられます。百済との関係が深かった我が国にとって、それまでの外交姿勢を180度転換させるような政策は、そう簡単にできるものではありませんでした。
しかし、実際に7世紀後半には遣唐使が行われないかわりに、遣新羅使(けんしらぎし)が短期間に何度も行われているのです。我が国がそこまでの政策転換ができた理由は何だったのでしょうか。
その背景には、白村江の戦いの後の外交路線を、「反新羅」でいくのか、あるいは「親新羅」でいくのかで対立した、「兄弟」による骨肉の争いがあったのです。
※下記の映像は12月21日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
強いものにあえて頼らなくとも
この日本は島国であるという事を味方に
日本人全体が同じ志の元、結束すれば
強靱な盾となりうる力を秘めているのでしょうね。
今の日本も、結束力が足らずに
個人個人が好き勝手な考え、行動をしていると
そこへチョンと突かれでもしたら
たちまち、崩壊が起きるとも限りません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 我が国が今までに存続できているのは、仰るとおり日本人の結束力の賜物でしょう。
それだけに、現状に対する危機感をもっと持つべきかもしれません。