今回の講演は「人権法案」「治安維持法」「自治基本条例」という3つの項目を一回の講座にまとめたものでしたが、それだけに内容も濃く、ご参加の皆様にも十分ご満足いただけたようです。また、それぞれの項目にお詳しい方が私の講演内容をフォローしてくださったのも大変有難く感じました。
次回(3月30日)は東京講演を行います。関東の皆様とお会いできることを今回も楽しみにしております!
第35回黒田裕樹の歴史講座(ブログ開設4周年記念講演)
「人権法案の矛盾 ~言論統制社会が国を滅ぼす」
日時:平成25年3月30日(土) 午後3時30分より
場所: スター貸会議室 浅草 (井門浅草ビル5階)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます。なお、ビルの1階には有名なカレー屋さんがあります)
会費:無料(カンパを受け付けます)
ブログをご覧の皆様(特に関東在住の方々)も、よろしければ是非ご参加ください。この記事のコメント欄をご活用いただければと思います。また、今回の講座の内容については、これまでと同様に後日にはブログ上で映像とともに発表しますので、是非ご覧になってください。
なお、講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,000円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。
最後に大阪での講座の様子を撮影した画像を追記にて紹介しますのでご覧ください。
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ぴーち おはようございます!
過去最高の34名の方ですか!
素晴らしいですね^^
黒田さんの日頃のご努力が実を結ばれたようで何よりです♪
東京講演の成功もお祈りしております。
人権法案問題の方の内容にも興味がありますので、また拝読させていただきます^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
いよいよ東京講演ですが、精いっぱい頑張ってきます!
人権法案の矛盾~東京講演を聴講して
小野寺 本日初めて参加させていただきました。やはり生だと迫力が違いますね。次回からも楽しみです。是非参加させていただきます。近々大東亜戦争についてお話し下さるとのこと。黒田史観がどんなものか・・今からわくわくします。本日は楽しい時間どうもありがとうございました!
ぴーち おはようございます!
東京講演、お疲れ様でした^^
桜はまだ咲いていましたか?
講演の様子を拝見させていただくのを
楽しみにしています♪
応援凸
小野寺さんへ
黒田裕樹 こちらこそ昨日は有難うございました。
仰るとおり、年内には大東亜戦争(=太平洋戦争)に関する歴史を拙ブログで詳しく紹介することになりますので、こちらもご期待ください。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
桜はぎりぎりOKでした。今朝ほども桜の舞い散る靖国神社近辺を楽しく散策しましたよ(^ω^)
講演に関しては4月4日からブログ上でも公開予定です。
ブログのもう一つの目玉である「本物の歴史講座」。ブログ開設4周年記念講演でもある次回(第35回)は「人権法案の矛盾 ~言論統制社会が国を滅ぼす」と題して、久しぶりに公民分野を含めた講演を行います。
21世紀を迎えてから、我が国では「人権擁護法案(じんけんようごほうあん)」「人権侵害救済法案(じんけんしんがいきゅうさいほうあん)」「人権委員会設置法案(じんけんいいんかいせっちほうあん)」という名の法案が次々と作成され、昨年(平成24年)には「人権委員会設置法案」が国会に上程(じょうてい)されました。
「人権を守る」という言葉に対して私たちはどちらかといえば好意的にとらえる傾向(けいこう)がありますが、これらの法案がもし可決されれば、その後に待っているのはおぞましい「言論統制社会(げんろんとうせいしゃかい)」であり、特にネットの世界が壊滅的(かいめつてき)な被害(ひがい)を受けて最後には我が国が滅亡(めつぼう)の危機(きき)を迎えるという恐ろしい事実を皆さんはご存知(ぞんじ)でしょうか。
次回の講座では一連の「人権法案」の矛盾(むじゅん)やこれらに似た法律とされる「治安維持法(ちあんいじほう)」の歴史、そして地方において「人権法案」と同等の破壊力(はかいりょく)を持ち、すでに一部の市で深刻(しんこく)な影響(えいきょう)を及(およ)ぼしている「自治基本条例(じちきほんじょうれい)」などについて、下記のとおり3月23日(土)には大阪、3月30日(土)には東京でそれぞれ詳(くわ)しく紹介したいと思いますので、多くの皆様のご参加をお願いいたします!
第35回黒田裕樹の歴史講座(ブログ開設4周年記念講演)
「人権法案の矛盾 ~言論統制社会が国を滅ぼす」
日時:(大阪)平成25年3月23日(土) 午後6時より
(東京)平成25年3月30日(土) 午後3時30分より
(※大阪と東京で開始時間が異なります。ご注意下さい)
場所:(大阪)大阪市立総合生涯学習センター 第4研修室
(※いつもの第3研修室ではありません。ご注意ください!)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
(東京)スター貸会議室 浅草 (井門浅草ビル5階)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます。なお、ビルの1階には有名なカレー屋さんがあります)
会費:いずれも無料(カンパを受け付けます)
なお、大阪・東京とも講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,000円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。
最後に、おなじみのブロともであるクラチーさんからの素晴らしい画像を皆様にご覧いただきます!
(※クラチーさんのブログについては、下線部からご覧いただけます。)






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青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
いよいよ、『平成の治安維持法』についての
講座ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 そうですね。
次回の講座では治安維持法についてもできるだけ分かりやすく紹介する予定です。
理想主義の怖さ
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
言葉というのは、恐ろしいですね。
麗しい美しい正義の味方的な言葉を羅列すると
抽象的なのに、ヒトは、素晴らしいものだと錯覚しますから、
そのあたりも黒田節で、斬りまって下さいね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 ご期待に添えられるよう努力します。
あのときのCMが!
クラチー 今回もイラスト使用ありがとうございます!
三月の講演、楽しみです♪
(^w^)
「人権」という言葉は「善」ですが、
その中にも「裏の顔」があるってことですね?
歴史人物から公民の講演となる今回、
はたしてどんな内容なのやら…ドキドキ。
(・x・;)
クラチーさんへ
黒田裕樹 ハイ、イラストもCMも使用しております(^ω^)
今回は公民講座ですのでいつもと毛色が違うかもしれませんが、おそらくは間違いなく「黒田節」が炸裂すると思いますよ(爆)。
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こんにちは。
ボス。 先生! ブログ改設周年おめでとう

講義参加は出来ませんが、家で



ボス。さんへ
黒田裕樹 いつも応援ありがとうございます。
いつの日か講座にお越しいただける日を願っておりますm(_ _)m
仏教界
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
日本の仏教界のある宗派も、人権侵害救済法案を推進しているようですね。(政教分離のはずなのに)
今回の講座を受けると、その理由もわかると思うので、楽しみです。
吉良上野介による数々の「不敬」に耐えかねた浅野内匠頭は、すべてをなげうって刃傷に及ぶも果たせずに切腹しました。そんな主君の無念を分かっていたからこそ、大石内蔵助ら四十七士は苦労を重ねた末に吉良邸へ討ち入って上野介の首級を挙げ、その身を幕府に委ねることによって「尊皇vs.幕府」に決着をつけようとしました。
我が国の歴史上でも稀(まれ)にみる「尊皇の士」であり、また主君の仇を討った「忠義の士」であったからこそ、我が国民は大石らの「義挙(ぎきょ)」に共感し、浄瑠璃や歌舞伎などの世界で彼らをオマージュし続ける中で、独自(どくじ)の物語である「忠臣蔵」が完成したのです。
史実を追い求めることは決して間違いではありませんが、それと同時に歴史の大きな流れをつかめないと物事の「真実」は見えてきません。「元禄赤穂事件」という歴史的事実と「忠臣蔵」という名の物語に対しても、両者の間にはっきりと存在する「尊皇vs.幕府」という流れをしっかりと理解することで、私たちは日本人としてより深く忠臣蔵の世界に共感できるのではないでしょうか。
(※第34回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[3月5日]からは通常の更新[=昭和時代・戦前]に戻ります)





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ぴーち こんにちは!
確かに仰るとおりだと思いますね。
私はよく映画を鑑賞しますが、
監督によっては、同じ題材の作品を描いたとしてもそれぞれ内容が違って見える時があります。
片方の監督は、人間の心理的な部分を深く掘り下げて描いているので、より共感出来る作品に仕上がっているにも関わらず、片方の監督の作品は、何処か上滑りしていて、小手先だけ・・という事が手に取るように判る作品も存在します。
やはり、時間の流れというのは、現在過去未来と繋がっていて、そこから1つの事実を引き出しただけの話では、まるで刑事事件で被害者だけの意見を聞いて、裁判を終えてしまうという様な不条理な状態に似ていると思いました。
応援凸
管理人のみ閲覧できます
-
ぴーちさんへ
黒田裕樹 分かりやすいたとえをありがとうございます。
仰るとおり、不条理な状態が続くことは何としても避けなければなりませんね。
明治天皇が大石らを顕彰されたのは徳川幕府が倒れてまだ日が浅く、東京の市民にいまだに幕府への敬慕(けいぼ)が色濃(いろこ)く残っていたことから、同じように市民に根強い人気があった忠臣蔵にあやかったのではという説もありますが、やはりここは「尊皇の士」であった大石らに対する「嘉賞」のお気持ちがお有りになられたと素直に拝察(はいさつ)すべきではないでしょうか。
忠臣蔵の「物語」は明治以後もますます磨(みが)きがかかり、やがて映画や小説の世界でも人気を博(はく)すようになりました。第二次世界大戦で我が国が敗戦した後にGHQ(=連合国軍最高司令官総司令部、れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)によって一時は禁止されたもののやがて復活し、映画が全盛期(ぜんせいき)を迎えた昭和30年代には制作会社が競(きそ)って「忠臣蔵」を上映(じょうえい)したほか、昭和39(1964)年にはNHKの大河(たいが)ドラマで取り上げられるなど、TVドラマ化も進みました。
しかし、21世紀に入ってからは忠臣蔵の映像化が少なくなり、TVでもほとんど見られなくなっているのは残念な限りですが、その背景として「忠臣蔵は架空の話で正しくは元禄赤穂事件であり、また吉良は被害者でしかなく討ち入りは大石らによる『リンチ』に他ならない」という「間違ったイメージ」が存在するのであればとんでもないことではないでしょうか。





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晴雨堂ミカエル これまで浅野が刃傷に及んだ動機付けとして、手っ取り早く吉良の陰湿なイジメを持ち出しました。その次元の低い動機の方が残念ながら世間の納得が得やすい。
また浅野が逆上しなければならないほどの原因を作るために吉良を相応の悪者にしなければならない。せいぜい背景に旗本と大名の対立を出すぐらいでした。
大河ドラマでこれもタイトルを失念しましたが勘三郎が大石を演じた作品では、四千石の旗本でありながら十万石の国持大名並の官位を持つ吉良への風当たりの強さを描写していました。
私が推察するに、江戸で忠臣蔵を上演するにあたり、当時の幕府も吉良を悪者として切り捨てたので、情報操作や言論操作の高度な政治手法を使っている自覚はあまり無かったかもしれませんが歌舞伎を利用したと思っています。
近年になって、従来の忠臣蔵では黒田氏が冒頭で語ったような不自然な点が多々指摘されて、吉良と浅野が再評価されるとともに、尊皇の部分は数百年の間に忘れ去られ、あるいはタブーになったと思います。
戦後は尊皇はタブーですから。
ぴーち こんばんは!
世の中が落ち着かず、絶えず目まぐるしく
揺れ動いている時代には、人々は深く物事を突き詰めている余裕は無いので、単純に「勧善懲悪」的な物語がウケたのかも知れませんね。
現代の様に再び、平和な世の中が長く続くと、そこで再び、人々は事の真相を知りたがる傾向が強くなり、また求められるようになって来たのでは無いでしょうか。
応援凸
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 なるほど、確かにタブー視されている一面がありますね。
だとすればなおさらもっと真実を広める必要がありそうです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに時代によって感性が変わることがあるのかもしれませんね。
真相を求める好奇心は良いですが、現代の感覚だけでとらえることの危険性を表しているような思いがします。
つまり、江戸時代の人々にとって「武蔵守」とは「徳川将軍」を意味していたとともに、敵役(かたきやく)の「高武蔵守師直」が舞台の上で「死ぬ」ことによって「将軍家の死」を表現していたのです。だからこそ大坂の人々は、仮名手本忠臣蔵を旧赤穂藩へのオマージュ(敬意を表すためにつくられた作品のこと)とするとともに、舞台の上での「将軍殺し」に喝采(かっさい)を送ったのでした。
大評判(だいひょうばん)となった仮名手本忠臣蔵は程(ほど)なく江戸でも歌舞伎として上演されるようになりましたが、徳川将軍のお膝元(ひざもと)の江戸では「将軍殺し」は無視されて旧赤穂藩へのオマージュのみが強調され、年月が経つとともに「元禄赤穂事件のドラマ化」が進みました。
やがて徳川幕府が滅んで明治の御代(みよ)となり、実名を出すタブーがなくなった頃には元禄赤穂事件は「忠臣蔵」という日本人好みの物語として発展を遂げただけでなく、天皇による「お墨付(すみつ)き」まで賜(たまわ)るようになったのです。





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ぴーち こんにちは!
江戸時代の様に、他の国との接触が無かった時代だからこそ、日本国内で一度勃発した対立やら戦やらは、いつまでも人々に遺恨して、何かあればその恨みを晴らさんと息巻いていたのでしょうね。
現代の様に、外国との盛んな接触がある時代では、同じ国内で言い争いや、紛争などを起こしていれば、それこそ、外国から攻め込まれるチャンスとみなされてしまうので、それどころでは
ありませんがね(^_^;)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、確かに仰るとおりですね。
国内が平和であったからこその対立なのかもしれません。
幕末においても最終的には天皇の名のもとに中央集権国家が紆余曲折を経て建設されていますからね。外国であれば内乱状態が続いてここまでたどり着くことはないでしょう。
大坂といえば元々は豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大坂城(おおさかじょう)を建築したことなどで発展(はってん)しましたが、徳川家康(とくがわいえやす)によって豊臣家が滅(ほろ)ぼされた際に大坂は火の海となって多くの人々が殺されたり、あるいは捕まって身売りされたりするなど散々(さんざん)な目にあいました。
それらの「恨み」は時が流れて表面上は水に流しても心の奥底(おくそこ)では決して忘れることはなく、せめて架空(かくう)の世界でだけでも恨みを晴らしたい、という思いが募(つの)っていたそんな折に元禄赤穂事件が起きたのです。
元禄赤穂事件の背景に「尊皇vs.幕府」があったことを見抜いた大坂の浄瑠璃作者たちは、幕府の咎めを受けることなく何とかして舞台の上で浅野主従(しゅじゅう)の願いと自分たちの思いを果たすことができないかと考え、苦労の末に編(あ)み出したのが「仮名手本忠臣蔵」なのでした。
なぜそう言い切れるのでしょうか。それは、高師直の官職名が「武蔵守(むさしのかみ)」だからです。





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晴雨堂ミカエル 実は仮名手本忠臣蔵は子供の頃から興味がありました。
初めて観た「忠臣蔵」はNHK大河ドラマで、タイトルは失念しましたが石坂浩二が柳沢を演じた40年近く前の作品です。
ところがこの仮名手本は登場人物の名前が違う。登場する人物の多くは実在だが史実無茶苦茶、強引に元禄の忠臣蔵を南北朝時代に嵌め込んだ設定に面白い違和感を感じたものです。
中高生時代、私なりに調べた結果、ほぼ黒田氏と同様の見解に至りました。
しかし当時は「深読み過ぎる」「間違い」「七不思議の観すぎ」などと周囲から嘲笑を受けたものです。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 大河ドラマは「元禄太平記」ですね。ネーミングが仮名手本忠臣蔵と対をなしています。
深読みしすぎですか…。まぁいろんな考えの人がおられますからね。
ぴーち こんばんは!
なるほど、関西の方はその頃からの恨みつらみを
忠臣蔵という願ってもない史実に重ね、そこから物語が大火の様に隅々まで広がったという事でしたか。
しかし
それによって、長年の恨みが無事晴れたのでしょうか・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 「恨みを晴らす」効果は確かにあったと思います。
ただ、その手法がいかにも日本人らしく手が込んでいるんですよね(^^ゞ
詳しくは次回(2日)の更新をご覧いただくことになりますが、いかにも「大人」のやり方だと思います。
お蔭様をもちまして、2月22日に大阪・本町で行われました大阪なにわ経営者漁火会 平成25年2月例会「それぞれの幕末史 ~会津藩の悲劇はなぜ起きたか~」は17名の皆様がご参加くださいました。
我が国の根幹でいらっしゃる経営者の皆様に対して、薩長土肥や幕府のそれぞれの立場を明確にしながら、過去の失敗から学ぶことの重要性について少しでもご理解いただけたのではないかと思います。また、講演の最後に紹介した一つの歴史的事実が参加者の皆様から大変な好評を得ることができましたが、こうした知られざる事実(というよりも抹殺された事実)を解き明かしていくのも私の務めであると自負しております。
当日の講演の内容については下記のYouTubeをご覧ください。
今後の予定ですが、ブログ開設4周年記念講演でもある第35回歴史講座を平成25年3月23日(土)午後6時より大阪・梅田で、並びに3月30日(土)午後3時30分より東京・浅草にて「人権法案の矛盾 ~言論統制社会が国を滅ぼす」と題して、久しぶりに公民分野を含めた講演を行う予定です。





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ぴーち こんにちは!
やはりこの混沌とした世の中で
どうにか皆さん、活路を見出して行きたいと
お考えの方が黒田さんのお話にヒントを得ようと
お集まりになったことと思います。
歴史に学ぶ事の大切さをきっと実感されて
深い感銘に浸りながら
お帰りになられたでしょうね!
少しでも黒田さんのお話が多くの方に
理解していただけると良いですよね♪
歴史上でも事実が無残にも葬られてしまって来たように、真実を伝達していく過程には、
思うように理解されずに、推し進められない日もあるかとは
思いますが、どうぞ常にその情熱を持ちながら
頑張っていただきたいと思います。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
講演をお聞きくださる皆様の喜びが、そのまま私の生きがいにもなりますからね。
今後とも頑張ってまいります。
会津藩の悲劇について
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
動画を拝聴させて頂きました。
会津藩の悲劇について、納得できないことが
あります。
それは、新撰組が、長州藩の藩士を京都で、
斬りまくった恨みが起こしたと従来、歴史家などが
語っていますが、そこがどうしても、わかりません。
というのも、
◆ 新撰組は、浪士の集まりであり、会津藩とは
直接関係がなく、会津藩預かりという立場
いわば、会津藩の外郭団体でしかなかったということ。
◆ 会津藩の松平容保は、孝明天皇が、直々に京都の治安を守ることを頼まれた存在であり、
むしろ、勅命であったこと。
◆ 会津戦争には、長州藩士以外にも
土佐藩の板垣退助、薩摩藩の大山巌なども参加していたこと。
やはり、『池田屋事件』が、会津戦争の要因として、一番、大きかったのかもしれませんね。
なぜなら
『池田屋事件』に殺された長州藩士は、
指導的立場の人間が多く、含まれ、明治維新を1年遅らせたと言われていることを考えると
会津藩は、長州藩の『怒りのガス抜き』にされただけのような気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 仰る一面もありますね。
だからこそ、長州藩と会津藩との間に、廃藩置県後も長い間確執が続いたのでしょう。
管理人のみ閲覧できます
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