白襷隊の任務は夜陰(やいん)に乗じて刀や銃剣(じゅうけん)をもって敵陣(てきじん)に攻め込む奇襲であり、まさに命がけでした。乃木は白襷隊に訓示をした際、一人ひとりに「死んでくれ、死んでくれ」と滂沱(ぼうだ)の涙を流しなから声をかけました。
白襷隊は26日の夜間に敵陣を奇襲し、攻撃は激烈(げきれつ)を極めましたが約2,000人の死傷者を出した末(すえ)に敗れてしまいました。しかし、いかにも無謀(むぼう)と思われたこの奇襲は、ロシア軍に大きな恐怖(きょうふ)と精神的な衝撃(しょうげき)を与え、軍の士気に少なからぬ影響を与えたのです。
必勝を期したにもかかわらず三度目の東北正面からの攻撃に失敗した乃木は、翌27日に攻撃を中止すると、攻撃目標を西正面の二〇三高地に切り替えました。なお、この時の乃木の決断が「遅すぎる」という意見がありますが、それは結果論しか見ていない早計(そうけい)であると言わざるを得ません。
そもそも東北正面への攻撃は乃木の独断ではなく、満州軍総司令部の総意でもありました。また失敗したとはいえ三度にわたる総攻撃は白襷隊の奮闘を含めてロシア軍に尋常(じんじょう)ならざる衝撃を与えると共に、陸海軍による矢のような催促、加えて勅語を下されたほどの明治天皇のお苦しみを察しての、まさにギリギリのタイミングでの方針転換だったのです。





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ぴーち こんにちは!
白袴隊ですか・・
これは後の太平洋戦争時の特攻部隊のルーツの様なお話ですねぇ・・。
乃木将軍のお考えを否定する訳ではありませんし、乃木将軍のこの時の
断腸の思いは
よく分かりましたが、日本人の捨て身の攻撃というのは、人命尊厳を無視した攻撃ではないかと思ったりします。
日本人は今でこそ、人命第一と一にも二にも
人の命をいかにも大事にしているかのように叫ぶけれど、戦争中のこういった一連の考え方を鑑みた時に、例えば、アメリカならば、兵士には戦いの後は休息を与え、次の戦闘に万全の体制で送り込むといいます。勿論、それは物資、経済ともに豊かであることが大前提なのだと思いますが、基本的にアメリカ人の考えの方が、日本人が声を大にして叫んでいるよりも、よほど人命を大切に考えているのではないかと思います。
それが日本の体質なのか
分かりませんが、戦争こそしなくても、大企業はお構いなしに人材切りを断行したりますが、考え方は同じであるように思います。
人間一人切り捨てる事など痛くもかゆくも無い
という考え方。
戦争という切羽詰まった特殊な環境だからこそ、生まれた作戦ならまだしも、どうも基本的な考え方は解せない気がします。
それと確かに後から論評はいくらでも書けますし、物事はメリット、デメリットどちらも存在するものですので、悪いほうへ考えたら切がありませんものね。
何でもそうですが、最初にそのアイディアを思いついた人。行動を起こした人には、敵いませんし、その場の酷な環境下で実際に同じように考えられるかというと、出来ないものだと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんのお気持ちも理解できないことはありませんが、戦争などの非常時の行動はその場での判断が大きく影響しますからね。
白襷隊の行動は傍目には無謀としか思えませんが、この後の戦いにおいてロシア側の甚大な影響を与えることになりますし、こういった物事は総合的に判断することがベターであると思われます。
ぴーち 確かに仰るとおり、
人間にとって何が一番恐ろしいものであると言えば、
死をも恐れない堂々たる態度であり、その気迫ある態度を見て、相手は怯み恐れ戦くことだと思います。
切り札とありましたが、まさに
最後の切り札がこの方法だったのでしょうし、
それだけ、乃木将軍はこの時は、四面楚歌な状態で、相当追い詰められていたと言う証拠なのでしょうね。
まさに「勝利」に固執する姿は軍人としては
天晴れであったのかも知れません。
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 当時の我が国には「ロシアとの戦いで負ければ終わり」という並々ならぬ危機感がありました。
その危機感が鬼神ともいえる働きをひとりひとりにさせるとともに、指揮官たる乃木将軍の覚悟にもつながったと考えられますね。