さて、先日紹介しました歌手・山口采希(やまぐちあやき)さんのLIVEが来る10月13日(日)に多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)で行われます。私(黒田裕樹)もゲストとして歌いますので、関東を中心にぜひとも多くの皆様にご参加いただければと願っております。
~誇りも唄も 途絶えさせない~
「御国唄紡(みくにうたつむ)ぎ in 多摩川浅間神社」
場所:多摩川浅間神社境内見晴台
日時:10月13日(日) 17:00開始(小雨決行/大雨中止)
料金:フリーLIVE
出演:山口采希/黒田裕樹(ゲスト)
演目:愛国行進曲・日の丸行進曲・婦人従軍歌 etc..
※当日はご来場者の皆様に日の丸の小旗をプレゼントいたします。音楽に合わせてゆらゆらと..

多摩川浅間神社
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
東急東横線・多摩川線・目黒線・南北線・三田線多摩川駅より徒歩2分





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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オバrev く、黒田先生~!は、歌手だったんですかぁ(゜o゜;
でも確かに戦時中の愛唱歌は、我が先輩たちが日本を守るために戦っていた、その時に歌われていたもので、内容云々はあるでしょうが、何としても歌い継がれるべきだと思います。
山口彩希さん、しっかり応援したいと思います・・・歌手・黒田裕樹さんも紅白出場目指して頑張ってください(^O^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > く、黒田先生~!は、歌手だったんですかぁ(゜o゜;
いえいえ、本業は教師ですから(笑)。
ただし、前回の采希ちゃんのLIVEでは歌わせていただきました。詳しくは下記のリンク先をご覧ください。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-1800.html
采希ちゃん共々、今回もぜひご期待いただければと思います(^ω^)
明治8(1875)年12月、熊本鎮台(くまもとちんだい)歩兵(ほへい)第十四連隊長心得(れんたいちょうこころえ)に任じられた乃木は小倉に赴任(ふにん)しました。なお「鎮台」は「師団(しだん、陸軍の部隊の一つで独立した作戦行動のとれる最大の固定編制部隊のこと)」の前身であり、また「心得」が付いたのは、本来は中佐(ちゅうさ)以上の軍職である連隊長に少佐が就任した場合、中佐に昇進するまでそう呼ばれたためです。
当時は明治政府が主導(しゅどう)する急激(きゅうげき)な近代化が従来の日本の伝統を粗末(そまつ)に扱(あつか)うものであると考え、日本精神からの異議申し立てを考えていた不平士族による不穏(ふおん)な動きが見られており、明治9(1876)年には熊本で神風連(しんぷうれん)の乱、福岡で秋月(あきづき)の乱、山口で萩の乱と立て続けに反乱が起きました。
熊本や福岡の秋月、山口の萩を結ぶ要所であった小倉を任(まか)されていた乃木が反乱軍の動きを事前に察知(さっち)するなど適切(てきせつ)な対応を迅速(じんそく)に行ったこともあり、これらの乱はいずれも短期間で鎮圧(ちんあつ)することができました。
しかしその一方で、乃木は萩の乱で反乱軍に属して戦った、実弟で玉木文之進の養子となっていた玉木正諠(たまきまさよし)が戦死し、またその責めを負って養父の玉木文之進が自害(じがい)するという悲しみも背負(せお)っていたのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
昔は、何か新しい風が吹き込もうとした時点で
戦いが勃発し、多くの血が流れたのは本当に哀しい事実ですね。
今では
なるべく穏便に、話し合いを極限まで繰り返して
流血を回避しようという考え方が基本となっていますが、こうして歴史の中で
犠牲になった数々の尊い命が土台となっているからなのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 戦いにはどうしても犠牲者が出てしまうとはいえ、確かに悲しい現実ですね。
日本人同士なら話し合いを重視するという流れは決して間違いではありませんが、乃木将軍の場合はどうしようもなかったのが残念です。
乃木将軍の仁徳の源
- 黒田先生
青田です。
乃木将軍の仁徳は、こういった理不尽で、不条理なつらい体験から、創られたと思います。
本当につらい体験(心の痛み)を経験した人間だからこそ、他人の痛みを知ることができるからです。
現代でも、こういう他人の痛みがわかる人間がリーダーがいてくれたら
日本の国は、もっと良くなりますね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、他人の痛みを知る人物こそがリーダーにふさわしいですよね。
現代においても一度つらい経験をした人物が返り咲いていますが、さて…。