そして、その日本の中心として存在するのが「万世一系(ばんせいいっけい)の皇室(こうしつ)」であり、神代(かみよ)以来絶(た)えることなく続く皇室こそが我が国の国体(こくたい、国家としての体制のこと)かつ中心であるという皇室尊崇論(こうしつそんすうろん)を説きました。
そんな山鹿素行の教えを熱心に学んだ赤穂藩が「尊皇(そんのう)の藩」となり、また当時の藩主長直の孫(まご)である浅野内匠頭長矩や若くして素行の薫陶(くんとう)を受けた大石内蔵助義雄らが「尊皇の士」となったのはむしろ当然だったのです。
では、もう一方の吉良上野介義央はどうだったのでしょうか。
吉良家は足利幕府(あしかがばくふ)以来の名家(めいか)でしたが、江戸時代になって徳川幕府に高家(こうけ)として取り立てられ、幕府の儀典(ぎてん)関係を取り仕切る家として存続(そんぞく)しました。つまり、吉良家は「幕府大事」の家柄(いえがら)であり、上野介義央自身も徳川幕府のために高家の身分を利用して「暗躍(あんやく)」することになるのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
やはり吉良上野介も何かしらの暗躍行為があったのですね。
何かしらそうした不穏な動きがあったからこそ、
そのしっぺ返しが思わぬ所から起こったのかもしれませんね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、吉良上野介は「ある不穏な動き」をします。
詳しくは次回(20日)に紹介しますが、当時の政治体制がよくあらわれた話ですね。
井上真太郎 お久しぶりです。ブログ凄い人気ですね。毎日の更新がすごいなーと思います。教師としても頑張ってらっしゃるみたいで。健康に気をつけて引き続き頑張ってください!
井上真太郎さんへ
黒田裕樹 これはどうもお久しぶりです。
ブログを開設してもうすぐ丸4年ですが、毎日更新を心がけて走り続けたらここまで来てしまいました。
今後も歩みを止めることなく頑張ります。
オバrev なるほど~、さすが大阪人の黒田先生。
見事に突っ込んでますね・・・えっ?ボケとツッコミの突っ込みとは違う^^;
それにしても浅野内匠頭は吉良上野介に斬りかからざるを得なかった背景があったんでしょうね・・・この流れからいくと(?o?)
歴史は、やはりそれを動かす力によって必然的にその方向に動いていくもんだなと思います。その背景を探っていかないと真実は見えてこないかもしれませんね。
次の記事が楽しみです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 いえいえ、突っ込みは大阪人の生命ですから(笑)。
仰るとおり、今後は吉良と浅野に隠された背景を探っていくことになります。
ご期待ください!