それまでの吉良による勅使への仕打ちに対して懸命(けんめい)に耐え続けてきた浅野も、天皇への悪口を耳にして不意に「殺気」がよぎり、堪忍袋の緒が切れると同時に吉良への怒りが爆発(ばくはつ)し、我(われ)を忘れて錯乱状態のようになって刃傷に及んだのです。
刃傷後の取り調べで浅野は吉良への「遺恨」を認めましたが、その理由が吉良による数々の天皇に対する「不敬(ふけい)」であることが分かっていても、それを自(みずか)らが口にすることは天皇の恥(はじ)にもなりかねないため、原因の一切を語らずに堂々と切腹しました。
一方の吉良は「浅野の乱心(らんしん)であり、遺恨はない」と証言しましたが、もちろん自分の勅使に対する数々の仕打ちや城内での不用意な一言が刃傷につながったことは分かっていました。しかし、それを口にすれば自分だけでなく幕府の立場をも危(あや)うくしかねないため、敢(あ)えて「分からない」ととぼけたのであり、悪口を耳にした梶川も同じ考えで記録から「吉良の天皇に対する悪口」を省(はぶ)きました。
しかし、主君と同じ「尊皇の士」である大石内蔵助義雄らの目はごまかせなかったのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
なるほど!確かに仰るような推測が
ぴったりあてはまりそうですね^^
壁に耳あり、障子に目あり。
やはり、いつ何時も
不用意に人の陰口など口外すべきでは
無い様ですね。
まわり回って、必ず自分へ返って来る
ものですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ご賛同くださり有難うございます。
元禄赤穂事件は私たちに大きな教訓を残していると実感しております。
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