また、憲法改正における重要な審議である憲法改正特別小委員会は非公開とされ、すべてがGHQの思惑(おもわく)どおりに進められたうえで、若干(じゃっかん)の変更を加えたのみで衆議院と貴族院で相次(あいつ)いで可決され、昭和天皇の裁可(さいか)を経て昭和21(1946)年11月3日に日本国憲法が公布(こうふ)されました。
新しく制定された日本国憲法がマッカーサー草案を下敷(したじ)きとしていることはGHQによって機密(きみつ)事項とされ、我が国が独立を回復する昭和27(1952)年まで一切公表されませんでした。国民が全くあずかり知らないところで新しい憲法が誕生していただけでなく、そこには本来許されるべき日本人による自由な憲法批判が全く認められないという閉鎖性(へいさせい)が秘められていたのです。
数年もの準備期間を経たうえに枢密院(すうみついん)での審議にも一年近くを費(つい)やして完成した明治憲法に対して、憲法の素人が一週間で書き上げた、しかも外国製の憲法を、国会での審議とは名ばかりでGHQによって無理やり制定させられた日本国憲法。憲法に対する我が国での自由な議論は大いになされるべきですが、少なくとも両憲法の成立過程を十分に理解したうえで進めるべきではないでしょうか。
なお、日本国憲法の制定は、形式上は明治憲法の改正手続きに則(のっと)って行われましたが、枢密顧問官(すうみつこもんかん)として改正作業にかかわっていた憲法学者の美濃部達吉(みのべたつきち)は、明治憲法下でも民主化は可能であることを理由として、憲法の全面改正に一貫(いっかん)して反対しています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
たった一週間とは驚きました!
こうしてお話を伺っていると、日本人は
どんな環境下であれ、臨機応変に
対応し、直ぐに環境に慣れ親しんでしまう
器用さが備わった人種であることが分かる様な
気がしました。
時に、その器用さが長所に働くこともあれば、短所に働く場合もあるかとは思いますが、この無理やりで、しかも外国製の憲法に、多少の戸惑いは感じても、慣れ親しんでしまう日本国民の器用さは
結果的には長所と解釈しても良かったのでしょうかね・・?
昭和27年という歳月の重さ
- 黒田先生
青田です。
昭和27年まで、日本国憲法がマッカーサー草案が下敷になっていたという事実が、一切、国民に公開されなかったという事実は、非常に重いですね。
昭和20年~昭和27年まで、日本人が創った憲法だと信じいていた日本人が、次の世代に伝えていたわけですから、
これは、教育などにも大きな影響を与えてしまいます。
というのも、私は、昭和41年生まれです。
私が生まれる14年前まで、非公開だったわけです。
そう考えると、私を教えた小学校時代の教師は、
日本人が創った憲法だと信じていた教師も多くいたのも、納得できます。
(ちょうど、その教師が、学生時代が昭和20年~昭和27年になります。)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、仰る意味では長所の一面も見受けられるかもしれませんが、この後に紹介する憲法の条文を考慮すれば、やはりとんでもないことであるといわざるを得ませんね…。
青田さんへ
黒田裕樹 仰る側面があるからこそ、非公開による洗脳の恐ろしさが実感できますね。
独立回復後の動きの鈍さが本当に残念です。
オバrev 押し付けられた日本国憲法の実態は、これまで非公開とも言えるくらい知られていない内容だと思いますが、何故そうなったんでしょうか?憲法改正が検討される今後、これらの実態が明らかになる可能性はあるのだろうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 日本国憲法の実態について知れば知るほど、アメリカの言いなりで作ったという過程が明らかとなり、都合の悪い勢力が多いからと考えられますね。
しかし、我が国が真の独立国となるためにも、実態の検証は避けられません。