これに対し、1989(平成元)年には、チベットのダライ・ラマ14世が、世界平和やチベット宗教・文化の普及に対する貢献が評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。
また、2010(平成22)年には、天安門事件の主導者であった作家・人権活動家の劉暁波(りゅうぎょうは)氏が、一連の民主化への活動を評価されてノーベル平和賞を授与されましたが、中華人民共和国政府は、この受賞に対して強い抗議を行いました。
中華人民共和国によるこれらの強引な政策あるいは手段は、国際社会における深刻な人権問題であるはずですが、日本国内の各種人権団体のほとんどが、なぜか今日まで沈黙を守り続けています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
抗議の為に自殺を図る。。。
こういう内向的とも言える訴え方と言うのは、
アジア人の共通した考え方なのでしょうか?
何かを訴える為に自分の命を捧げるという意味は、
良い意味で捉えるとしたら、人命というのは
非常に尊いものであり、その大切なものを
失うという事の重大さを知ってもらいたいが故の
行動なのでしょうけれど、
時にその訴えは単なる無駄死であると軽視されてしまうとも限りません。
こうした命を代償に何かを訴える事のリスクの高さを考えると、最終手段としても取るべき行動ではないように思えてなりません。
勿論、反対意見もあるでしょうけれど・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るお気持ちは良く分かります。
ただ、自国に武力などの抑止力がなかったがゆえにチャイナに侵略され、自分の目の前で同胞が無残にも殺戮されるのを黙って見るしかなく、しかもそれを他国がいくら非難してもチャイナは涼しい顔で、我が国のように人権に対してことさら厳しいところもなぜか沈黙を守るという、まさに八方ふさがりで絶望しかないような状況に追い込まれれば、たとえ無駄死にといわれようが、最後の手段としての焼身自殺を選択しなければならないという事情も、私たちは理解すべきなのかもしれません。
かつて官房長官時代に起きた「教科書誤報事件」をきっかけとして、近隣諸国条項(きんりんしょこくじょうこう)を勝手に創設し、我が国の歴史(あるいは公民)教科書の検閲権(けんえつけん)を中華人民共和国や韓国に売り渡した宮澤首相は、天皇陛下まで「中国」に売り渡したのです。
しかも、宮澤首相はこの後、平成5(1993)年に河野洋平(こうのようへい)内閣官房長官(当時)を通じて「河野談話」を発表させ、我が国がいわゆる「従軍慰安婦(じゅうぐんいあんふ)」問題に関していわれなき誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を、今もなお受け続けなければならないきっかけすらつくってしまっています。
なお、中華人民共和国が多数の市民を一方的に殺傷(さっしょう)した天安門事件ですが、これだけの大事件にもかかわらず、我が国で多くのシェアを誇っている日本史の歴史教科書には一切の記述がありませんし、先述のとおり、我が国の公営放送のある番組では、天安門事件の存在そのものが「なかったこと」にされています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
『兵は詭道なり』(戦いとは、騙し合い。)ということで定石と考えると
一言で言えば、
北京にいるキツネのほうが、日本の政治家よりも
一枚も二枚も上手だったということですね。
おそらく、日本の政治家は、(外交=戦い)という概念すらなかったと思います。
政治家も平和ボケになっていた気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、平和ボケの毒が当時の政治家に完全に蔓延していたような気がしますね。
そのうえ、ついに歴史的事実を「なかったこと」にするようにもなりましたが、ここから何としても巻き返したいものです。
なぜなら、東アジアにおいて、周辺の国が「中国」を訪問することが「朝貢(ちょうこう)」とみなされていたからです。ということは、もし天皇陛下が「中国」の都を訪問されれば、それは我が国が「中国」の傘下(さんか)に入ることを意味していました。
にもかかわらず、当時の宮澤喜一(みやざわきいち)首相と加藤紘一(かとうこういち)内閣官房長官は、中華人民共和国側の誘いにあっさりと乗ってしまい、平成4(1992)年に天皇陛下の訪中が実現してしまいました。
中華人民共和国は天皇のご訪問に「感激」して、「今後は歴史問題について言及(げんきゅう)しない」と我が国に約束しましたが、日本を「家来」扱いした「中国」が、そんな口約束を守るはずがありません。
かくして、天皇陛下の訪中をきっかけとして、以後の中華人民共和国は、平成21(2009)年に、習近平(しゅうきんぺい)国家副主席(現在は国家主席)が無理やり天皇陛下との会見をねじ込むなど、我が国に対して傲岸不遜(ごうがんふそん)な姿勢をとるようになってしまったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
この内容に関しては、チャイナには、あまり、怒りを感じません。
というのは、チャイナとは、元々、無茶苦茶な国(??国民国家という定義では、国ではありませんが)
だからです。
それに、元々、日本の敵だからです。
それよりも、日本の当時の政府の首脳部の無知に怒りを感じます。
河野談話と言い、この当時の日本の政府の首脳部と言い、
〇 無知な味方は、ずる賢い敵よりもタチが悪い。
〇 味方の中の敵は、目の前の敵よりもタチが悪い。
〇 弱い味方は、強い敵よりもタチが悪い。
という格言は、ズバリだと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、当時の政府首脳の「お花畑全開」ぶりの方が腹立たしく思えますよね。
情けない限りです。
ぴーち こんばんは!
宮澤さんと言えば、
外国生活も長い方だと認識しておりましたが、
案外、考え方は日本人独特な方だったのですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 宮澤氏には色々な考えがあるとは思いますが、今回の件については厳しい評価をせざるを得ないと思います。
詳しくは次回の更新をご覧ください。
ブログのもう一つの目玉である「本物の歴史講座」ですが、次回(第44回)は「条約改正への道のり」と題して、明治政府による「条約改正」をめぐる苦難の道のりについてご紹介(しょうかい)します。

(クリックで拡大されます)
講座に参加をご希望の方は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。
なお、今回の東京講演も、いつもの浅草ではなく飯田橋(東京都千代田区)になりますのでご注意ください。
第44回黒田裕樹の歴史講座
「条約改正への道のり」
主催:日系文化振興会
日時:(大阪)平成26年9月27日(土) 午後6時より
(東京)平成26年10月4日(土) 午後3時より
(※大阪と東京で開始時間が異なります。また、前回(第43回)より東京の開始時間が30分早まっているのでご注意ください)
場所:(大阪)大阪市立総合生涯学習センター 第1研修室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
(東京)スター貸会議室 飯田橋 (会場は2階です)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
(※東京の会場がいつもと異なります。ご注意ください!)
資料代:いずれも金1,000円
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ぴーち こんばんは!
このポスター、良く出来ていますね!
黒田さん、まるで歴史上の人物の様な
神々しさを放っていて、素敵な構図です!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お褒めのお言葉、有難うございます。
42回より専門の方に制作を依頼していますが、彼にも伝えておきます。
こんにちは
鬼藤千春の小説 はじめまして!あるブログを拝見していたら、このブログに出会いました。私もブログを開設しています。「鬼藤千春の小説」で検索できます。一度訪問してみて下さい。
鬼藤千春の小説さんへ
黒田裕樹 はじめまして。
拙ブログにお越しくださり、有難うございます。今後ともよろしくお願いいたします。
しかし、中華人民共和国は、同年5月20日に北京に戒厳令(かいげんれい)を発すると、6月4日には人民解放軍が学生や市民に対して無差別に発砲するなどの武力弾圧(だんあつ)を行い、多数の死傷者(ししょうしゃ)を出しました。これを天安門事件といいます。
天安門事件は、当時のメディアを通じて世界中へ発信され、我が国を含めた西側諸国が中華人民共和国政府に対して抗議や経済制裁を行うなど、中華人民共和国は国際的な非難を浴び、世界から孤立(こりつ)しました。
ところが、そんな「追いつめられた」国家に対して、わざわざ「救いの手」を差し伸べた国が存在したことで、中華人民共和国は息を吹き返したのです。その「救った」国家こそが日本であり、またその手段とは「天皇陛下の訪中」でした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
日本人の考え方は、世界的にみても
非常に成熟していると思います。
しかしながら、その成熟した民度の高さは
ある面では、お人好しにとられてしまったり
あるいは、上手く利用されてしまったりという
悲劇に遭うことも少なく無いと思われます。
確かに慈愛に満ちた考え方は、人類が本来
目指すべきあり方であって欲しいですが、
現実問題、自分が生き残るためには手段を
選ばないと思う人間の数の多さが目立ちますし、
中途半端な覚悟では乗り切れないものだと
思います。
なるべくなら、この民度の高さは日本の誇りでも
あるので、そう簡単には失いたく有りませんが、
保ち続けるには、それ相当の努力も
必要になるので大変ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
民度の高さを失わずに、またお人よしに付け込まれないように。
我が国全体の国益のためにも、国外と国内でしっかりとした使い分けをすべきなのですが…。
しかし、そんな保守系の「油断」の隙(すき)を突くかたちで、左翼系の「進歩的文化人」と呼ばれた人々は、自らの思想を満足させるために、ソ連崩壊(ほうかい)以前から続けていた「日本の歴史から、中華人民共和国や韓国の好みそうな問題を取り上げ、両国に『御注進』する」という流れを一気に加速し始めました。
こうした我が国の左翼からの誘いに、中華人民共和国や韓国が乗ったことによって、「日本はアジアの人々を中心に、世界中の人々に耐(た)え難(がた)い苦痛を与えた」という自虐史観(じぎゃくしかん)が、ソ連崩壊以前より強固に定着してしまいました。
加えて、単なる自虐史観で飽(あ)き足らない左翼の人々が、歴史的に有り得なかったり、そもそも虚構(きょこう)から始まったりしている、「南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)」や「従軍慰安婦(じゅうぐんいあんふ)」といった問題をでっち上げたことで、我が国に今もなお深刻な影響を与えているのです。
さらには、25年前の中華人民共和国で現実に起きた「悲惨(ひさん)な事件」の存在が、現在の我が国の公営放送で「なかったことにされている」という、異常な事態となっているのをご存知でしょうか。いわゆる「天安門事件(てんあんもんじけん)」のことです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
素朴な疑問ですが
左翼とは、何でしょうか?
マルクス=レーニン主義者のことでしょうか?
どこの先進国でも、右派、左派は、存在しますが
どちらかと言えば、いつも、この左翼、保守という言葉で???になります。
というのも、どこの国にも議会では、保守、左派があり、アメリカも二大政党制で、どちらかと言えば、保守的な政党が共和党、リベラルな政党が民主党という感じがします。
見方によったら、それも逆だという意見もありますが、
そういった、他の先進国での左翼、保守と
日本の左翼、保守とは、かなり、違うものなのでしょうか?
青田さんへ
黒田裕樹 我が国の場合、いわゆる「愛国的なリベラル」はむしろ保守の中にこそ存在するのかもしれませんね。
イデオロギーに凝り固まり、我が国の将来を考えることの全くない人々は、もはや「売国奴」の域に達しているのかもしれません。
ぴーち こんばんは!
なるほど。。。
未だに韓国、中国が日本の歴史問題に
有ること無いこと口出しをしてくる背景には
日本人側の僅かながらも、そうした思想が
声を大にしていた為に
他国から余計な事を言われる羽目に陥っていると言う事でしたか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 未だに韓国、中国が日本の歴史問題に
> 有ること無いこと口出しをしてくる背景には
> 日本人側の僅かながらも、そうした思想が
> 声を大にしていた為に
> 他国から余計な事を言われる羽目に陥っていると言う事でしたか・・
まさしくその通りです。
日本側から火をつけて、ありもしない捏造された歴史観が我が国を苦しめる。
「まさかここまでとは」という油断がここまで傷口を広げているのです。
そして、同年12月までに「ソビエト連邦」を構成していた共和国のすべてが独立を宣言したことで、ソ連は崩壊(ほうかい)し、新たにロシア共和国などからなる独立国家共同体(=CIS)が誕生したのです。
ソ連崩壊後の新生ロシアでは、1917(大正6)年のロシア革命以前の三色旗(白・青・赤の横長)が復活し、あちらこちらに建てられていたレーニン像が取り壊(こわ)されたほか、「レニングラード」が「サンクトペテルブルク」に戻るなど、旧名称が復活した都市も存在しました。
かくして、ロシア革命から74年、1922(大正11)年の設立から69年を経て、ソビエト連邦が崩壊したことで、東西の冷戦構造は完全に消滅しました。
ところが、ソ連の崩壊によって、世界中の左翼の学者や評論家がその存在価値を失ったにもかかわらず、我が国においては、むしろ「左傾化(さけいか)」あるいは「赤化(せきか)」が加速するという皮肉な結果となったのです。その背景には「保守の油断」と「左翼の方針転換」がありました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
ただ元を正せばそれで丸く治まるという
ものでも無いんですね・・(^_^;)
長い年月の間には、その考えに同調し
同じ目的を持って活動しようとする
人々が出てきますものね。
虱潰しに根絶したつもりでも、思わぬ所に
逃げ道があり、完全に無くなることは
有りませんね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国では共産主義思想が巧みにすり抜けて、より強化することになってしまいました。
次回の更新で詳しく紹介したいと思います。
また、第二次世界大戦中にソ連に併合された、エストニア・ラトビア・リトアニアのいわゆる「バルト三国」がそれぞれ独立を主張するようになり、ソ連は軍事介入によって鎮圧を図ったものの、1991(平成3)年3月にはリトアニアが独立を宣言しました。
バルト三国の独立は、ソ連の連邦体制の崩壊(ほうかい)を意味していたのみならず、同年7月には、ソ連が主導して設立されたワルシャワ条約機構が解散するなど、ソ連の国家体制がますます揺(ゆ)らぐようになりました。
こうした状況に危機感を強めた、ヤナーエフ副大統領らの共産党保守派は、ゴルバチョフがモスクワを離(はな)れた隙(すき)を突いて、1991年8月19日にクーデターを起こし、国家非常事態委員会が実権を握りました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
素人考えですが、
こうしてある国から独立しよう考えた場合
通常はこうした紛争を起こして、必死な思いで
独立を奪い取ることが多い中、
今回のイギリスからスコットランドが独立を
主張した際に、国民投票という手段を用いて
決めようとした事に関しては、さすがは先進国の
お手本だなと思ったものでしたが、
投票によって独立を決める方式というのは、
過去にも多く存在したのでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 投票で決める、というのは聞いたことがないですね。
一見平和的ですが、その後に予想される混乱を考えると難しい話ではあります。
黄色人種どころか、自分たちが人間扱いしてこなかった、旧植民地の被支配者層がつくった製品ですら、自国ではつくることができない。この残酷(ざんこく)な現実を突き付けられたとき、東欧諸国民は「自分たちがこうなってしまったのは、共産主義体制に問題があるに違いない」という「真実」に気づきました。
東欧共産主義国家が相次いで倒れたのは、単なる経済破綻(はたん)でもなければ、民主化運動の高まりだけでもありません。「百聞は一見に如(し)かず」ということわざがあるように、東欧諸国民がハイテク製品を見たことで、自国の国家体制に疑問を抱(いだ)いたからこそ、内部からあっけなく崩壊(ほうかい)してしまったのです。
そして、その崩壊のきっかけとなったものこそが、日本がつくったハイテク製品でした。すなわち、東欧共産主義国家の破綻は我が国にこそその遠因があり、また、それは大国ソ連といえども例外ではなかったのです。
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ぴーち こんばんは!
今や、インドネシアや、タイ、中国を初め、アジアから輸入されてくる商品の精度の良さには
驚かされる事も増えて来ましたよね。
逆に「この雑な箱詰めに、雑な商品は何処の国の
商品かな?」と裏を観てみると
「メイドインアメリカ」だった・・なんて事がしばしば・・
日本が教えた技術力の高さが伺え知れます。
食品偽装に関しては、論外ですが(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、アジア系(特に東南アジア)の商品の精度の高さには驚かされますよね。
我が国ももっと磨きをかけた製品を今後も作り出してほしいものです。
その後、占領期から朝鮮特需(ちょうせんとくじゅ)、そして高度経済成長を経て、見事に復興を成し遂(と)げ、世界有数の経済大国となった我が国は、二度にわたる石油危機も乗り越え、次々と新商品を開発するようになりました。
日本の優(すぐ)れた製品は、やがて東欧諸国にも輸出されるようになりましたが、共産主義国家で経済が悪化し、技術力も停滞(ていたい)したままの東欧諸国では、「Made in Japan」のハイテク製品をつくることができませんでした。
かつての歴史を知る東欧諸国民にとって、見下(みくだ)していたはずの黄色人種国家である日本の製品が、自国産のものよりも優れているというのは、たとえ日本が日露戦争でロシアに勝った国であるということが分かっていても、それはそれで屈辱的(くつじょくてき)なものでした。
ところが、日本と同じだけのハイテク製品を、マレーシアやインドネシアなど、かつて白人国家の植民地であった国々がつくっていることが分かると、東欧諸国民はより激しい衝撃(しょうげき)を受けるようになったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
結局は、最初から
相手国を見下さない事なんだと
思います。
見下した相手(相手国)が自国を上回れば、
最初は驚き、次第に怒りがこみ上げ、
おしまいには恨みに変化していく。
見下した国の考え方次第で、相手国は
良い方にも悪い方にもなる。
けれど、そこはやはり人間ですので
仏の様な境地には到底なれないのが
常なのでしょうけれどね(^_^;)
オバrev やはり社会主義国と自由主義国での圧倒的な技術力の差というのを知らしめたというのは大きかったんでしょうね。その最大のものは米ソの軍事力の差だったんでしょうけど。
自由競争による技術力の進歩が、社会主義の限界を知らしめたとは皮肉なもんですけど、大きな社会実験の結果は明らかですよね。
さあそこで、この歴史的事実が現在の中国に当てはまるのかどうかを、実は知りたいです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
まして「白人」であるがゆえに、同じ人間扱いしてこなかった有色人種が、自分たちよりも実はすぐれているという現実は、到底受けいれられなかったであろうと推察できます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > さあそこで、この歴史的事実が現在の中国に当てはまるのかどうかを、実は知りたいです。
私も知りたいです(笑)。
冗談はともかく、現在のチャイナについては、通史終了時に改めて振り返る予定ですが、社会主義に資本主義を含めるという「裏技」で当面は乗り切っても、いずれその矛盾が彼の国を苦しめることでしょう。