鈴木内閣は、表向きは本土決戦などの強硬策を唱えながら、その裏では密(ひそ)かに戦争終結を図ろうと努力していました。しかし、交渉がなかなか進まない間に、ルーズベルトの後継として大統領に就任したアメリカのトルーマンと、イギリスのチャーチル、そしてソ連のスターリンとが7月にドイツのベルリン郊外のポツダムで、第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談を行いました。これをポツダム会談といいます。
会談を受けて、7月26日にはアメリカ・イギリス・中華民国の3ヵ国によるポツダム宣言が発表されました。当時はソ連が対日戦に加わっていなかったため、中国を加えることでカムフラージュしようと考えたのです。
なお、鈴木内閣はソ連が参戦の決定をしていたことを見抜けず、ソ連に対して和平の斡旋(あっせん)を要請していました。このあたりにも当時の我が国の情報戦における決定的な敗北、インテリジェンスの欠如(けつじょ)が見受けられます。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
こんなに情報が溢れている時代でありながら、
現代でも日本は情報に対してどこか鈍感な
所がありますよね?
何が原因なのかは存じませんが、
やはり俗に言う「平和ボケ」が根底に
ある為なのでしょうか?^_^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 現代においては「平和ボケ」による注意力散漫も大きいとは思いますが、戦前と現在とで共通しているのは、いわゆる「スパイ」が政治の世界の奥深くまではびこっているのを許していることだと思います。
戦前はゾルゲや尾崎秀実がそうであり、現在では…。