かくして、我が国は自国の安全保障をアメリカに委(ゆだ)ねるかたちとなりましたが、当初結ばれた条約は片務的(へんむてき、契約の当事者の一方のみが義務を負うこと)であり、アメリカに有利な内容となっていました。
例えば、我が国に駐留するアメリカ軍に日本防衛の義務がないことや、駐留軍には日本政府の要請(ようせい)に応じて内乱を鎮圧(ちんあつ)する権利があってもその義務がないこと、あるいは日本の意思だけでは条約を廃棄(はいき)できないことなどが規定されていたのです。
しかし、日本国憲法において事実上の非武装国(ひぶそうこく)と化していた我が国が、独立回復を機に米軍に撤退(てったい)されれば、丸裸となった我が国が他国に侵略(しんりゃく)されるのは自明の理でした。現実問題として、我が国が現在に至(いた)るまで平和が保(たも)たれているのは、アメリカの「核の傘(かさ)」に入り込むかたちとなった日米安保条約のおかげであり、決して日本国憲法第9条によるものではありません。
なお、日米安保条約は、対等な立場での日米軍事同盟の構築(こうちく)を目指して、約10年後の昭和35(1960)年に改定されましたが、その際に大規模(だいきぼ)な抗議行動が起こりました(詳しくは後述します)。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
この平和を保つことが出来た理由が憲法9条ではないと言う事は理解出来ましたが、何故にこれまでこの9条に関して、国内でこれほどまでに改定に対して反対の声や、渋る様な様子が続いて来たのでしょうか。
全く無関係だとすれば、どうしてすんなり改定にこぎつくことが出来ないのでしょう。
それは国内ばかりではなく、アメリカとの関係の中で日本が気遣いしなければいけない理由でも
あったのでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 憲法改正が現実になろうとしつつある現在では信じられないかもしれませんが、当時の我が国は米ソ冷戦のあおりを受け、国内における「反米親ソ」のうねりが非常に大きかったことが主因です。
親ソの思想からすれば、アメリカの「核の傘」は我が国の共産主義化にとって大敵であり、だからこそ現実を見ないようにするため、憲法9条の平和主義をことさらに持ち上げたのです。そして、この流れはソ連崩壊から20年以上たった今でも、親ソが親中に代わっただけで基本的には同じです。
無名の読書人 いつも訪問してくださり、ありがとうございます。現役教員だけあって、資料も相当読み込まれているようですね。8月が近づくと、どうしても戦争を意識させられます。書かれている内容はとても興味深いです。
ぴーち おはようございます!
いつもながら、丁寧なご解答、ありがとうございます<m(__)m>
そうですか・・
悪く言うと
日本はそうやって、アメリカとソ連のどちらにも
媚を売ることで、これまで生き延びて来たということなのですね。
そう考えると、日本は強かな国でもあるわけですねぇ・・・
無名の読書人さんへ
黒田裕樹 こちらこそ、お褒めのお言葉有難うございます。
現在は戦後の話が中心となっておりますが、過去記事で先の大戦についても詳しく紹介しておりますので、ぜひご覧ください。
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 確かに親米派と親ソ派の混在が、結果的に媚びを売るかたちになって我が国が生き残った感はありますね。
しかしながら、戦後70年近くがたったいまでは、我が国独自の外交に専念すべきかもしれません。