寮の各部屋の孤児一人ひとりに対して声をかけられた陛下は、最後の部屋で父と母の位牌(いはい)を抱いていた女の子に目を留められ、お尋(たず)ねになりました。
「(位牌をご覧になって)お父さん、お母さん?」
「はい、そうです」。
「どこで?」
「父はソ満(そまん、ソ連と満州のこと)国境で、母は引揚げの途中で亡くなりました」。
じっと女の子の顔をご覧になった陛下は、悲しそうなお顔をされてお言葉を続けられました。
「おさびしい?」
「いいえ、さびしくはありません。私は仏の子供ですから、お父さんやお母さんに会いたいと思えば、み仏様の前に座って呼びかければ、そばにやって来てそっと私を抱きしめてくれます。ですから私はさびしくはありません」。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます!
昔はちゃんと「死生観」と言うものを
子供のうちからしっかりと教えていた家庭も
多かったと思います。
死と言う現象は、誰しも避けて通れるものではないだけに、肉体は滅んでも魂だけはその後も存命する
(宗派によっては、死んでしまえば消滅してしまうと唱えるものもありますが)と言うことを知るだけでも、生きている者の
気持ちは救われると思いますし、今現在生きている
うえでの心構えも違ってくると思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
「唯物史観」がはびこってしまった現代ではなかなか考えられなくなりましたが、昔の「日本人の死生観」も重要な伝統ですので、大事にしなければと思います。