村重の謀反(むほん)に対して、官兵衛の主君であった小寺政職(こでらまさもと)も同調しようとしたため、官兵衛は村重を説得しようと単身で有岡城に乗り込みましたが、逆に捕えられ、城内の土牢(つちろう)に入れられてしまいました。
有岡城に出向いたまま、いつまで経っても帰ってこない官兵衛に対して、信長や秀吉は「官兵衛は裏切ったのか」と不信感を抱(いだ)くようになりました。信長には人質として官兵衛の子の松寿丸を差し出しており、このままでは見せしめのために殺害される可能性がありました。
官兵衛の、いや黒田氏にとっても最大のピンチといえましたが、これらを救ったのが、普段から見せていた官兵衛の「優しさ」でした。
※下記の映像は6月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
優しさは
特に戦乱の世の中ならば、無用なものだと
一蹴されてしまうものなのでしょうけれど、
これまで
人に与えて来た優しさは
いざ自分がピンチに
陥ったときに、自分へ返って来るものだと
信じたいですね。
まさにこの時が、官兵衛自身自分の身を
助けることになった場面なんでしょうね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ことわざの「情けは人のためならず」を彷彿とさせるエピソードとなります。
そして、それは官兵衛の自身の行動にもつながってくるのです。