しかし、細川首相が3%の消費税を廃止して、新たに7%の税率による国民福祉税を導入する構想を発表した頃から政権の求心力が低下し、また首相自身による佐川急便グループからの借入金処理問題の発覚もあって、細川内閣は平成6(1994)年に1年足らずで総辞職しました。
細川内閣の後継には羽田孜(はたつとむ)が首相に選ばれましたが、社会党が連立を離脱したことから、少数与党の内閣でスタートせざるを得なくなり、遅れていた平成6年度予算を通した直後の同年6月に、総辞職を余儀なくされました。なお、羽田内閣の在任64日間は史上3番目の短命となっています。
羽田内閣の退陣後には、長年の宿敵同士であった自民党と社会党が、新党さきがけとともに3党で連立を組み、社会党委員長の村山富市(むらやまとみいち)が首相となり、6月30日に内閣を組織しました。これによって、自民党は約10ヵ月ぶりに与党として復帰したことになります。
ところが、社会党の党首が首相となったこの時期に、我が国史上に残る二つの大事件が起きてしまったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
ついこの間の出来事なのに、既に記憶の片隅からは消え去りつつある羽田総理の存在感の薄さ・・。
総理大臣になった時期の間が悪さが足を引っ張ったと言う事でしょうか・
それにしても、野党が政権を握った時に限って
その力量を早速試すかの様な出来事が起こるものなんですね・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > ついこの間の出来事なのに、既に記憶の片隅からは消え去りつつある羽田総理の存在感の薄さ・・。
> 総理大臣になった時期の間が悪さが足を引っ張ったと言う事でしょうか・
羽田内閣の誕生直後に、社会党が離脱したことが大きかったですね。
少数与党では政権を維持できませんから。
> それにしても、野党が政権を握った時に限って
> その力量を早速試すかの様な出来事が起こるものなんですね・・
力量があれば解決できます。
しかし、力量がなければ次回のようなことに…。