実は、この「通達」こそが最大の問題でした。なぜなら、例えば法律であれば、議会によってその正当性などが論議されるとともに、時間をかけて審議できるからです。ところが、大蔵省という一機関からの通達であったがゆえに、まさに抜き打ちで決定され、対策や議論の時間が全くないまま強行されてしまったのでした。
バブル経済の頃の不動産会社の多くは、銀行から借りたお金で土地や建物を買い、それを他の不動産会社や個人に売却されることで、大きな利益を得ていましたが、それが可能であったのは、土地の値段がいくら上がっても、気前良く銀行が資金を貸してくれたからこそでした。
ところが、その資金を止められたことで、我が国の至るところの不動産会社が、売れるまで値を下げ続けなければならず、結果として全国の地価が大幅に下落してしまったことで、我が国の国富(こくふ)がおよそ1,000兆円も消失してしまったと言われています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち おはようございます!
ある日突然
自立しろと親離れさせられた子供はどう生きていけばよいか・・路頭に迷ってしまいますもんね。それ以前からしっかり段階的にいつ自立出来ても良い方法を踏まえて支えられていたのなら別なのに・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > ある日突然
> 自立しろと親離れさせられた子供はどう生きていけばよいか・・路頭に迷ってしまいますもんね。それ以前からしっかり段階的にいつ自立出来ても良い方法を踏まえて支えられていたのなら別なのに・・
分かりやすい例えを有難うございます。
当時の経済政策はまさに無茶苦茶でした。文明国にあるまじき失態だったと思われます。
道民 上の方の、「不動産会社に対する融資(ゆうし)を銀行に禁止する」通達、は日本語として変な感じがします。
道民さんへ
黒田裕樹 > 上の方の、「不動産会社に対する融資(ゆうし)を銀行に禁止する」通達、は日本語として変な感じがします。
ご指摘有難うございます。「銀行の不動産会社に対する融資(ゆうし)を禁止する」に変更しました。
今から約1300年前という大昔でありながら、今の我が国がその流れをしっかりと受け継いでいることを、上手く伝えられたのではと自負しております。また、講演途中の「ドラマ仕立て」が好評でしたので、大阪でもしっかり披露(ひろう)いたします(笑)。

次回(11月29日)は大阪講演を行います。東京同様、多数の皆様にお越しいただけることを心より願っております。
第45回黒田裕樹の歴史講座(大阪講演)
「大化の改新と壬申の乱」
主催:日系文化振興会
後援:my日本
日時:平成26年11月29日(土) 午後6時より
場所:大阪市立総合生涯学習センター 第1研修室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:金1,000円
参加をご希望の方は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。
なお、講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,000円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。





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そんな折の翌平成2(1990)年3月に、大蔵省(現在の財務省)から各金融機関に対して、不動産取引の総量規制を中心とした行政指導を行ったことで、約39,000円近くまで上昇していた日経平均株価が一気に下降し始めました。
平均株価の大暴落は我が国の経済に大きな影響を与えますから、通常であれば金融引き締めを直ちに中止し、緩和(かんわ)政策に転換するのが常識でした。ところが、当時の三重野総裁は、「株価は確かに下がったが、地価は未だに高いから」という理由だけで、金融引き締め政策を強行し続け、大蔵省による総量規制も解除されませんでした。
当時の地価の下落は、確かに株価ほど急激ではありませんでしたが、株価と地価の価格変動は、およそ1年~1年半のタイムラグがあるのが世界の常識です。にもかかわらず、「悪しき平等主義」にこだわり、地価の下落を最優先したが故に、我が国の経済は一気に「どん底」まで叩き落される結果となってしまいました。
ちなみに、当時の我が国の「人為的な経済破綻(はたん)」は世界に大きな衝撃を与え、その後多くの国が、「日本の失敗に学べ」と言わんばかりに自国の経済運営の参考にしたという皮肉な教訓を残しています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
私はご承知の通り、株の事は一切わかりませんが、
確かに
世界から「日本の失敗に学べ」と皮肉な結果に陥ったかも知れませんが、そんな失敗を経てどん底まで叩き落とされても、這い上がって来られるのがまた
日本の底力だと信じております。
そこら辺のサクセスストーリーも織り交ぜて、
日本という国を語って貰いたいものですね。
皮肉な話
青田です。 青田です。
これ以降、先進国では、日本のようなバブル崩壊が起こっても適切な対応で、長期化しないようになりました。(例、アメリカのリーマンショックなど)
しかし、日本は、失われた20年が続いています。
大蔵省のエリートは、何を学校で、勉強してきたのか聞きたいです。
(私のような、馬鹿でもわかるのに)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 世界から「日本の失敗に学べ」と皮肉な結果に陥ったかも知れませんが、そんな失敗を経てどん底まで叩き落とされても、這い上がって来られるのがまた
> 日本の底力だと信じております。
> そこら辺のサクセスストーリーも織り交ぜて、
> 日本という国を語って貰いたいものですね。
這い上がってこようとしているのがまさに現在の経済政策ですからね。
次回の総選挙での国民の審判が興味深いです。
青田さんへ
黒田裕樹 「馬鹿」の言葉がどこにかかるか、で物の見方が変わってくると思います。
その後、戦争に敗北した我が国は、国家社会主義に対する反省から、自由主義的な政策を次々と行い、高度経済成長などによる奇跡的な復興を成し遂げました。ところが、そんな輝かしい歴史を持った我が国は、一方で「社会主義思想」という爆弾を、国家の中枢(ちゅうすう)に秘め続けていたのです。
なぜなら、戦後のGHQによる占領政策によって、財閥解体や農地改革などの社会主義的な政策が行われたことで、戦前からの国家社会主義の思想を引きずっていた大蔵省その他の官僚の体質が温存されてきたからです。
社会主義的思想は、時として「平等主義」的な発想をもたらしますが、自由主義経済にとって、中途半端な「平等精神」こそが、人間の活力をそぎ、経済を停滞(ていたい)させる元凶でもあります。
無論それはバブル景気真っ只中の我が国においても同様であり、危険な発想ともいえたのですが、悪しき「平等主義」に染まった、社会主義的思想を持つ当時の大蔵官僚によって、バブル経済は一気に崩壊への道を歩むことになってしまったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
なるほど、社会主義政策にもまた自由主義政策にも
それぞれ一長一短がある訳ですね。
仰るとおり、平等が良いという考え方では
経済や人間そのものの働く意欲を沿いでしまいますし、自由主義で働く意欲が勢いづけば、経済力が増し、成長していく事でしょうけれど、
これもその波に乗れずに失敗する者や、働く意欲があっても働く場所が無い、雇用が安定しない等の理由で気力を失っている者には益々差が生じてしまう現象も起こります。
どちらかに傾倒し過ぎず、対立もせずに共存出来る
日本であって欲しいと願いますが、そういうわけにはいかないのでしょうかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どちらかに傾倒し過ぎず、対立もせずに共存出来る
> 日本であって欲しいと願いますが、そういうわけにはいかないのでしょうかね?
本来は「セーフティネット」としての平等主義であるべきであり、その為の共存で充分なのです。自分より前を行く者を無理やり引きずりおろすような「悪しき平等主義」こそ非難しなければなりません。
それなのに…。
その一方で、バブル景気によって土地が暴騰(ぼうとう)した影響を受け、いわゆる「地上げ」などが問題化したり、あるいはバブル以前に資産を「持つ者と持たざる者」との差が「不公平である」と問題視されたりするなど、バブル景気は様々な弊害(へいがい)も同時にもたらしました。
確かにバブル景気には、実態を反映していない側面があったのは事実ですが、自由経済の下では、時間が経てば自然に落ち着くのが道理でしたし、政策によってバブルを緩やかに収束させれば、大きな混乱を招くこともありませんでした。
ところが、私有財産を敵視する社会主義思想を引きずっていた旧大蔵官僚によって、バブル景気は「人為的に」強制終了させられてしまい、そのことが我が国を、今も続く果てしない不況へと導くことになってしまったのです。
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ぴーち こんばんは!
>政策によってバブルを緩やかに収束させれば、大きな混乱を招くこともありませんでした。
私も以前、この様な政策が正しいかったのではないかというお話を何処かの放送局の番組で拝見したことがありました。
急速に湧き上がったものに慌てて水を差してしまうと、既に炎が鎮火した後では、いくら待っても
冷えきったままで、再び煮えることは有りませんものね。タイミングや手段の選び方というのは、、時には方法が間違ったりすれば、致命的にもなり兼ねない訳ですね。
チャンネル登録の御礼
ヒスペディア デフレ脱却に力をそそぐことが日本経済復活の最大の課題であることはいまや国民の共通認識です。しかし、つい2~3年前までは、その認識は浸透しておらず、「値段が安くなることはいいことだ」「経済がダメなのは日本が時代遅れだからだ」という風潮がありました。今の時代にできることを考えていくことが大事ですね!
まさか黒田様から登録していただけるとは・・・ありがとうございます!今後ともよろしくお願いいたします!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 急速に湧き上がったものに慌てて水を差してしまうと、既に炎が鎮火した後では、いくら待っても
> 冷えきったままで、再び煮えることは有りませんものね。タイミングや手段の選び方というのは、、時には方法が間違ったりすれば、致命的にもなり兼ねない訳ですね。
そのとおりです。二度と同じ過ちを繰り返さぬためにも、今回の「大失敗」を詳しく検証してみたいと思います。
ヒスペディアさんへ
黒田裕樹 こちらこそ拙チャンネルをご登録ありがとうございます。
仰るとおり、デフレ脱却こそが我が国の喫緊の課題であり、増税に血道を上げる暇は全くありません。
一方、広島県の公立高校の校長が、勤務校の卒業式での国歌斉唱に反対した教職員組合などのつるし上げを苦にして、平成11年2月に自殺するという事件が起こりました。
この事件をきっかけとして、国歌や国旗を法律化しようという動きが政府内で起きたほか、世論の多くの支持も集めて、同年8月に日章旗(日の丸)を国旗、「君が代」を国歌とする国旗・国歌法が制定されました。
この他、公共事業の推進といった積極財政による経済回復など、小渕内閣を評価する声も次第に高まりつつありましたが、平成12(2000)年4月に自由党から連立解消の通告を受けた直後に、小渕首相が脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、内閣総辞職した後の同年5月に62歳で死去しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
何故に今まで国旗や国歌が制定されていなかったのか
不思議に思っていました。
ちゃんと法律として定められた歌なら、例えば
それに違反したとしても、命まで失う事も無かったのではないかと少し憤りを感じます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > ちゃんと法律として定められた歌なら、例えば
> それに違反したとしても、命まで失う事も無かったのではないかと少し憤りを感じます。
私も同じ思いです。
いくら「何かが起きてから」であっても、人命は何物にも代えられませんからね。
しかし、やがて新進党からの離党者が相次ぐようになり、平成8(1996)年には、社会党から改称した社会民主党(しゃかいみんしゅとう、別名を社民党)の一部などが合流して、民主党(みんしゅとう)が結成されました。
新進党は平成10(1998)年には多数の党に分裂し、その中から民主党に合流する者が現れたり、新たに自由党(じゆうとう)が結成され、公明党が再結成されたりしたほか、第二次橋本内閣の途中から社民党と新党さきがけが連立を離脱するなど、目まぐるしい動きを見せました。
そして、平成10年の第二次橋本内閣の退陣後に、自民党単独で組閣された小渕恵三(おぶちけいぞう)内閣が、翌平成11(1999)年に2度の内閣改造を行い、自民党・自由党・公明党による3党の連立政権が誕生したのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
今でも次々と新党が生まれては、解散したり
くっついたと思えば、分離したりと
政界の細胞分裂は盛んに行われていますよね(^_^;)
こういう現象というのは、なんとか国をより良くしていこうという思いも確かにあるのでしょうけれど、主に政治家自身の保身の為の駆け引きでもあるのでは無いかと思うと、憤りさえ感じます。(本当はそう思いたくは有りませんが)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こういう現象というのは、なんとか国をより良くしていこうという思いも確かにあるのでしょうけれど、主に政治家自身の保身の為の駆け引きでもあるのでは無いかと思うと、憤りさえ感じます。
今回の解散騒ぎにおける野党の動静を見ると、まさしくぴーちさんが懸念される保身そのもののような気がしてきますね。本当に困ったものです。
同年10月に小選挙区比例代表並立制で初の衆議院総選挙が行われ、首相自身の人気もあって議席数を伸ばした自民党を中心として、第二次橋本内閣が成立しました。橋本首相は財政構造改革法の制定など、行財政改革への取り組みを進めました。
しかし、バブル経済の崩壊(ほうかい)によって不況に苦しんでいた中で、平成9(1997)年4月に消費税を5%に引き上げたことや、同年に発生した、アメリカの機関投資家の通貨の空売りを原因とするアジア通貨危機の影響で、日本経済の不況が深刻化してしまいました(バブル経済の崩壊については後日改めて紹介します)。
平成9年の経済成長率は、バブル崩壊後の平成4(1992)年以来となるマイナスとなったほか、大手金融機関の経営破綻(はたん)や、倒産あるいはリストラによって大量の失業者が出る事態となり、混乱の中で行われた平成10(1998)年の参議院選挙で自民党が大敗すると、その責任を取るかたちで第二次橋本内閣は総辞職しました。
なお、橋本氏は首相辞任後に「(あの時期での)消費税の増税は間違いだった。また、私が行った緊縮財政は国民に迷惑をかけ、私の友人も自殺した。本当に国民に申し訳なかった。深くおわびしたい」と述懐(じゅっかい)しているとのことです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
人間は失敗する生き物ですが、
その失敗を教訓に成長出来れば、それこそが
人間らしい生き方だと思いますね。
しかしながら、補足ですが
今回、安倍首相の判断で
消費税1年半の先送りと決まった様ですが、この一年半と言う数字は何処からはじき出された年数なのか、未だ理解が出来ずにおります(^_^;)
たった一年半の先延ばしなら、わざわざ延命措置をしなくても良いと言う説もあれば、
このまま消費税など上げなくても良いなど
さまざまなご意見が飛び交っていますが
やはり安倍さん自身も、失敗に学んだからこその対応なのでしょうけれど、
フライングし過ぎたかなという思いがあります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、人間は失敗するのが常ですが、橋本首相の場合は取り返しがつかない失敗だったかもしれませんね。
今回の安倍首相の判断ですが、あくまでも個人的な見解としてですが、延長する1年半の間に必ずや増税できるまで経済を回復してみせる、という強い決意のあらわれではないか、と判断しております。
ブログのもう一つの目玉である「本物の歴史講座」ですが、次回(第45回)は「大化の改新と壬申の乱」と題して、その後の我が国の方針を決定づけた、7世紀の「2つの政変」についてご紹介(しょうかい)します。

(クリックで拡大されます)
講座に参加をご希望の方は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。なお、今回は東京講演の方を日曜日に先に行いますので、日程や会場などにご注意ください。
第45回黒田裕樹の歴史講座
「大化の改新と壬申の乱」
主催:日系文化振興会
後援:my日本
日時:(東京)平成26年11月23日(日・祝) 午後3時より
(大阪)平成26年11月29日(土) 午後6時より
(※東京と大阪で開始時間が異なります。また、今回は東京と大阪の講演順序が逆になっていますのでご注意ください)
場所: (東京)スター貸会議室 飯田橋 (会場は2階です)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
(大阪)大阪市立総合生涯学習センター 第1研修室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:いずれも金1,000円
なお、東京・大阪とも講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,000円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。
最後に、おなじみのブロともであるクラチーさんからの素晴らしい画像を皆様にご覧いただきます!
(※クラチーさんのブログについては、下線部からご覧いただけます。)

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I LOVE JAPAN2014 とても深い歴史考察ですね。
歴史は歪曲したりせず、ありのままを伝えていくことが大切ですよね。
リンクを貼らせてもらいました。
今後とも宜しくお願いします。^^
I LOVE JAPAN2014さんへ
黒田裕樹 はじめまして。当ブログへのご訪問並びにお言葉有難うございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
平成7(1995)年3月20日の朝、東京の地下鉄の車内や駅の数ヵ所で毒物サリンがばらまかれ、都心は大パニックとなりました。いわゆる地下鉄サリン事件です。
サリンを製造したのはオウム真理教であり、計画的なテロであったことが後に分かりましたが、我が国では化学物によるテロを想定していなかったため、消防や警察では毒物が除去できず、化学兵器に対する防護服を持っていた、陸上自衛隊の化学防護隊のみが対応可能でした。
平成7年に相次いで起きた二つの大事件は、我が国における危機管理の在り方が再認識されるとともに、私たち一人ひとりに大きな教訓を残したのでした。
なお、その後の村山首相は、大東亜戦争の終戦から50年の節目となる同年8月15日に、「痛切な反省と心からのお詫(わ)び」を中心とした、いわゆる「村山談話」を発表した後、翌平成8(1996)年1月に首相を辞任しています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
そう言えば
大きな2つの大都市でこのような出来事が
起こってしまったんですよね。
サリン事件に関しては、本当に
寝耳に水の出来事でしたし、未だに
後遺症で苦しんでいらっしゃる方も居ますので
二度とあのような事はあってはならないと
思います。
起こってしまった事に対しては後戻りは出来ない
ので、その後の安全対策に対して
あの教訓がずっと継続して生かされて行くことを願うばかりです。
はじめまして
ヒスペディア 黒田さま
私、ヒスペディアと申します。
オウム真理教の事件は新宗教との向き合い方を考えるきっかけとなりました。政治やメディアと特定の宗教団体による癒着は現代でもたびたび問題となっていますよね。
現在、私、歴史を噛み砕いて伝えることを目的としたブログを運営しております。動画作成も行っているのでぜひご覧ください。またご覧いただいたあかつきにはコメントいただけると嬉しいです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
テロリストが二度と我が国で暗躍できないように、危機管理をしっかりとやっていただきたいものです。
ヒスペディアさんへ
黒田裕樹 はじめまして、黒田裕樹と申します。
ブログを拝見しましたが、素晴らしい出来栄えですね。
また時間をかけて熟読させていただきますので、よろしくお願いいたします。