その後も明治天皇はことのほか乃木を親愛され、明治35(1902)年11月に熊本で明治天皇が統監(とうかん、全体をまとめて監督すること)されて陸軍大演習が行われた際にも乃木をお召(め)し列車に陪乗(ばいじょう、身分の高い人のお供をして同じ車に乗ること)させ、西南戦争の激戦地であった田原坂(たばるざか)を列車が通過すると、陛下は以下の御製(ぎょせい、天皇による和歌のこと)を詠(よ)まれて「乃木に与(あた)えよ」と仰(おっしゃ)られました。
「もののふの 攻めたたかひし 田原坂 松も老木(おいき)に なりにけるかな」
当時は西南戦争から四半世紀の時が流れていましたが、それだけの長い間乃木と人生を共にしてきたというご感慨(かんがい)と同時に、老いてもなお忠義の臣として陛下に仕える乃木に対する愛情を込めて詠まれた御製でした。
その後、明治37(1904)年に日露戦争が勃発すると、乃木は天皇ご自身が選ばれた親任官(しんにんかん)として第三軍司令官に任じられ、戦地に赴(おもむ)くことになったのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
なるほど。明治天皇から
救っていただいた命という訳でしたか。
そういう意味では明治天皇と乃木将軍は
異体同心の様な関係であったのでしょうね。
自身を一度死んだ身だと置き換えれば、確かにどんな
困難な目に遭おうと死に物狂いで戦う事が出来ましょう。
乃木将軍の中に息づく武士道精神をも感じさせるお話ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
明治天皇の乃木将軍に対するご信任の深さが、乃木将軍の忠義と賢明な働きを呼び、結果として我が国を救うことになります。
我が国の歴史に欠かすことのできない大きな事実ですよね。
オバrev 結果はどうであれ、こういうお互いに信頼できる人間関係って、実はお互いにこの上ない幸せだと思います。
まさに人間関係に企業業績が左右される零細企業という立場にあると、こういう信頼出来る人間関係がいかに重要かということを痛感してます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
私も教師の端くれですので、生徒や保護者などとの信頼関係には特に注意を払っています。