かくして、政党政治を行う立場である政党人自らが「軍部は政府の言うことを聞く必要がない=内閣は軍に干渉できない」ことを認めてしまった「統帥権干犯問題」をきっかけとして、我が国では軍部の暴走を事実上誰も止められなくなってしまいましたが、さらに事態を深刻化させたのが、当時の青年将校を中心に軍部にはびこっていた「ある思想」でした。
なお、統帥権干犯が主張され始めた当時に海軍軍令部長を務めていたのは条約締結に強硬に反対していた加藤寛治(かとうひろはる)でしたが、彼の前任者こそが鈴木貫太郎であり、普段から「軍人は政治に関わるべきではない」と考えていた貫太郎であれば、もしかしたら統帥権干犯問題は起きなかったかもしれません。
統帥権干犯問題が表面化した当時は、世界恐慌(せかいきょうこう)と呼ばれた不景気が全世界を暗く覆(おお)っていましたが、アメリカやイギリスなどの広大な領土や植民地を持つ欧米諸国は、自国の経済を守る目的で他国からの輸入品に多額の関税をかけるという、いわゆるブロック経済の政策を進めました。
国内で自給自足できる国ならそれで良いかもしれません。しかし、我が国のように資源に乏(とぼ)しく、外国との貿易に頼っている国家にとって、ブロック経済は深刻な打撃になりました。その一方で、建国されてから日の浅い共産主義国のソビエト社会主義共和国連邦(現在のロシア)による政策は、地方出身者が多く、その家族が貧困生活にあえいでいた青年将校たちにとっては、魅力的に映りました。
かくして軍部では天皇を中心としただけで、実質的には社会主義である「国家社会主義」思想が主流となり、地主や資本家などの富裕層や、彼らと癒着(ゆちゃく)していると思われた政党政治家を激しく憎むようになりました。また、天皇に絶対の忠誠を誓っていた青年将校たちにとって、昭和天皇にお仕えしていた侍従長の貫太郎は「君側(くんそく)の奸(かん)」として、命を狙(ねら)われる存在と化したのです。





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ぴーち こんばんは!
資源が乏しいというのは、国として
大きなハンデでもあり
致命的でもありますね・・。
しかしながら、資源もお金もそうですが
そのものが無ければ、生きていく中に
工夫が生まれ
逆に豊富であれば、怠慢になりがちですよね。
そういう意味では、生きていく為の
知恵が絞り甲斐のある
国に生まれ育ったことを誇りに思う
べきなのかも知れませんね^^
それにしても、貫太郎氏のその後の運命が
気になります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに我が国が抱えたハンデは大きいですが、その分工夫をするという精神が身についたことは良かったですね。とはいえ限度というものもありますが…。
> それにしても、貫太郎氏のその後の運命が
> 気になります。
次回の更新から衝撃的になってしまいますね…。
国家社会主義とは~青年将校の気持ち
鹿児島のタク おはようございます。
「国家社会主義」思想…えっ、当時の日本が社会主義だなんて…と思っていました。でも、すごい「格差社会」だったのでしょうか。
2.26事件を主導した陸軍青年将校たちは、自分の部下たちに自分の給与を与えたりして、苦労していたとのことを著作物で読みました。
「君側の奸」…青年将校たちは本当に純粋に、誠実にそう思っていたと思いますが、いかがでしょうか。
※ ドイツの「ナチス」を「国家社会主義労働者党」と言いますよね。これは、どういうことなのでしょうか。事態が日本と似ていたのでしょうか。
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 当時の我が国は決して格差社会ではありません。強いて言えば、世界恐慌がもたらした不景気や、金解禁を強行した政治の失策などが、人々の貧しさをより一層強めたといえるでしょう。こんな時だからこそ、財閥にしっかりしてもらって失地回復を目指すべきなのですが、社会主義に染まった将校たちに目の敵にされてしまっては…。
青年将校の思いは純粋であっても、果たしてそれが本当に「昭和天皇のご意思」に合致していたかどうか、を冷静に判断するべきでしょう。全員がそうだとは言いませんが、事件後に処罰を受けた将校の一人は、自分の思い通りにならなかった陛下を死ぬまで卑下していたということですし。
国家社会主義は天皇を中心に据えただけで、実際には社会主義の思想です。天皇をヒットラーやスターリンに置き換えれば、そのまま外国の思想と化します。