例えば、中大兄皇子が新たな冠位制度を導入した際に、左大臣の阿部内麻呂と右大臣の蘇我倉山田石川麻呂が、新しい冠の着用を拒否しています。これが遠因となったのか、649年に阿部内麻呂が病死すると、その直後に石川麻呂が朝廷への謀反を疑われて自殺に追い込まれました。
また、中大兄皇子は孝徳天皇と不和になり、653年に中大兄皇子が飛鳥へ戻ると、有力な家臣が次々とこれに従い、孝徳天皇は難波の都に取り残されて、翌年に寂しく崩御されました。
中大兄皇子は次の天皇に自らが即位せず、母親の皇極天皇が再び皇位につかれて斉明天皇(さいめいてんのう)となられました。なお、一度退位された天皇が再び即位されることを重祚(ちょうそ)といいます。
このようにして、中大兄皇子が様々な矛盾を抱えながら政治を実行している間に、東アジアの情勢は風雲急を告げていました。
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
笛吹けども踊らず。。。ですか。
なかなか理想と現実のギャップの差が大きければ大きいほど、困難を極めますね。
日本人の気質なのでしょうか・・・それとも
それがそもそも人間の本質なのかは知りませんが、
どうも新しいものには消極的な態度を
示す傾向は今でも強いですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですよね。
理想に燃えて改革路線を突き進もうとすれば、必ずといっていいほど、抵抗勢力も強くなる傾向があります。
昨日総選挙が行われましたが、来るべき新政権にも当てはまる問題ですよね…。