昭和20(1945)年10月には軍国主義や国家主義的とみなした教育を禁止するとともに、これらに抵触(ていしょく)するとして約11万人もの教職者を追放するよう指令しました。これを教職追放といいます。
さらにGHQは、我が国の伝統的な神道(しんとう)を軍国主義のイデオロギーと一方的にみなして、同年12月に神道を国家から分離(ぶんり)するために神道指令を発布(はっぷ)しました。
神道指令によって神道は単なる一宗教の扱(あつか)いを受けることとなり、国家神道や神社神道に対する国家の支援(しえん)も禁止されました。これには神社をいずれ自然消滅(しぜんしょうめつ)させるというGHQの意図(いと)があったとされています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
歴史の授業で、散々、神道=軍国主義と
洗脳されました。
まさか、GHQが創ったシステムだったとは。。
ぴーち こんにちは!
今でも有名、無名問わず
神社が各地に存続しているということは、
その後、神道のご努力で復活されたのでしょうか?それともこの時に命令を覆すなにか大きな圧力が加わったのでしょうか・・?
青田さんへ
黒田裕樹 私自身も真実を知った時は驚きました。
GHQにより洗脳の恐ろしさと、それが今もなお続いているという現実に慄然としますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 GHQが我が国の長年の神社に対する信仰を理解できず、一神教と同一視して潰せると高をくくっていた感もありますね。
但しその洗脳能力は尋常ではなく、神主や住職の中にもいわゆる「唯物論者」が増えているという話を聞いたことがあります。
昭和20(1945)年10月9日に内閣を発足(ほっそく)させた幣原は、11日に新任挨拶(あいさつ)のためマッカーサーに面会に出向きましたが、そこで待っていたのはGHQによる一方的な要求でした。
マッカーサーは幣原首相に対し、面会したその場で大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう、別名を明治憲法=めいじけんぽう)の改正を示唆(しさ、ほのめかすこと)すると同時に、以下の5つの改革を口頭(こうとう)で要求しました。これを五大改革指令(ごだいかいかくしれい)といいます。
1.婦人参政権(ふじんさんせいけん)の付与(ふよ)
2.労働組合の結成奨励(しょうれい)
3.教育の自由主義化
4.秘密警察(ひみつけいさつ)などの廃止(はいし)
5.経済の民主化
なお、憲法改正問題に関しては別の機会で詳しく紹介(しょうかい)します。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
改革指令の内容はいづれにせよ、
気になる点は、やはり「弱腰」である事ですね。
主張すべき事は、主張し、例えそれがアメリカに拒絶されても、何が何でも押し通すんだという強い意思が
その当時の内閣にも存在していれば、また日本への対応が変わっていたかもしれませんね。
占領とは、不条理で、理不尽なもの
- 黒田先生
青田です。
占領された国というのは、ここまで、理不尽で、
不条理な思いをしないといけないのですね。
この時の日本は、近代国家として、かなり、見識・良識を前提にした、体制を創っていました。
しかし、GHQの理不尽な要求に何の知識・見識も全く、通用しませんでした。
今の日本人は、こういう話自体、ネガティブな話として、敬遠し、単なる昔話だからと真実を知ろうとしませんが、
ただ、これは、単なる悲劇の昔話とは、思えません。
現代にも有り得る話です。
もし、近隣の某国に占領されたら、同じような(もっと、理不尽な)する可能性があります。
『歴史から、学ばない国は、必ず、凋落する。』ことを忘れてはいけませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、弱腰外交の幣原首相では荷が重すぎました。短期間で内閣を辞職した東久邇宮のような気概がほしかったとも言えますね。
青田さんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
悲惨な経験を経たのであれば、二度と同じ目にあってはなりません。
そのためにも私たちは「正しい戦後史」と向き合わねばならないのです。
東久邇宮が首相に任命された背景には、我が国が連合国に降伏(こうふく)したことに納得しない陸軍の武装(ぶそう)を解除(かいじょ)するとともに、ポツダム宣言(せんげん)に基(もと)づく終戦に伴(ともな)う手続を円滑(えんかつ)に進めるためには、皇族であり陸軍大将でもあった東久邇宮がふさわしいと考えられたためとされています。
「国体の護持(ごじ)」を基本方針とした東久邇宮内閣は、昭和天皇の「終戦の詔書(しょうしょ)」やポツダム宣言に則(のっと)って戦後の再建に務(つと)めようとしましたが、同年10月にGHQは「人権の確保」を名目(めいもく)として治安維持法(ちあんいじほう)や特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ、別名を特高=とっこう)の廃止(はいし)、日本共産党員をはじめとする政治犯の即時釈放(そくじしゃくほう)、また共産党員など治安維持法の違反者(いはんしゃ)への引き続きの処罰(しょばつ)を求めた大臣や官僚(かんりょう)を罷免(ひめん、職務をやめさせること)することなどを求める「人権指令(じんけんしれい)」を発しました。
しかし、GHQによるこれらの要求を認めれば、天皇に関する自由な(というより批判的な)議論を奨励(しょうれい)するのみならず、国内での共産活動が再活発化し、我が国で革命(かくめい)が起こることを危惧(きぐ)した東久邇宮内閣は、治安に責任が持てないことを理由に10月5日に総辞職しました。東久邇宮内閣の在任期間は54日しかなく、現在でも歴代最短となっています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
皇族でしかも陸軍大将を経験された方が
内閣総理大臣に任命されていたのは、初めて伺いました。
この事は歴史に明るい方なら
皆さんご周知の事なのでしょうけれど、私の様に知らない方も多いのではないでしょうか・・。
やはり、任期期間が短かかったことも理由に挙げられることと思いますが・・
(あくまで自分目線な物言いで申し訳ありませんが^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 いえいえ、戦後史については学校の授業でもなかなか取り上げられることはありませんし、ご存じないのもご無理はないと思いますよ。
むしろ我々が教えられていないことが大きな問題であるともいえますからね。
降伏(こうふく)直前の我が国の混乱に乗じ、中立条約を一方的に破棄(はき)して我が国に侵攻(しんこう)したソ連は、アメリカに対して南樺太(みなみからふと)や千島列島全島、さらには北海道の北半分をソ連軍に占領(せんりょう)させることを要求しましたが、占守島(しゅむしゅとう)において日本軍が勇敢(ゆうかん)に戦ったこともあり、最終的に認められませんでした。
もしソ連が自力で勝手に北海道を占領するなどの既成事実(きせいじじつ)をつくってしまえば、いかにアメリカの強い意思表示があったとしても、それを覆(くつがえ)すことは難しかったでしょう。ただし、北海道こそ占領を免(まぬが)れたものの、南樺太と千島列島をソ連軍が不法に占領した状態(じょうたい)がこの後も続くことになってしまいました。
なお、大東亜戦争終結まで我が国の領土であった朝鮮半島は日本から分離(ぶんり)されましたが、北緯(ほくい)38度を境界としてソ連軍が北側を、アメリカ軍が南側を分割(ぶんかつ)して占領するかたちとなり、朝鮮人による自力の独立は果たせませんでした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
日本はドイツの様に半分に分断されなかったとしても、こうして伺っていると、大きく目立つものが無いだけで、僅かながらでも切り分けられているんですものね。
しかも、その後、じわじわとアメリカのこうした占拠にただただ従わなければいけなかったわけですので、敗戦の痛手はしっかりと味わっている
ことになりますよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、敗戦によって我が国の領土が削られたことは厳然たる事実です。
この痛手をしっかりと受け止め、次の世代に生かしていきたいですね。
29.占領軍総司令部(または地方の軍政部)への不適切(ふてきせつ)な言及(げんきゅう)
GHQを聖域(せいいき)とし、一切言及できないようにしました。
30.時期尚早(じきしょうそう)の発表
解禁されていない報道の公表を禁じることによってGHQによる政策の一切を隠蔽(いんぺい)し、同時に日本人に対策を立てさせない効果をもたらしました。
プレス=コードによって我が国は新聞から雑誌、私的書簡(してきしょかん)に至(いた)るまですべての文書が丹念(たんねん)に検閲(けんえつ)され、プレス=コードに触(ふ)れると判断されれば容赦(ようしゃ)なく発禁あるいは私信の没収(ぼっしゅう)が行われました。
プレス=コードは発行済のものにまで及(およ)び、当時の国民学校や中学校の教科書の至るところが墨塗(すみぬ)りで消されてしまった(詳しくは後述します)だけでなく、我が国が独立を回復した後も、健全な青少年の育成に欠かせない教科書の内容を勝手に「自主規制」する流れをもたらしてしまったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
今回成立した秘密保護法は、このGHQの
方策を僅かに模倣した形となる法であったのでしょうか・・。
それにしても、教育の現場を勝手に操作されるということは今の時代からすれば、究極のタブーですよね!この時代ではそんな反発も反故されたでしょうけれど。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今回成立した秘密保護法は、このGHQの
> 方策を僅かに模倣した形となる法であったのでしょうか・・。
秘密保護法は国家の存亡にかかわる重要機密を守るための法律ですから、むしろ逆の立場ですね。
GHQという一機関に情報を集中させず、公開すべき内容は公開すべきという立場だと思われます。
> それにしても、教育の現場を勝手に操作されるということは今の時代からすれば、究極のタブーですよね!この時代ではそんな反発も反故されたでしょうけれど。
当時はGHQには一切逆らえなかったですからね。
むしろこれを奇貨として、GHQの好むような教育を押し付け続けたことが大問題でしょう。
プレス=コードについて
柊三郎 こんばんわ
GHQより示されていた30項目のプレス=コードの内容を具体的にお教え頂き有難うございます。
で、これ等はどのような形で示されたのか、書面で示されたのか、とすればそれは残っているのか、口頭の指示だったのか、とすれば情報の出典など、併せて具体的に知りたいのですが、宜しくお願い致します。
柊三郎さんへ
黒田裕樹 プレス=コードの詳細に関しては、江藤淳氏の調査によってアメリカ国立公文書館分室にその全容が保管されていたことが明らかになったそうです。今では渡部昇一先生などがご出版の書物の中で明らかにされておられます。
なお、当時の状況については私自身も不明となっております。
25.占領軍の批判
当時の米兵が罪を犯しても「背の高い男」などと抽象的(ちゅうしょうてき)な表現でしか報道できなかったばかりか、米兵の犯罪による賠償金(ばいしょうきん)を日本政府に肩代(かたがわ)りさせ、それすら報道させませんでした。
26.飢餓状態(きがじょうたい)の誇張(こちょう)
深刻(しんこく)な食糧(しょくりょう)不足で飢(う)える国民が増えていたにもかかわらず、その実態を「誇張」と一方的にみなして報道させませんでした。
27.暴力行為と不穏(ふおん)状態の誘導(ゆうどう)
日本国民による占領軍に対する抗議行動(こうぎこうどう)の一切を禁止しました。
28.虚偽(きょぎ)の陳述(ちんじゅつ)
真実の陳述であっても虚偽の陳述とみなされてしまいました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
今日の項目が今までよりも更に、唖然とさせられました^_^;
ここまで来ると、支離滅裂ですね・・
何も信じられなくなりそうです(・_・;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 もはや言いがかり以外の何物でもないですからね。
こういった真実をもっと広めなければなりません。
オバrev これはまるで共産国家以上ですね(@_@;)
でもここまでしないといけないという学問的、経験的バックアップがちゃんとあったからこそできたんだと思います。その点についてはさすがアメリカと感心します。
もしこういうことも含めて総理が日本を取り戻そうと考えているなら、相当な危機管理が必要だと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 ある意味共産主義よりもひどいかもしれませんが、ここまで徹底したアメリカの姿勢は仰るとおり見るべきところがあると思います。
我が国の真の独立の道は遠いかもしれませんが、やらないわけにはいきません。その意味においても信頼できる政治家の活躍をもっと後押ししなければなりませんね。
ブログのもう一つの目玉である「本物の歴史講座」ですが、次回(第40回)は「西郷隆盛 ~ラストサムライの生真面目な生涯」と題して、維新の三傑(さんけつ)の一人として称(たた)えられる西郷隆盛(さいごうたかもり)についてご紹介(しょうかい)します。
様々な苦難の末(すえ)に討幕(とうばく)を成(な)し遂(と)げ、明治新政府の重鎮(じゅうちん)としても多くの業績(ぎょうせき)を残しながら征韓論争(せいかんろんそう)に敗れて下野(げや)し、最後には賊軍(ぞくぐん)として城山(しろやま)の露(つゆ)と消えた西郷隆盛。
我が国の長い歴史の流れの中で、彼は私たちに何を残したのでしょうか。また、私たちは彼から何を学ぶべきなのでしょうか。
次回の歴史講座では、西郷隆盛の「ラストサムライ」としての生真面目(きまじめ)な生涯(しょうがい)をたどりながら、幕末(ばくまつ)から明治にかけての数々のエピソードなどについて、下記のとおり1月25日(土)には東京、2月1日(土)には大阪でそれぞれ詳(くわ)しく紹介したいと思いますので、多くの皆様のご参加をお願いいたします!
なお、今回の東京講演はいつもの浅草ではなく飯田橋(東京都千代田区)になりますのでご注意ください。
また、参加をご希望の方は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。
第40回黒田裕樹の歴史講座
「西郷隆盛 ~ラストサムライの生真面目な生涯」
日時:(東京)平成26年1月25日(土) 午後3時30分より
(大阪)平成26年2月1日(土) 午後6時より
(※東京と大阪で開始時間が異なります。また、今回も東京と大阪の講演順序が逆になっていますのでご注意ください)
場所:(東京)スター貸会議室 飯田橋 (会場は2階です)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
(※東京の会場がいつもと異なります。ご注意ください!)
(大阪)大阪市立総合生涯学習センター 第3研修室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:いずれも金500円(カンパも受け付けます)
なお、東京・大阪とも講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,000円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。
最後に、おなじみのブロともであるクラチーさんからの素晴らしい画像を皆様にご覧いただきます!
(※クラチーさんのブログについては、下線部からご覧いただけます。)






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鹿児島のタク 黒田先生へ
トム・クルーズらが出演していた10年ほど前の映画ですが、「ラストサムライ」がありました。
わたしも映画館へ行きましたが、渡辺謙さんが演じた(ラスト)サムライは、明治大帝の信任も厚く…実は、西郷隆盛がモチーフになっているんじゃないかと思いました。
いかがでしょうか?
鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、ラストサムライは西郷隆盛をモチーフとしているのではという見解がありますね。
私もそれを意識しながら講演する心づもりです。
空子 あけましておめでとうございます♪
今年もよろしくお願いします(*´∇`*)
西郷隆盛の生涯、すごく面白そうなテーマですね♪
今年も黒田先生のご活躍を応援してます(*´ω`*)
空子さんへ
黒田裕樹 明けましておめでとうございます。
こちらこそ今年もよろしくお願いします。
次回の講座へのお言葉有難うございます。
いずれブログでも紹介しますので、その際にはぜひお越しください。
管理人のみ閲覧できます
-
【プレス=コードの30項目すべての紹介の続きです】
21.その他の宣伝
抽象的(ちゅうしょうてき)な内容ですが、逆にこれを理由としてGHQに都合(つごう)の悪い人物を追放したり、都合の悪い文書を破棄(はき)あるいは没収(ぼっしゅう)したりすることを可能としました。
「GHQのためなら何でもあり」を可能とする重要な項目(こうもく)だったのです。
22.戦争犯罪人の正当化または弁護
この事項がいわゆる極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、別名を東京裁判=とうきょうさいばん)における連合国側の「何でもあり」を可能としました(詳しくは後日改めて紹介します)。
23.占領軍将兵の日本女性との懇交(こんこう)
日本政府がGHQの要請(ようせい)によっていわゆる「慰安所(いあんしょ)」を設けていたにもかかわらず、各地で米兵による婦女暴行が横行していましたが、これに関する記述(きじゅつ)を不可能としました。
24.闇市場の取引
物資不足は必然的に闇取引(やみとりひき)の横行を招(まね)きましたが、これに関する記述を禁止しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
この事実は、日本人が絶対に知るべきことですね。
『日本が全て悪い。
GHQに占領されて、メデタシ、メデタシ』で
終わっています。
これは
アメリカへの怒りという感情論ではありません。
戦争に負けて、占領された国がどれだけ悲惨で、惨めで
つらい思いをするかを知るためです。
それを知らないから、現在の日本は、平和ボケになっていると思います。
『もう、占領されて、あんな思いをしたくない。』が健全な国の土台です。
アメリカ以外、先進国(ヨーロッパ)で、他国に占領されてない国はありません。
その度にいろいろな智恵を出しました。
(例、スイス)
ぴーち こんばんは!
アメリカだとて、正式に慰安所としてこうした場所を定めていたというのに、何故に日本だけがある国から、慰安婦問題で謝罪、謝罪と文句を言われたり、いかにも大問題である様な騒がれ方や、抗議を受けなければならないのかが疑問です。
勿論、私自身も女性としての同じ立場から、余り歓迎は出来ない内容であるとは感じますが、それを差し引いても、この問題に限っては、何十年過ぎても日本人だけが何か汚らわしい人種、あるいは大罪人の様に言われる事が理解出来ません。
オバrev 結局、このプレスコードにハマってしまって、アメリカの思い通りに、小手先のように動いたのが戦後日本の左派という見方も出来ますか?
アメリカの手のひらで踊らされていたことを、しっかり認識して、もう一度日本の戦後を考えなおす時かもしれません。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、占領時の苦難を我が国はもっと学ばねばなりませんね。
歴史教育の重要性はここにもあると思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
完全なプロパガンダとは全く異なる、我が国に秘められた慰安所の悲劇を知ることで、現状のとんでもないことを理解すべきですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るご見解で相違ないと思います。
「我が国を取り戻す」必要性は様々な分野に存在しますね。
16.戦争弁護の宣伝
これによって本来あるはずの「戦争の原因」の隠蔽(いんぺい)に成功し、「日本だけが悪かった」という何の根拠(こんきょ)もない「架空(かくう)の神話」が独(ひと)り歩きすることになりました。
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
皇室を中心とする我が国の国体を破壊(はかい)すると同時に、我が国に「軍国主義があった」と見せかけ、戦時における日本軍の活躍(かつやく)などを報じることが禁止されました。
19.民族主義(国家主義)の宣伝
国家として当然である「民族主義の宣伝」を、日本にだけ許さないようにしました。現在の我が国が「健全なナショナリズム」の育成に努めなければならない原因の一つです。
20.大東亜に関する宣伝
我が国が持っていた、欧米列強がアジアに持っていた植民地を開放して日本を盟主(めいしゅ)とする共存共栄(きょうぞんきょうえい)の新たな国際秩序(こくさいちつじょ)を建設しようという「大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)」の構想を隠蔽するためでした。なぜなら「大東亜」という言葉だけで当時のアジア情勢(じょうせい)が分かってしまうからです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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- 黒田先生
青田です。
ようは、矛先をアメリカに向けないように
自虐史観になるようにマインドコントールすることなんですね。
まさしく、完璧なプロパガンダの支配ですね。
脱帽です。
正直、人を支配することに関しては、アングロサクソンは、日本人よりも、一枚も二枚も上ですね。
それだけ、植民地支配の歴史が長く、ノウハウを持っていたからだと思います。
あまり、知られてませんが、ハワイは、元々
カメハメ大王の支配する土地でしたが、非常に巧妙なやり方で
気がついたら、アメリカ領になっていました。
それを彼らは、何の悪気もなく、当たり前のように出来てしまいます。
日本人の道徳性は、素晴らしいと思いますが
国際社会を生きるには、日本人もそれに対抗できるしたたかさは、必要な気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 プレス=コードを振り返ると巧妙な占領政策がよく分かりますね。
独立から60年経ちましたが、今こそ歴史に学んで逆に我が国の国体を取り戻すべきでしょう。
ぴーち こんにちは!
私は黒田さんの所へお邪魔させていただく以前は、大東亜戦争に関しても、日本が仕掛けた戦争なのだとばかり勘違いしておりました。
今思うと、もう少し歴史に関心を向けていれば良かったなと思いますし、黒田さんの日頃のこうしたご努力にも改めて感謝申し上げます。m(__)m
達観的な表現で恐縮なのですが、
日本人がこれまでやってきた様々な出来事が
本当に恥ずべき事でないとしたら、
嘘で塗り固められたメッキはどんなに隙間無く、完璧に仕立てられたとしても、必ずいづれ
剥がれ落ちる時が来るものだと思います。
それまで日本が我慢して待てる状況を継続出来れば良いでしょうが、余りに次元の低い(暴力的、あるいは脅しなど)行動を起こされるのなら、
日本も一歩次元を下げて、対応していかなければいけない時が来るかも知れませんね。
オバrev このプレスコードによる洗脳から我々日本人が目覚め、祖先への尊敬の念と感謝の意を再びとりもどすには、このようなネットや出版といた地道な活動しかないのかなぁ?
あまり公に目立ち過ぎ、それがアメリカの意に反する方向に行きそうな時には、おそらく手段を選ばず社会的抹殺を計ってきそうな気もする(~_~;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
仰るとおり、我が国はいつまでも辛抱する必要はありません。
官民一体となって汚名を晴らす時が来たのかもしれませんね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、政治主導などで名誉回復を図ろうと思えば某元大臣のように抹殺されるかもしれませんね。
その意味においてもネットによる国民の本音の広がりは大きいと思います。
5.アメリカの批判
6.ソ連の批判
7.イギリスの批判
8.朝鮮人の批判
9.中国の批判
10.その他の連合国の批判
11.連合国の全体批判
連合国への批判を一切許さなかったほか、我が国と朝鮮人や中華民国(ちゅうかみんこく)とを離反(りはん)させる流れにもつながりました。
12.満州での日本人処遇(しょぐう)への批判
ソ連による侵攻(しんこう)後の満州における日本人の苦難が報道されなくなり、その結果として日本人が満州において所持していた膨大(ぼうだい)な資産が略奪(りゃくだつ)された事実も隠蔽(いんぺい)されました。
13.連合国の戦前の政策の批判
これが知られてしまうと、ABCDラインや蒋介石(しょうかいせき)への連合国からの支援(しえん)など、我が国が大東亜戦争を戦わざるを得なかった歴史の流れが明らかにされてしまうからでした。
14.第三次世界大戦への論評
15.ソ連と西側諸国との対立への論評
「日本が悪いことさえしなければ世界は平和になる」と思わせるなど、大東亜戦争後の世界情勢を日本人の目からそらせました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
そうですね。。
余り日本の事ばかりを責めて、悪者に仕立て上げようとしていると、いざ、日本にしか出来ない役割を得ようとした時に、果たしてそれが上手く叶うかどうかは、保障出来ませんよね。
どんなに慈悲深い心を持っていようと、
日本には「仏の顔も三度まで」という諺が存在することを知らしめていかなければなりませんね^_^;
ここまで、されると。。。
- 黒田先生
青田です。
ここまで、報道規制されると
誰でも『平和ボケ』になりますよね。
ただ、可愛そうなのは、戦時中に悲惨な目に合った日本人です。
悲惨な目に合い日本に戻ってきて(亡くなられた英霊も)
まるで、戦前の悪人のような扱いをされるのは
死ぬほどつらかったと思います。
特に戦後教育を受けた人間から、罵倒され、批判されたのは、本当に悲しかったと思います。
実は、私の高校の歴史の教師は、歴史の授業中
『今の若者の不良は、まだ、マシ。戦前の日本人のほうが、中国、朝鮮半島で、虐殺行為をしたのから。彼らに今の若者を批判する資格はない。』と語っていました。
それを聴いていた生徒は、
ほとんど、『その通り。』と頷き
私の友人は『中国人のほうが、日本人より寛容だから、日本の残虐行為を許してくれた。』と語っていました。
私は、県立高校の普通科でした。
今、考えると『いったいどこの国の教師かと疑問に思います。』
私の年齢は、現在、47歳ですから、その後の歴史の授業を受けた若者を考えると背筋が寒くなります。
オバrev これは、散々侵略を繰り返し、植民地政策をとってきた欧米が、経験と学問的研究によって作り上げた科学的手法ではないでしょうか。
でもこのように外堀から埋めていって、真綿で首を絞めるようにジワリと押さえつけていく手法は、昔家康もやっていたような気がしますけど、それとは違いますかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんなに慈悲深い心を持っていようと、
> 日本には「仏の顔も三度まで」という諺が存在することを知らしめていかなければなりませんね^_^;
同感です。
大東亜戦争も我が国だけが原因ではありませんからね。外国の方こそ歴史に学んでいただきたいものです。
青田さんへ
黒田裕樹 歴史の捏造がいかに罪深いものであるかがよく分かる体験談ですね。
他人事ではありませんし、私も心しなければなりません。
オバrevさんへ
黒田裕樹 人間の感情を無視したプロパガンダである所はまさに科学的と言えるかもしれませんね。
家康の場合は同じ日本人でしたし、地方自治も認めていますからね。
我が国の国体の根本まで変えようとするGHQの方が遥かに悪質でしょう。
植民地支配
- 黒田先生
青田です。
よく、考えたら、このプレスコードは
日本の幕末・明治時代に
欧米列強が、アジア諸国を植民地支配した時と
完全に同じですね。特にアングロサクソン(イギリス、アメリカ)は
わずかな人数で、その国を支配する手法は、恐ろしく長けています。
たとえば、インドは、わずか2000人のイギリス人しか駐留してないのに数億人のインド人を200年間支配していました。
絶対に、矛先がイギリスに向かわないように
日本と同じようなやり方を取っています。
少なくとも、明治の日本人は、それを知っていたと思いますが、この当時の日本人は、それを忘れていた気がします。
青田さんへ その2
黒田裕樹 確かにその流れをくんでいますね。
プレス=コードについては今後も紹介を続けますので、全部終えてから改めて検証したいと思います。