つまり、第三軍に今少しの兵力とあと数日分の砲弾があれば、旅順はこの時に陥落した可能性が高かったのです。第一次総攻撃自体は確かに第三軍の敗北に終わりましたが、その一方でロシア軍に精神的なものを含(ふく)めた大きな打撃を確実に与えていたことを私たちは忘(わす)れてはならないでしょう。
また、第一次総攻撃において第三軍は約3割の死傷者を出しましたが、これだけの犠牲を出せば通常であれば全軍が意気消沈(いきしょうちん)し、壊滅しても決しておかしくはありません。しかし、軍の将兵は「次こそはきっと勝てる」と大敗北を喫(きっ)したにも関わらず意気軒昂でした。
最悪の環境(かんきょう)や不利な条件の下でも決して希望を失わず、敗れてなお闘志を燃やし続けた第三軍を支えたのが、乃木という「腹を括(くく)った」司令官の存在であったことは言うまでもありません。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
これまで色々と日本の戦いぶりを拝見していると、日本の戦い方というのは、日本人独特な要素が随所に見られますね。最終的に相手を追い詰めても、最後の一撃は加えない。それ以上執拗に追い詰めない。武士の情けという武士道精神がそれを許さないのかも知れませんが、確かに戦争というのは、徹底的に相手国にダメージを加え、二度と立ち上がれない程に追い詰めなければいけないのでしょうけれど、人道的な思いと戦争である現実の狭間で戦争とは自分を先に殺さないと、相手を殺害することが出来ない惨いものだと感じました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 我が国の戦争には仰る一面が確かにありますね。
史実の日本軍の健闘ぶりや武士道精神を鑑みれば、大東亜戦争の頃の残虐行為とされるものがいかに「眉唾物」であるか理解できるというものです。