連合国のうち、ソ連やチェコスロバキア・ポーランドは講和会議に出席したものの調印せず、インド・ビルマ(現在のミャンマー)・ユーゴスラビアは参加しませんでした。また、中華人民共和国および中華民国(台湾)は、代表政権をめぐる意見不一致のため、会議に招かれませんでした。
サンフランシスコ講和条約において、我が国は海外に持っていた領土などの権利をすべて放棄(ほうき)しましたが、同時に交戦国の多くが我が国への賠償請求権(ばいしょうせいきゅうけん)を放棄しました。我が国は1年後の昭和27年にインドと日印平和条約を、中華民国(台湾)と日華平和条約を結びましたが、両国とも賠償請求権を放棄しています。
結局、我が国が戦後補償に応じたのは、フィリピンやビルマ(現在のミャンマー)・インドネシア・南ベトナム(当時)などの一部の国に留(とど)まりました。なお、我が国は南樺太(みなみからふと)や千島列島の権利を放棄しましたが、ソ連がサンフランシスコ講和条約に調印していないため、国際上における、北方領土を除(のぞ)く千島列島や南樺太の帰属は確定していません。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
いわゆる「喧嘩両成敗」の様な条件で成立したのでしょうか?(イマイチ、状況が飲み込めずに申し訳ありません)
ソ連のこのときにとった行動というのは、卑怯な手口だと見て良いのでしょうか?(調印しなかったこと)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 今回の場合は、我が国の西側諸国としての独立が、ソ連にとって都合が悪かったことから、一方的に調印しなかっただけあり、我が国には何の落ち度もありません。
講和会議そのものにはちゃっかり出席しているあたりは何とも言えないものがありますが…。