また、時が流れて、政治権力者の失政によって「政権交代」が起きても、室町幕府や江戸幕府などがそうであったように、単純に政治権力者が交代しただけであり、西洋のような「国家元首と国民との対立」は起きませんでした。
権威としての天皇がご存在し続けることで、時折「政権交代」が起きたとしても、全体的には政治が大いに安定した我が国では、外国に比べて平和な時代が長く続いたことで、我が国独自の文化も着実に成熟していったと考えられるのです。なお、この形態は「日本文明」の本質そのものと言って良いでしょう。
こうした流れを受けて、我が国では「権威」と「権力」との分離が完成しましたが、これは、大日本帝国憲法下において、天皇が統治権を取りまとめてもつという「権威」としてご存在する一方で、実際の政治は立法・行政・司法の三権に任せる立憲君主であり続けたという、我が国が近代的立憲主義を容易に受けいれるという効果ももたらしました。
そして、この流れは、現在の日本国憲法においても、国家の最高政治権力者である内閣総理大臣を、国家の象徴的ご存在であられる天皇陛下が任命されるという政治的システムとして活かされているのです。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
日本本来のこのようなシステムが世界中に通用するものなら、争いご事も随分減るのでは無いかと思いますが、なかなか、日本と同じレベルで考えられる国ばかりは存在しないのが実情のようですね。
最も、現代の日本人の考え方もこの頃の考え方よりも随分と変化して、世界水準にまで落ち込んでしまった気もしますが。。(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国独自のシステムは、我が国なればこそ通用すると言えそうですし、昨今においては必ずしもそうとは言えない一面があるのは残念ですよね。