もし西北正面を中心に攻めるとすれば、第三軍を西方に移動させなければならず、時間がかかるうえに軍の背後が脅かされて挟み撃(う)ちにあう危険性(きけんせい)があったからです。一方、要塞の心臓部である東北正面に大きな打撃(だげき)が与えられれば、速やかに旅順を攻略できるというメリットがありました。
第三軍は海軍から「ロシアのバルチック艦隊が旅順の太平洋艦隊と合流する前に一刻も早く旅順を落としてほしい」という要請を受けており、旅順の早期攻略は至上命令(しじょうめいれい)でもありましたから、日数のかかる西北正面の攻撃ははじめから考慮(こうりょ)されなかったのです。
さらに付け加えれば、東北正面への攻略は第三軍が独断(どくだん)で決めたのではなく、満州軍総司令部(まんしゅうぐんそうしれいぶ)の大山巌(おおやまいわお)総司令官も児玉総参謀長も全く異存(いぞん)がなく、そもそも参謀本部が旅順攻略について作戦を立てた当初においても東北正面への攻撃を優先していたという事実も私たちは知るべきでしょう。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
私は囲碁は嗜んだことがありませんが、
囲碁は互いの国同士の戦に似ていると
聞いた事があります。
きっと戦術に長けた方の頭の中には、碁盤お目のような展開が常に駆け巡っているのでしょうね。
一触即発になるやもしれないリスクを犯してまでも、その地雷をわざと踏むことで
解決のスピードを速める戦略もあるのですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私も囲碁は趣味としておりませんが、一口に戦いと言っても様々な手法がありますからね。
旅順攻略の場合は時間的制約もありましたから、乃木将軍の判断には当然の理由もありました。
事後の理屈はいくらでも述べられますが、当時の状況を理解してから論ずるべきでしょうね。