しかし、幼年期の無人は依然(いぜん)として虚弱体質(きょじゃくたいしつ)であり、かつ臆病(おくびょう)でした。朝から晩まで泣くばかりだった無人の様子を見た人々は、彼は「無人」ではなく「泣人」だと陰口(かげぐち)をたたきました。
我が子の将来(しょうらい)を憂(うれ)えた希次は、無人に対して敢(あ)えて厳(きび)しく養育しました。ある寒い冬の日、無人が家の中で寒さを口にした際、希次は「暖かくしてやろう」と言って無人を褌(ふんどし)一つの裸(はだか)にして井戸端(いどばた)に連れて行き、冷水を頭から何度もかぶせた後、乾布(かんぷ)で全身をぬぐいました。
こうした父の荒療治(あらりょうじ)を受けながらも、持ち前の心根(こころね)の優しい素直(すなお)な同情心の深い少年だった無人は、長府藩上屋敷(かみやしき)がかつて赤穂浪士(あこうろうし)の預かり場所であったこともあり、泉岳寺(せんがくじ)に何度も詣(もう)でるうちに、赤穂義士の忠義の精神を知らず知らずのうちに理解するようになりました。





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ぴーち こんにちは!
名前に反対の意味を込めるとは^^
普通の親は、子供の名前に
こう育ってほしいという願いを込める
意味で命名する場合が多いのに
やはり世に名を残す人物の親御さんは
考え方も人とは違うものですね^_^;
それとも、それが
その時代の慣例だった・・?訳では
ないですよね??
ぴーちさんへ
黒田裕樹 どうやら当時の慣例だったようですね。
何しろ乳幼児の死亡率が極めて高かった時代です。あえて不吉な名前を付けることで逆に強くなってほしいという親心が痛いほどわかりますね。