そもそも「幕府」という言葉の本来の意味は、チャイナにおける「王に代わって指揮を取る将軍の出先における臨時の基地」です。この場合、チャイナの皇帝は円滑に戦争を進めさせるため、将軍に対して、本来は皇帝の権限である徴税権や徴兵権を委任していました。
つまり、頼朝は自らを「幕府の将軍」になぞらえることによって、朝廷から独立した軍事政権を確立しようとしたのです。
頼朝は、征夷大将軍に任じられる前から、守護や地頭の設置などによって、鎌倉を中心に東国で政治の実権を事実上は握っていましたが、自己の立場を朝廷、すなわち天皇に「公認」してもらうことで、より安定した政権を築こうという思惑があったと考えられます。
これらを鑑みれば、我が国では鎌倉幕府という軍事政権が誕生しても、天皇と対立して滅ぼそうとするどころか、逆に天皇の権威を活用することで政権を確立しようという、諸外国では考えられないような独自のシステムが存在していたということになりますね。
※下記の映像は11月15日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
征夷大将軍という役職が中国と関係していたというのは、初めて伺いました!
それにしても、天皇というお立場をその時代、時代で良いように利用されてきたというのは、
他人事ながら、少々、腑に落ちない気がしました(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > それにしても、天皇というお立場をその時代、時代で良いように利用されてきたというのは、
> 他人事ながら、少々、腑に落ちない気がしました(^_^;)
周囲から見るとそう思えますよね。
もっとも、時代において活用されるだけの素晴らしいご存在の裏返しとも言えますが…。