中大兄皇子は都を難波(なにわ、現在の大阪市)に移すと、我が国史上初めての元号となる「大化(たいか)」を制定し、645年は「大化元年」となりました。
続いて朝廷内の役職の改革に着手した中大兄皇子は、それまでの大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)の制度を廃止し、新たに左大臣・右大臣・内臣(うちつおみ)の制度を設けました。そして、左大臣には阿部内麻呂(あべのうちまろ)、右大臣には蘇我倉山田石川麻呂、内臣には中臣鎌足がそれぞれ任じられました。
翌大化2(646)年正月に、中大兄皇子は強固な中央集権体制における国家をつくるための大原則をうたった「改新の詔(みことのり)」を公布し、公地公民制など聖徳太子以来の朝廷の悲願の実現に向けて大きく前進しました。今日では、こうした一連の国政の改革を総称して「大化の改新」と呼ばれているようです。
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
生前での天皇の譲位というのは
この先もあったのでしょうか。
聖徳太子の意志を継いだ政治の原点がここに
誕生した訳ですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、蘇我氏の打倒によって、聖徳太子以来の悲願の実現に一歩近づいたことになりますね。
生前での天皇のご譲位は、この後も持統天皇をはじめとして、60人近くおられます。