しかし、すっかり「平和ボケ」した幕府は、諸外国の外交使節が我が国を訪問しても鎖国を理由に拒否したり、あるいは開国して諸外国と通商を行うべきだという意見が国内で現れても揉(も)み消したりしました。
さらに、平和が当たり前になり、いつしか学問が重視される風潮が高まったことで、武力がおろそかにされ、気が付けば幕府自身の武力も著しく低下していました。
そんな中、弘化(こうか)3年(=1846年)にアメリカ東インド艦隊司令長官のビッドルが浦賀に来航し、我が国に対して平和的に通商を求めました。
もしここで幕府が通商を受けいれていれば、この後の我が国の歴史が大きく変化していた可能性もあったでしょう。しかし、幕府は鎖国を理由に、アメリカの要求を拒否してしまったのです。
※下記の映像は11月6日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
なるほど、日本は海に囲まれているので
外国から攻められる事はあるまいという過信が齎した平和だった訳ですね。
何やら、頑固一徹。誰の意見も聞き入れようとせず
自滅への道を選んでしまったどこぞの暴君と似たような話ですね。。
絶対安全・・という事は何時の時代も、また何処にも
存在しないという事ですね。
承認待ちコメント
-