やがて病を得た官兵衛は、慶長9年3月20日(1604年4月19日)に、京都の伏見で59歳の波乱に満ちた生涯を閉じました。以下は官兵衛の辞世の句です。
「おもひをく 言の葉なくて つゐに行く 道はまよはじ なるにまかせて」
自分の人生にはもはや思い残すこともなく、伝えるべき言葉もない。後は道に迷うこともなく、成り行きに任せて神のもとに向かうだけであるという、キリシタン大名らしい辞世の句といえそうです。
官兵衛の葬儀はキリスト教式で行われた後、長政によって仏式でも挙行されました。なお、官兵衛亡き後の黒田氏は筑前52万石の大名として、紆余曲折(うよきょくせつ)を経ながらも明治維新まで命脈を保(たも)つこととなりました。
※下記の映像は6月20日までの掲載分をまとめたものです。





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とまと え、黒田官兵衛って、キリシタンだったんですか?
(大河ドラマをちゃんと見てないのバレパレ)
また、以前のように、こちらで歴史の勉強をさせて頂きたいと思います。
よろしくお願いしますm(__)m
とまとさんへ
黒田裕樹 お久しぶりです。
拙ブログも開設以来5年が経過しましたが、何とか毎日更新を続けております。
今後ともよろしくお願いいたします。
ぴーち こんばんは!
官兵衛はキリスト教信者で、その子供には
同じ宗教の相続はされなかったんですか。
出来れば、いづれの宗教にせよ、子供にも
同じものを信じるように残せたら、良かった
かも知れませんが・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 官兵衛の息子である長政は、当初はキリスト教に入信していましたが、幕府の弾圧が厳しくなると棄教しています。官兵衛と違って現実主義者なのかもしれませんね。