そんな折に、敗戦直後に臨時軍事費が大量に支払われたり、生活に不安を感じた多くの人々が預金を引き出ししたりしたことによって、日本銀行の対民間貸出しが増加するなど、戦後処理にともなって政府が通貨を増発しました。
物不足で供給が停滞(ていたい)している際に、多数の通貨が市中に出回って需要(じゅよう)を誘発(ゆうはつ)したことから、悪性のインフレーション(=ハイパーインフレ)が我が国で進行してしまったのです。
このため、政府は昭和21(1946)年2月に幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣が金融緊急措置令(きんゆうきんきゅうそちれい)を公布し、新紙幣(=新円)を発行した後に一週間を期限として手持ちの紙幣(=旧円)と交換させ(これを「新円切換え」といいます)、それ以降の旧円の流通を禁止しました。
これによって一定額以上の預金封鎖(よきんふうさ)が可能となり、同年2月時点で618億円あった日銀券が3月には152億円に激減(げきげん)するなど、インフレを抑(おさ)える効果をもたらしましたが、結局は一時しのぎに過ぎず、通貨の流通量はその後も増大を続け、インフレも進行しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
- 黒田先生
青田です。
このスーパーインフレは、かなり、きついですね。
しかも、私は、この事実を
知りませんでした。
私は、終戦→GHQの援助→朝鮮特需
とトントン拍子で、復興があったと思ってました。
なぜか、戦後史は、出版されている本も少なく
マスコミでもほとんど報道しませんので、現代人の多くは、この事実を知りませんね。
ぴーち こんにちは!
戦中もきっと厳しい生活を強いられていたでしょうけれど、こうして伺っていると戦後の方が
人々の生活はかなり過酷を強いられていたんですね・・
青田さんへ
黒田裕樹 冷静に考えれば、朝鮮特需まで5年もあるんですから、順調な復興などありえないんですけどね。
当時の苦難の歴史はもっと知られるべきです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 戦中もきっと厳しい生活を強いられていたでしょうけれど、こうして伺っていると戦後の方が
> 人々の生活はかなり過酷を強いられていたんですね・・
そのとおりですね。戦争に負けて、我が国が滅びるかもしれない。そんな極限状態に加えての飢餓の恐怖や経済の破たん。よくぞ立ち直ったものです。