「私もそう思います。この葉巻は南方の第一線から届いたものですが、私は嗜(たしな)みませんので総理に差し上げます」。
そう言って貫太郎に葉巻を渡すと、阿南陸相は踵(きびす)を返して去ってきました。その後ろ姿を見送りながら、貫太郎は心の中でつぶやきました。
「阿南君は暇乞(いとまご)いに来たのだろう」。
貫太郎の慧眼(けいがん、物事の本質を見抜く鋭い洞察力のこと)どおり、阿南陸相は昭和天皇から拝領(はいりょう)したワイシャツを身に着けると、翌8月15日午前4時40分に、すべての責任を取って割腹(かっぷく)自決しました。想像を絶する痛みや苦しみのなか、阿南陸相は介錯(かいしゃく、とどめを刺して楽にすること)を断り、午前7時10分に絶命しました。以下は血染めの遺書に残された阿南陸相の最期の言葉と辞世の句です。
「一死以テ大罪ヲ謝シ奉(たてまつ)ル 神州不滅ヲ確信シツツ」
「大君(おおきみ)の 深き恵に 浴(あ)みし身は 言いのこすべき 片言(かたこと)もなし」





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
そうですねぇ・・
想像したくない程の
壮絶な場面ですねぇ・・
今日ばかりはノーコメントにさせて
いただきたい気持ちになりましたが、
天皇も阿南陸相のこの様な
責任の取り方にさぞお心を痛まれたことでしょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんのお気持ち、お察しいたします。
事実を述べるときが、時として悲しいこともありますが、陛下のお気持ちに関しては次回の更新で紹介したいと思います。