皇極天皇を後継にしたのは、蘇我蝦夷の息子(=馬子の孫)の蘇我入鹿(そがのいるか)でした。入鹿は自分の意のままになる天皇を選び、政治の実権をわが手に握ろうとしていましたが、そのためには優秀な山背大兄王の存在が目障りだったのです。
643年、父親である蘇我蝦夷から大臣(おおおみ)の地位を独断で譲られた入鹿は、返す刀で山背大兄王を攻め立てました。追いつめられた山背大兄王は、一族全員が首をくくって自殺するという非業の最期をとげました。ここに聖徳太子の血統は断絶してしまったのです。
あまりの凶事に、さすがの蝦夷も激怒しましたが、入鹿にとってはどこ吹く風で、新しく建てた自分の家を「宮門(みかど)」と名付けたり、自分の息子を「皇子」と呼ばせたりしました。まさにやりたい放題です。
そんな中で、自らの権力に驕(おご)れる入鹿を忌々(いまいま)しげに見つめる、二人の人影がありました。彼らは一体誰なのでしょうか?
※下記の映像は12月10日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
今日のお話を伺って
人間は生前に世のため人のために精一杯
人事を尽くす事が出来れば
必ず一人くらいはその考え方に賛同してくれる
味方が現れるもので、
いざ、酷い目に遭った時には
その味方が後々援護してくれるものなのだなと
考えを巡らしました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、まさに「因果応報」ですね。
今回の講座での流れはどうなるのでしょうか…。