「死を説(と)き生を説いて、死と生とを弁(べん)ぜず。而(しこう)して死と生とを忘れて死と生との地を説け」。
直訳すれば「死とは何かを説き、生とは何かを説こうとしても、死と生とはわかるものではない。むしろ、死と生とを忘れ、死すべき地と生きるべき地とを説け」となるこの言葉に託(たく)された真意はどこにあるのでしょうか。
人間は「死とは何か」「生とは何か」を抽象的(ちゅうしょうてき)あるいは思弁的(しべんてき、経験によらず思考や論理にのみ基づいていること)に考えても、なかなか真理に到達(とうたつ)できるものではないが、生死の抽象的な思考を一旦脇(わき)に置いて、生死の問題から来る不安を去り、現実的に、あるいは具体的に自分がどこに活路を見出(みいだ)し、どこで死を決すべきかを常に平常心で考え、覚悟できている境地を磨くべきである。
西郷はそのような境地(きょうち)を得ていたのではないでしょうか。ただしこれも現在の私の理解でしかなく、西郷の偉大(いだい)さにもっと触(ふ)れようと試(こころ)みるのであれば、さらなる深い理解が必要であると考えています。
ところで、西郷は決起した際に「おはんらにこの命預けもんそ」と言っていますね。この言葉、普通は逆ではないでしょうか?





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ぴーち こんばんは!
「おはんらにこの命預けもんそ」とは「お前たちに
自分の命を預けるぞ」と言う意味で解釈して
良いのでしょうか?
方言の意味が判らずにすみませんm(__)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「おはんらにこの命預けもんそ」とは「お前たちに
> 自分の命を預けるぞ」と言う意味で解釈して
> 良いのでしょうか?
そのとおりです。
しかし、これから戦いに挑もうとする指揮官の言葉としては逆なんですよね。
その真意はどこにあるのでしょうか。