大東亜戦争(だいとうあせんそう)で我が国は敗北しましたが、結果として欧米列強(おうべいれっきょう)が持っていた植民地が解放され、アジアからアフリカ・アメリカ大陸に至(いた)るまで多くの国家が独立する流れへとつながっていきました。
日本など有色人種(ゆうしょくじんしゅ)の国家にとって悲願でもあった「人種差別の撤廃(てっぱい)」という大きな理想は大東亜戦争によって初めて達成されたといえますが、こうした現実は白色人種たる欧米列強にとって許されざる問題でした。
「日本のせいで自分たちが甘い汁を吸えなくなった」。そうした嫉妬(しっと)とも憎悪(ぞうお)ともいえるどす黒い感情が、敗戦国となった我が国に容赦(ようしゃ)なく襲(おそ)いかかったのが東京裁判だったのですが、その実態は裁判とは名ばかりの「戦勝国による復讐(ふくしゅう)の儀式(ぎしき)」でした。
なぜなら、東京裁判の裁判官が戦勝当事国からしか出ていないからです。本来は中立国から出せばよいのであり、それが無理ならせめて戦勝国と同数の裁判官を敗戦国から出すべきでした。
要するに東京裁判は「戦争の勝者が敗者を裁く」という一方的な内容であるとともに、それまでの国際法などの法律を一切無視したものであったことから、その正当性すら疑わしい「茶番(ちゃばん)」だったといえるのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
東京裁判は、、国民の多くも、
今だにその裁判しか注目されてないですが
それ以前も無茶苦茶な裁判で、日本人が
裁かれているようですね。
東京裁判は、1946年。
たとえば、1945年10月にマニラ裁判で
山下泰文陸軍大将は、死刑になっています。
敗戦から、わずか2ヶ月です。
しかも、軍人として軍服の着用も許されず、
絞首刑です。
ここまでいくと裁判というよりも、
リンチですね。
おおよそ、民主主義を標榜する国のすることではないと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、近代国家のやることではないですね。
日本に対する恨みと、有色人種への偏見がそうさせたのでしょうか。時計の針は元には戻らないというのに。
マッカーサーの復讐の場
- 黒田先生
青田です。
やはり、東京裁判は、マッカーサーの復讐の場であった気がします。
(それ以外の要素ももちろん複雑に絡んでいたと思いますが)
というのも、東京裁判で、裁かれた多くが陸軍出身者で、海軍は、ほとんどいません。
東京裁判の前の
マニラ裁判でも、マッカーサーをフィリピン攻防戦で、敗退させた本間雅晴中将を銃殺刑にし、
最後まで抵抗した山下泰文陸軍大将を絞殺刑にしています。
ただ、マッカーサーは、その後、
「東京裁判は誤りだった」とトルーマン大統領に告白し、日本の戦争は「正当防衛だった」とアメリカ上院の外交・軍事委員会で証言しています。
それなのに
70年経った今でも、日本人自身が、自虐史観になっているのは、どうも納得できません。
ぴーち こんばんは!
お話を伺っているだけでも、本当に許しがたい事実だとは思いますが、
日本のこうした犠牲が、多くの有色人種を抱える国を結果的には救うことになった事は非常に尊いものだと思います。
白人が仕切る国からは、たとえ永遠に疎まれても、
この一件で救われた国々の人たちの記憶に、日本のこのような功績があったからこそ、今の自分たちがあるのだ・・くらいの認識を
少しでも多くの人たちに持っていて貰いたいものだなと思います。
青田さんへ その2
黒田裕樹 私も同感ではありますが、あまり話を先走らないでくださいね。悪い癖ですよ(笑)。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
我が国が信念をもって成し遂げた人種差別の撤廃は、新興国を含む多くの国家がその功績を認めてくださっています。
それなのに我が国がいつまでも他国にへりくだる姿勢を続けるのはいかがなものでしょうか。