しかし、ここで大石らを打ち首にすれば、今後の幕府と朝廷との関係がますます悪化(あっか)するのは目に見えていました。だからこそ彼らに武士の名誉(めいよ)としての「切腹」の処分を下(くだ)したのです。
一方、大石らの切腹と同時に吉良家は取り潰しとなってしまいました。先述したとおり「幕府に忠実な高家」であったはずの吉良家に対して、なぜ幕府は冷たい裁きを行ったのでしょうか。実は、大石らの討ち入り以前から吉良家は既(すで)に幕府に見限られていたのです。
幕府は大石らの討ち入り前の江戸での動きを事前につかんでいました。これは大石自身も証言している事実ですが、それでも幕府が大石らの行動を妨害(ぼうがい)せずに敢えて討たせたのは、皇室に憎(にく)まれすぎた吉良家が幕府にとって有害でしかなかったからでした。
だからこそ幕府は大石らの動きを見て見ぬふりをしていましたが、討ち入り後に大石らが自害せず、幕府に裁定を委ねたところまで見抜いていたかどうかまでは分かりません。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
幕府が事前に大石らの動きに気づいていて、
見て見ぬふりをしていたということが、
事実だとしたら・・
かなり汚い手口ですね(*_*;
そして我関せずとばかりに、うそぶく幕府に対して
大石内蔵助が裁きを迫った事については、
人として尤もな思いであると感じました。
応援凸
吉良側から見れば・・。
晴雨堂ミカエル 吉良側から見れば、幕府の意を受け難しい朝廷工作を展開し実積をあげ幕府の権威権力はもはや「国家主権」、朝廷は一種の宗教法人的存在にしたのに、純粋真っ直ぐ君の浅野に暴力を振るわれ、十分なフォローもされず悪者扱いで切り捨てられる。
そればかりか、やってもいない浅野君へのイジメの数々を歌舞伎などで喧伝され、大石ら暴徒に対し武士らしく太刀をふるって応戦したのに、検死報告書でも裏付けられているのに、往生際悪く官位をひけらかせて悪態をついたかのように喧伝され、挙げ句にお家とり潰し。
私が吉良なら徳川を末代まで祟ってやるでしょう。
綱吉以後、徳川宗家の血統が絶えて紀州家に取って代われ、さらに御三家の一つ水戸家が尊皇を声高に叫んで幕末の幕政を混乱させ、水戸家の血筋の慶喜が幕府を閉める。
吉良の祟りですな。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
幕府と知れば体のいい吉良家の「処分」だったのかもしれませんが、世の中そんなに甘くはないです。
大石ら四十七士の勇気と決断に感服ですね。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 なるほど、吉良家の怨霊化ですか。
この後の幕府の歴史を見ればさもありなん、という思いがしますね。