さて、先述のとおり旅順の早期攻略を要請されていた第三軍は、旅順要塞の総攻撃にあたり強襲法(きょうしゅうほう)を採用し、8月19日から総攻撃を開始しました。
しかし、永久要塞を自称(じしょう)する旅順要塞の堅固さは、第三軍の度重(たびかさ)なる砲撃(ほうげき)にびくともせず、ロシア軍の守兵もほぼ無傷(むきず)でした。第三軍は圧倒的なロシア軍の攻勢に苦しみながらも健闘(けんとう)を重ね、一時は重要な堡塁(ほうるい、土塁や石塁などを巡らした堅固な砦のこと)を2つ占領(せんりょう)するなどの戦果を挙げましたが、無念にも砲弾(ほうだん)が尽(つ)きてしまい、同月24日に乃木は攻撃を中止せざるを得ませんでした。
後に第一次総攻撃と呼ばれたこの戦いは敗北に終わり、第三軍は総兵力約50,000人のうち約16,000人という3割以上の膨大(ぼうだい)な死傷者を出してしまいました。
さて、後年になって第一次総攻撃の失敗は乃木の無能な突撃(とつげき)によるものとして非難(ひなん)されることが多いようですが、そもそも海軍の遅すぎた攻撃要請がロシア軍による旅順の永久要塞化をもたらしたという事実があるうえに、事前に情報入手を怠(おこた)った陸軍参謀本部にこそ主因(しゅいん)があるのではないでしょうか。
ましてや第三軍の兵力がロシア軍とほぼ同数であるという絶対的な兵力不足や、一時は堡塁を占領するなど奮戦(ふんせん)していながら攻撃を中止せざるを得なかったという砲弾不足もありましたし、さらに付け加えれば、当時の日本軍は知る由(よし)もなかったのですが、第一次総攻撃でロシア軍が受けた打撃も決して少なくなかったのです。





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ぴーち こんばんは!
任命されたのなら、成功するのが当たり前
だと認識されてしまうのは、きついですね(^^ゞ
少しでも失敗が生じれば、全責任を主導者が
請け負わなければいけなくなるのも、腑に落ちないこととは言え、それも人間である以上、一番犯しやすい罪なのかも知れませんね。人のせいにすれば、気が楽ですから(^^ゞ
それにしても、戦争で圧勝すれば、敵を多く作ることにも繋がる事ですし、これはあくまで個人的な意見ですが、国の為には何も圧勝出来なくても良いのでは
無いかと思うんですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、様々な原因が重なっての失敗を、現場だけの責任で済ませるのはあまりにも無責任です。
なお、いわゆるパーフェクトゲームに関しては確かに恨みなどが残りそうですが、中途半端で済ませてしまうと後々息を吹き返す原因ともなりかねませんし、難しいですね。