玉木は父の許しを得ずして出奔した源三を当初は許さなかったものの、やがては玉木家に住むことを許され、畑仕事に明け暮(く)れる毎日を過ごしました。
農作業で鍛(きた)えられた源三の身体はそれまでの虚弱体質が嘘(うそ)のように別人のごとくたくましく成長し、後に玉木に入門が許された源三は約4年間真剣に学問に励(はげ)み、剣術も一流となりました。
かくして父の希次と吉田松陰を育てた玉木の薫陶(くんとう)を受けた源三は心身共(とも)に立派(りっぱ)な男子として成長を遂げ、慶応(けいおう)2年(=1866年)の第二次長州征伐(ちょうしゅうせいばつ)の際には長府藩報国隊(ほうこくたい)の一員として小倉口で戦果を挙(あ)げました。
なお、この時わずか18歳の源三の人物を見込(みこ)んで、彼を一指揮官(いちしきかん)として抜擢(ばってき)した人物こそが吉田松陰の愛弟子(まなでし)の一人である高杉晋作(たかすぎしんさく)だったのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
ここへ来てまた世に名を馳せる人物の名前が登場するのですね~^^
人間、生まれながらにハンデがあるほうが
一見して不幸であるように見えても、案外幸せだと思うときがあります。
ハンデがあれば、それを何とか克服していきたいと思う目標が生まれ、努力し甲斐が生まれるので
知らず知らずのうちに、健常な人間よりも心身ともに逞しく成長することが出来るのだと思いますので^^
やはり、自然と触れ合いながら体を動かしていく事はいい事ですよね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 歴史に名をはせる人物は、知らず知らずのうちに他の著名な人物との交流が生まれるものなのでしょうね。
乃木将軍の場合はちょうど成長期に身体を動かしたことが奏功したと思われます。
自然との触れ合いが大切なのは仰るとおりですね。