不況による人員整理によって、街には失業者が増大するとともに、労働争議も激しくなりましたが、昭和24(1949)年に、国鉄(現在のJR)による人員整理の発表直後に下山事件(しもやまじけん)・三鷹事件(みたかじけん)・松川事件(まつかわじけん)が相次(あいつ)いで発生した際、疑いの目が国鉄労働組合や共産党に向けられたことで、労働運動は大きな打撃(だげき)を受けました。なお、これらの事件の真相はいまだに謎に包まれています。
この他、不況の深刻化以前の昭和23(1948)年には、GHQの命令による政令201号によって国家公務員法が改正され、当初は認められていた官公庁職員のストライキが禁止されました。
また、昭和25(1950)年に、産別内における共産党の党勢拡大に反発した勢力を中心に、日本労働組合総評議会(にほんろうどうくみあいそうひょうぎかい、別名を総評=そうひょう)が結成されたり、日本農民組合が分裂(ぶんれつ)して反共主義の全国農民組合が結成されたりするなど、内部分裂を起こした労働運動は次第に沈静化(ちんせいか)しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます!
この頃の日本国民の勢いというのは
凄かったですね。
今の若者を見ていると、その頃の反骨精神や
生きるために何を訴えるべきか、あるいは
行動に出すべきかと躊躇している
所があり、結局、政府が決めたことだから
それに従うだけ・・事なかれ主義で
穏便に済まそうとする所がうかがえます。
それと言うのも、やはり
反対意見を封じ込めて
国にとっては面倒な事態を避けたいが為に
まずは教育制度そのものを変えて、
反骨精神そのものを萎えさせようという
意図が実を結んでしまっているかのようです。
けれどその中でも世の中に対して
様々な意見を持つ者も居ますが、数が
少ないとそれを押し切る力を発揮できないまま
揉み消されてしまう・・
個人主義も良いけれど、団結する
気持ちを削いでいるということも、
同じ教育制度の産物なのでしょうか・・・?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに、従順な人間を大量生産することが教育ではありませんからね。
大切なのは、自分たちの生活や活動を通じて、国家全体の利益になれるような道を目指すことでしょう。
少なくとも、一定の層のみが利権を得るための活動であってはなりません。