FC2ブログ
RSS  全記事  管理者用
黒田裕樹の歴史講座
受験対策にも万全!現役高校教師による「分かりやすくて楽しい」歴史ブログです。
次回の「黒田裕樹の歴史講座」

第66回黒田裕樹の歴史講座「戦後史検討 その1 ~占領政策の本質」平成30年5月20日(日)午後2時より東京・スター貸会議室 飯田橋にて、5月26日(土)午後2時より大阪市立総合生涯学習センター第1研修室(ホール)にてそれぞれ行います(東京講演の開始時間が1時間早まっていますので、お間違えのないようにご注意ください)。

BLOCK2 ブラック


ハローワークブログパーツ

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

Twitter

カテゴリ

お知らせ (271)
┗産経新聞 (1)
ごあいさつ (10)
旧石器時代以前 (2)
┣人類の起源と日本列島 (1)
┗旧石器時代の社会 (1)
縄文時代 (7)
┣縄文文化の成立 (2)
┣縄文時代の生活 (3)
┗縄文時代の社会と信仰 (2)
弥生時代 (21)
┣弥生文化の成立 (4)
┣水稲耕作の展開 (3)
┣社会生活の変化 (2)
┣金属器の普及と土器の進化 (4)
┣小国の分立 (4)
┗邪馬台国の時代と大和朝廷の誕生 (4)
神話伝承 (7)
┣日本の建国伝承 (2)
┗消えた邪馬台国の謎 (5)
古墳時代 (25)
┣古墳文化の発展 (5)
┣朝鮮半島をめぐる情勢 (6)
┣大陸文化の伝来 (2)
┣古墳文化の変化 (3)
┣民族文化の成長 (2)
┣大和朝廷の政治制度 (3)
┗大和朝廷の6世紀 (4)
飛鳥時代 (51)
┣聖徳太子の登場 (5)
┣聖徳太子の内政 (7)
┣聖徳太子の外交 (12)
┣飛鳥文化 (2)
┣蘇我氏の横暴 (3)
┣大化の改新 (8)
┣白村江の悲劇 (4)
┣壬申の乱 (4)
┣律令体制の確立 (5)
┗白鳳文化 (1)
奈良時代 (24)
┣平城京への遷都 (3)
┣奈良時代の外交 (3)
┣奈良時代の社会 (2)
┣奈良時代の政治 (13)
┗天平文化 (3)
平安時代 (73)
┣平安京への遷都 (3)
┣薬子の変 (3)
┣弘仁・貞観文化 (6)
┣藤原北家の台頭 (7)
┣摂関政治の全盛 (3)
┣国司の地方支配と荘園の発達 (8)
┣武士団の形成と地方の反乱 (6)
┣対外関係の変化と刀伊の入寇 (4)
┣国風文化 (10)
┣院政の成立 (5)
┣武士団の成長と源氏の進出 (4)
┣保元・平治の乱 (7)
┣平氏政権 (5)
┗院政期の文化 (2)
鎌倉時代 (57)
┣源氏と平氏の興亡 (11)
┣頼朝・義経兄弟の明暗 (4)
┣鎌倉幕府の成立 (3)
┣鎌倉幕府の組織 (2)
┣源氏の暗転と北条氏の台頭 (5)
┣執権政治の展開 (5)
┣武士の生活と土地の支配 (3)
┣産業や商業の発達とその影響 (2)
┣元寇とその影響 (8)
┣鎌倉仏教 (9)
┗鎌倉文化 (5)
室町時代 (58)
┣鎌倉幕府の滅亡 (4)
┣建武の新政 (3)
┣南北朝の動乱 (4)
┣守護の成長と国人一揆 (2)
┣「室町」幕府の成立と義満の野望 (4)
┣室町幕府の組織 (4)
┣「くじ引き将軍」義教の政治 (3)
┣応仁の乱と下剋上 (4)
┣惣村の形成と土一揆 (3)
┣農業や商工業の発達 (4)
┣倭寇と日明貿易 (3)
┣朝鮮・琉球・蝦夷との交易 (4)
┗室町文化 (16)
戦国、安土・桃山時代 (59)
┣戦国大名の登場 (3)
┣戦国大名による領国支配 (3)
┣都市の発展と自治 (2)
┣大航海時代のヨーロッパ (2)
┣鉄砲伝来と南蛮貿易 (2)
┣キリスト教の伝来と隠された真実 (2)
┣織田信長の統一事業 (21)
┣豊臣秀吉の天下統一 (6)
┣太閤検地と刀狩 (3)
┣秀吉の対外政策と朝鮮出兵の真実 (10)
┗桃山文化 (5)
江戸時代・前期 (89)
┣江戸幕府の成立 (6)
┣幕藩体制の確立 (3)
┣幕府と藩の行政機構 (4)
┣朝廷に対する幕府の統制 (6)
┣寺社に対する幕府の統制 (5)
┣江戸時代の農民の暮らし (7)
┣江戸時代の町人と身分制度 (2)
┣江戸初期の外交 (3)
┣「鎖国」までの道のり (7)
┣江戸時代の交易と琉球・蝦夷地 (4)
┣寛永文化 (2)
┣武断政治から文治政治へ (5)
┣元禄時代 (10)
┣正徳の治 (3)
┣農業の発達 (2)
┣諸産業の発達 (3)
┣交通網の整備 (3)
┣三都の繁栄と商業の発達 (4)
┗元禄文化 (10)
江戸時代・後期 (119)
┣江戸社会の変容 (2)
┣享保の改革 (13)
┣田沼時代 (9)
┣寛政の改革 (6)
┣松平定信の真実 (4)
┣大御所時代 (3)
┣田沼時代の文化・化政文化 (17)
┣欧米列強の接近 (7)
┣大塩の乱 (3)
┣天保の改革 (5)
┣雄藩の登場と経済の近代化 (4)
┣アヘン戦争とその影響 (9)
┣黒船来航 (5)
┣通商条約の締結 (5)
┣貿易の開始とその影響 (3)
┣安政の大獄 (3)
┣公武合体と文久の改革 (3)
┣尊王攘夷運動の激化 (9)
┣討幕運動の展開 (8)
┗幕末の社会状況と文化 (1)
明治時代 (205)
┣幕府の滅亡と王政復古 (5)
┣戊辰戦争の悲劇 (9)
┣明治新政府の発足 (8)
┣中央集権化の完成 (4)
┣四民平等と士族の受難 (3)
┣近代的軍事制度の確立 (4)
┣地租改正 (3)
┣貨幣制度の改革 (2)
┣殖産興業 (3)
┣文明開化 (6)
┣初期の外交問題と領土の画定 (13)
┣士族の反乱と西南の役 (3)
┣自由民権運動の展開 (6)
┣明治十四年の政変と政党の結成 (3)
┣松方財政 (3)
┣自由民権運動の激化 (3)
┣行政機関の整備 (4)
┣大日本帝国憲法の制定 (8)
┣初期議会 (4)
┣条約改正への道のり (10)
┣朝鮮をめぐる情勢 (5)
┣日清戦争と三国干渉 (7)
┣列強の中国分割 (4)
┣北清事変と日英同盟 (5)
┣日露戦争 (11)
┣日清・日露戦争後の国内情勢 (6)
┣日露戦争後の国際関係と日韓併合 (11)
┣資本主義の成立 (9)
┣資本主義の発達 (4)
┣社会運動の発生 (10)
┣思想界・宗教界の動向 (3)
┣教育制度の整備 (2)
┣教育勅語 (3)
┣学問の発達 (4)
┣近代の文学 (4)
┣近代の美術 (2)
┣明治期の演劇・音楽 (3)
┣文化事業の推進 (2)
┣文部省唱歌「われは海の子」 (2)
┣国旗「日の丸」と国歌「君が代」の由来 (2)
┗明治の終焉 (2)
大正時代 (61)
┣大正政変 (5)
┣第一次世界大戦と日本 (3)
┣中国とロシアの動向 (10)
┣政党内閣の成立 (5)
┣パリ講和会議と民族運動 (5)
┣護憲三派内閣の成立 (5)
┣ワシントン会議とアメリカの野望 (7)
┣第一次国共合作と幣原外交の挫折 (4)
┣大戦景気と戦後恐慌・関東大震災 (3)
┣社会運動の展開 (4)
┣大衆文化の広がり (3)
┣学問と教育の発展 (2)
┗文学と芸術の動き (5)
昭和時代・戦前 (156)
┣昭和の始まりと金融恐慌 (7)
┣積極外交への転換 (6)
┣世界恐慌とその影響 (4)
┣金解禁と昭和恐慌 (4)
┣国家社会主義の台頭 (3)
┣軍縮と統帥権干犯問題 (6)
┣満州事変 (6)
┣満州国建国と国際連盟脱退 (7)
┣政党内閣の崩壊 (5)
┣高橋財政と重化学工業の発達 (4)
┣二・二六事件 (5)
┣昭和初期の思想と文化 (6)
┣戦後体制(第一次大戦)の動揺 (3)
┣近衛内閣の誕生 (6)
┣盧溝橋事件と通州事件 (10)
┣日華事変と南京攻略 (14)
┣日華事変の長期化と近衛声明 (6)
┣経済統制の強化と新体制運動 (9)
┣ソ連軍の侵攻とノモンハン事件 (6)
┣第二次世界大戦の勃発 (12)
┣三国同盟と日ソ中立条約 (10)
┗行きづまる日米交渉 (17)
昭和時代・戦中 (67)
┣真珠湾攻撃とその真実 (11)
┣大東亜戦争の始まり (11)
┣戦局の暗転 (10)
┣戦時下の国民生活 (3)
┣戦時下の朝鮮・台湾 (10)
┣戦局の悪化 (8)
┗戦争の終局 (14)
昭和時代・戦後 (159)
┣昭和天皇とマッカーサーとの会見 (3)
┣連合国による日本占領 (11)
┣占領政策の開始 (6)
┣東京裁判という「茶番」 (9)
┣「押しつけられた」日本国憲法 (18)
┣政党の復活 (2)
┣経済面の占領政策 (7)
┣食糧危機とインフレーション (4)
┣占領下の皇室と国民 (6)
┣昭和天皇のご巡幸 (10)
┣冷戦体制の形成とアジア情勢 (10)
┣朝鮮戦争の勃発 (4)
┣日本の独立回復 (8)
┣特需景気と経済復興 (4)
┣独立回復後の国内情勢 (3)
┣激動する世界情勢 (6)
┣55年体制の成立と国連への加盟 (3)
┣安保条約の改定と闘争の激化 (3)
┣高度経済成長 (6)
┣保守長期政権 (6)
┣国民生活の変化 (7)
┣保守政権の動揺 (10)
┣貿易摩擦とバブル景気 (4)
┣戦後の文化 (4)
┗昭和から平成へ (5)
平成時代 (89)
┣冷戦体制の崩壊 (19)
┣湾岸戦争の大きな教訓 (9)
┣55年体制の崩壊 (11)
┣バブル経済の崩壊と金融制度改革 (9)
┣森内閣から小泉内閣へ (17)
┣第一次安倍内閣とその後の自民党政権 (10)
┣民主党政権と東日本大震災 (12)
┗安倍政権の復活 (2)
第1回歴史講座 島国の環境が創った我が国の歴史 (10)
┣日本列島の地理的環境がもたらした「天然の防壁」 (2)
┣中国大陸との交流 (2)
┣聖徳太子と遣隋使 (2)
┣朝鮮半島とのかかわり (2)
┗「島国」ゆえの最大の危機 (2)
第2回歴史講座 「鎖国」という名の悲劇 (9)
┣「鎖国」に対するイメージとは (1)
┣「鎖国」に至るまでの歴史 (2)
┣なしくずしの「鎖国」とその影響 (2)
┣逃してしまった「開国」へのチャンス (2)
┗「しなくても済んだ苦労」をする「悲劇」 (2)
第3回歴史講座 源義経 (11)
┣平氏に捕まりながらも生きながらえた奇跡 (2)
┣戦術の天才ぶりを遺憾なく発揮 (2)
┣ついに平氏滅亡、しかし… (2)
┣「戦略」が理解できなかった「戦術」の天才 (3)
┗役割を終えた「アイドル」の末路 (2)
第4回歴史講座 明智光秀 (12)
┣最大のミステリー 「本能寺の変」 (1)
┣光秀の動機は「怨恨」か? (2)
┣信長と光秀との理想的な主従関係 (2)
┣「不信感」という名の導火線 (2)
┣ついに爆発した光秀の不信感 (2)
┣本能寺の変に「黒幕」はいない (2)
┗たった一人で歴史を変えた男 (1)
第5回歴史講座 毛利家の栄枯盛衰 (15)
┣信長に次いで天下取りに近かった男 (1)
┣重大な決意 (3)
┣すべてが思い通りに (3)
┣凄まじいまでの謀略 (2)
┣三矢の訓(おしえ) (2)
┣元就の不安的中 (2)
┗因果はめぐる (2)
第6回歴史講座 徳川綱吉 (19)
┣徳川綱吉は本当に「暗君」か? (2)
┣ハンデを乗り越えて始まった綱吉の治世 (3)
┣「生類憐みの令」の背景とその真実 (5)
┣綱吉の治世における数々の功績 (4)
┣立て続けに綱吉を襲った「災害」 (2)
┣恐るべき「歴史の捏造」からの名誉回復を目指せ (2)
┗綱吉が我が国にもたらした「思わぬ効果」 (1)
第8回歴史講座 田沼意次と松平定信 (18)
┣田沼意次=悪役は本当か? (2)
┣田沼時代の真実 (8)
┣偶然と陰謀と (3)
┣前政権の全否定 (4)
┗「名君」と「悪人」の目くらましに惑わされないために (1)
第9回歴史講座 明治憲法とは (15)
┣明治憲法の一般的な評価は真実か? (2)
┣明治憲法の歴史的経緯 (5)
┣明治憲法の公民的考察 (6)
┗統帥権の干犯 (2)
第10回歴史講座 信長と信玄との「決定的な違い」について (17)
┣信長と信玄との「決定的な違い」とは? (3)
┣一つめの違い (6)
┣二つめの違い (4)
┗「決定的な」三つめの違い (4)
第11回歴史講座 太閤殿下の夢 (16)
┣我が国と「ある国」との秀吉の評価の違いとは? (2)
┣世界史の流れから見た我が国侵略への恐怖感 (5)
┣秀吉の朝鮮出兵の意図は「明への先制攻撃」にあり (3)
┣徳川家によってねじ曲げられた朝鮮出兵の真意 (2)
┗歴史教育に必要な「それぞれの立場」による認識 (4)
第12回歴史講座 戦国時代の宗教戦争 (15)
┣「政教分離の原則」が定着した我が国 (1)
┣「政教一致」が我が国にもたらした様々な問題 (4)
┣信長の政策 (4)
┣秀吉の政策 (3)
┣家康の政策 (2)
┗政教分離による恩恵と問題点 (1)
第13回歴史講座 日本とトルコ (15)
┣屈指の親日国家 「トルコ共和国」 その理由とは? (1)
┣エルトゥールル号の悲劇と懸命の救助 (5)
┣我が国とトルコとの間に生まれた絆 (2)
┣トルコの恩返し (4)
┣固い絆は永遠に (2)
┗補足 (1)
第15回歴史講座 遠山の金さん (18)
┣「遠山の金さん」の実像とは? (1)
┣時代劇「遠山の金さん」のストーリー (5)
┣将軍から「お墨付き」をもらった北町奉行 (3)
┣水野忠邦や「妖怪」との対立 (4)
┣庶民の楽しみを守った名奉行 (3)
┗「金さん」伝説は永遠に (2)
第16回歴史講座 政権交代の歴史 (16)
┣選挙だけではない「政権交代」の歴史 (2)
┣朝廷による政治から平氏政権へ (4)
┣鎌倉幕府の誕生 (4)
┣建武の新政と三英傑との大きな違い (3)
┣江戸幕府から明治維新へ (2)
┗そして現代へ (1)
第17回歴史講座 徳川家康 (22)
┣歴史に学んだ家康の平和主義とは? (2)
┣独立後も続いた辛抱の日々が報われるとき (3)
┣独立までの苦難の日々で身に着けたもの (4)
┣律義者から狸爺へ (3)
┣幕府存続を目指して (4)
┣皇室をも利用した容赦ない家康の「平和主義」 (3)
┗「平和主義者」家康に対する誤解と偏見 (3)
第18回歴史講座 日韓併合 (20)
┣日韓併合の歴史的経緯を探る必要性 (2)
┣不幸な行き違いから始まった明治の日朝関係 (4)
┣二つの事変と朝鮮半島に忍び寄る清国の影 (2)
┣日清戦争で清国の介入を防ぐも、迫るロシアの魔の手 (5)
┣「保護国」から「併合」へと導いた一発の銃弾 (5)
┣日韓併合までに至る歴史の評価とは? (1)
┗補足 (1)
第19回歴史講座 織田信長 (18)
┣織田信長の全体像とは? (1)
┣「生きた情報」を重視する信長の姿勢 (3)
┣「目先の利益」よりも長期的なビジョンを優先 (2)
┣地名の変更と大胆な城下町政策で都市を繁栄に導く (2)
┣信長が敵から学んだ「独自の政策」とは (4)
┣自らの権威を高めるために信長が選んだ手段 (3)
┣独裁者の精神が招いた「本能寺の変」 (2)
┗「歴史の転換者」の完成した姿とは? (1)
第20回歴史講座 幕末百景 (25)
┣幕末における大きな歴史の流れとは? (1)
┣薩摩藩の場合 (7)
┣長州藩の場合 (8)
┣土佐藩の場合 (2)
┣肥前藩の場合 (2)
┗江戸幕府の場合 (5)
第21回歴史講座 昭和天皇・前篇 (23)
┣我が国の危機を救われた昭和天皇 (2)
┣幼年期からご即位まで (3)
┣立憲君主制の重み (6)
┣一日も早い戦争終結を願われて (5)
┣ご聖断下る (5)
┣終戦を迎えて (1)
┗大東亜戦争終結ノ詔書 (1)
第22回歴史講座 日本国憲法誕生秘話 (15)
┣日本国憲法をめぐる謎 (1)
┣GHQが主導した新憲法の制定 (4)
┣脅迫に屈した占領の悲劇 (3)
┣憲法改正への動きが鈍い理由 (2)
┣自主的な憲法改正の必要性 (3)
┗補足 (2)
第23回歴史講座 昭和天皇・後篇 (24)
┣我が国の運命を決めたマッカーサーとのご会見 (2)
┣現在も続く「皇居勤労奉仕」の源流 (1)
┣「人間宣言」に対する大きな誤解 (4)
┣昭和天皇のご巡幸 (10)
┣世界における天皇陛下の権威 (2)
┣太陽は静かに沈み、そしてまた昇る (4)
┗東日本大震災と天皇陛下のビデオメッセージについて (1)
第24回歴史講座 日韓併合後の歴史 (10)
┣「日帝三十六年の真実」とは? (1)
┣植民地支配における過酷な真実 (2)
┣朝鮮半島の統治における数々の真実 (5)
┗外国が絶賛した我が国の朝鮮統治 (2)
第25回歴史講座 風雲・関ヶ原 (21)
┣「関ヶ原の戦い」にまつわる様々な側面 (1)
┣避けられなかった「豊臣家の落日」 (4)
┣「敗軍の将」 石田三成の真実 (3)
┣実は「薄氷の勝利」だった徳川家康 (4)
┣もし関ヶ原の戦いで西軍が勝っていたら (5)
┣関ヶ原の戦いから見えてくるもの (1)
┗補足 (3)
第26回歴史講座 藤原氏の栄枯盛衰 (25)
┣藤原氏から見えてくる大きな歴史の流れ (1)
┣誕生 (3)
┣発展 (7)
┣完成 (4)
┣実は不可思議な藤原氏の栄華 (2)
┣没落と復活と (6)
┣藤原氏の歴史をたどる意義 (1)
┗補足 (1)
第27回歴史講座 からくり儀右衛門 (12)
┣我が国を支えた「ものづくり」の精神 (1)
┣「からくり儀右衛門」の誕生 (3)
┣人々の暮らしに貢献した数々の発明 (2)
┣歴史を変えた「アームストロング砲」 (3)
┣歴史をつくった晩年の事業 (2)
┗知識は失敗より学ぶ (1)
第28回歴史講座 真説・平家物語 (23)
┣平家滅亡の真の理由とは? (1)
┣武士の誕生とその飛躍の背景 (3)
┣平家を栄光へと導いた二つの乱 (6)
┣「開拓者」の宿命としての大きな「欠陥」 (5)
┣悲運と必然とがもたらした平家の没落 (7)
┗大いなる教訓としての平家の功績 (1)
第29回歴史講座 室町幕府の教訓その1 (15)
┣「室町時代」の分かりにくさ (1)
┣「鎌倉幕府」滅亡への道のり (4)
┣「建武の新政」の理想と現実 (4)
┣欠陥だらけだった「室町幕府」とその原因 (5)
┗課題を残した尊氏の「負の遺産」 (1)
第30回歴史講座 室町幕府の教訓その2 (22)
┣義詮から義満へ (2)
┣南北朝の合一 (3)
┣義満の野望と挫折 (6)
┣神に選ばれた将軍 (5)
┣後南朝の悲劇 (5)
┗「やり過ぎ」がもたらしたもの (1)
第31回歴史講座 室町幕府の教訓その3 (18)
┣「箍が外れた桶」となった室町幕府 (2)
┣「応仁の乱」の思惑と現実 (5)
┣権威の「使い捨て」に振り回された足利将軍 (6)
┣「室町幕府の教訓」とそれを活かしきった男 (4)
┗歴史に学んで「教訓」を活かす重要性 (1)
第32回歴史講座 聖徳太子 (21)
┣建国以来の危機に敢然と立ち向かった男 (1)
┣内憂外患からの大改革 (3)
┣冠位十二階に秘められた深慮遠謀 (2)
┣現代にもつながる憲法十七条の精神 (3)
┣遣隋使で見せた我が国の気概 (8)
┗聖徳太子をめぐる昨今の諸問題 (4)
第33回歴史講座 明治天皇 (28)
┣崩御100年にご遺徳を偲んで (1)
┣明治天皇のご誕生と激動の維新 (4)
┣西郷隆盛とのお若き頃の日々 (2)
┣明治天皇と立憲君主制 (6)
┣教育勅語に込められた陛下の願い (3)
┣戦時における陛下の大御心 (5)
┣大津事件での誠実なご対応 (2)
┣明治の終焉とその後 (4)
┗「明治の日」を実現しよう! (1)
第34回歴史講座 真説・忠臣蔵 (22)
┣「元禄赤穂事件」の真実 (7)
┣「水と油」だった浅野家と吉良家 (4)
┣「浅野vs.吉良」と「討ち入り」の本当の理由 (5)
┣「元禄赤穂事件」が「忠臣蔵」になるまで (4)
┗「隠されたメッセージ」を理解するために (2)
第35回歴史講座 人権法案の矛盾 (23)
┣人権法案に秘められた矛盾 (8)
┣治安維持法の真実 (4)
┣自治基本条例の恐るべき実体 (7)
┗今こそ問われる国民としての自覚 (4)
第36回歴史講座 山田方谷 (16)
┣山田方谷の誕生とその半生 (2)
┣方谷による財政改革の全容 (7)
┣他藩も参考にした方谷の改革精神 (2)
┣藩を救った改革とその後の方谷 (3)
┗「アベノミクス」成功の切り札として (2)
第37回歴史講座 北条時宗 (15)
┣元の建国 (3)
┣文永の役 (4)
┣弘安の役 (5)
┗「征夷大将軍」の重責 (3)
第38回歴史講座 乃木希典 (32)
┣「武人」乃木希典の青年期 (4)
┣連隊旗喪失の悲劇とその後の乃木 (5)
┣旅順攻略戦の苦悩・前編 (6)
┣旅順攻略戦の苦悩・中編 (4)
┣旅順攻略戦の苦悩・後編 (6)
┣奉天会戦、そして帰国後の乃木の決意 (3)
┗晩年の乃木将軍と殉死 (4)
第39回歴史講座 樋口季一郎 (20)
┣「エリート将校」の様々な横顔 (4)
┣オトポール事件 (6)
┣キスカ撤退作戦 (5)
┣占守島の戦い (3)
┗「誇りある決断」がもたらしたもの (2)
第40回歴史講座 西郷隆盛 (30)
┣若き日の西郷と藩主斉彬との出会い (6)
┣不遇の時代を乗り越えて討幕へ (5)
┣西郷の武士道精神を支えたものとは (6)
┣征韓論争にも見られた「武士道精神」 (5)
┣西南戦争に見られる西郷の「覚悟」 (5)
┗身は城山の露と消えても (3)
第41回歴史講座 鈴木貫太郎 (23)
┣「鬼貫」と呼ばれた男の半生 (5)
┣運命の「二・二六事件」 (4)
┣最難局での総理大臣就任 (6)
┣陛下のご聖断を導いた男 (6)
┗「鬼貫」の生き様から学ぶもの (2)
第42回歴史講座 黒田官兵衛 (14)
┣播磨で名を挙げた青年期の官兵衛 (3)
┣信長・秀吉との出会いと幽閉の日々 (4)
┣天下平定から朝鮮出兵への道のり (3)
┗家康への臣従と関ヶ原以後の官兵衛 (4)
第43回歴史講座 文部省唱歌の世界 (14)
┣講演編 (8)
┗歌唱編 (6)
第44回歴史講座 条約改正への道のり (28)
┣江戸幕府が結ばされた不平等条約 (8)
┣条約改正への道のり・前編 (7)
┣条約改正への道のり・後編 (5)
┗条約改正が我が国に残した大きな教訓 (8)
第45回歴史講座 大化の改新と壬申の乱 (23)
┣蘇我氏の横暴 (5)
┣大化の改新への道のり (5)
┣白村江の悲劇 (6)
┗壬申の乱とその後の情勢 (7)
第46回歴史講座 自治基本条例の真実 (23)
┣自治基本条例の「本当のねらい」とは (8)
┣「日本侵略ウィルス条例」の恐怖 (7)
┗ヘイトスピーチへの規制は第二の「人権擁護法案」である (8)
第47回歴史講座 大東亜戦争その1 (42)
┣日米関係の悪化をもたらした「ハリマン問題」 (9)
┣「日英同盟」を破棄に追い込んだアメリカの野望 (10)
┣共産主義国家ソ連の脅威と日本国内の経済状況の悪化 (11)
┗昭和恐慌と統帥権干犯問題 (12)
第48回歴史講座 大東亜戦争その2 (55)
┣満州事変とその影響 (10)
┣相次ぐ「血の粛清」とその背景 (6)
┣盧溝橋事件と通州事件、そして「日華事変」 (12)
┣「南京大虐殺」は有り得ない (10)
┣追いつめられていく日本 (7)
┗ついに開戦へ (10)
第49回歴史講座 大東亜戦争その3 (66)
┣真珠湾攻撃に秘められた真実 (11)
┣大東亜戦争の始まり (11)
┣戦局の暗転 (10)
┣戦時下の朝鮮・台湾 (10)
┣戦局の悪化 (9)
┗戦争の終局 (15)
第50回歴史講座 大東亜戦争その4 (63)
┣WGIPによる日本洗脳工作の開始 (15)
┣恐るべき占領政策の実態 (12)
┣東京裁判という「茶番」 (9)
┣日本の独立回復 (11)
┣日本の安全保障と自虐史観をめぐる問題 (7)
┗大東亜戦争を「本当に終わらせる」日を目指して (9)
第51回歴史講座 吉田松陰と井伊直弼 (28)
┣吉田松陰の生涯 (6)
┣井伊直弼の生涯 (7)
┣自主的な開国を拒否し続けた江戸幕府 (7)
┗不本意な開国がもたらした大きな問題 (8)
第52回歴史講座 徳川吉宗と徳川宗春 (31)
┣強運の男・吉宗の出世物語 (6)
┣享保の改革による「善政」 (5)
┣享保の改革による「失政」とその後 (6)
┣尾張藩主「徳川宗春」の誕生 (4)
┣宗春による数々の効果的な施策 (4)
┗宗春隠居謹慎の「本当の理由」とその後 (6)
第53回歴史講座 昭和天皇 (57)
┣天皇陛下の大御心 (8)
┣立憲君主制の重み (6)
┣一日も早い戦争終結を願われて (7)
┣ご聖断下る (8)
┣終戦直後の昭和天皇と皇室をめぐる様々な動き (9)
┣昭和天皇のご巡幸 (10)
┗昭和から平成へ (9)
第54回歴史講座 江戸後期の政治史 (49)
┣意次と定信、そして「金さん」に秘められた真実 (5)
┣開明的だった田沼時代とその後の「悲劇」 (9)
┣寛政の改革の様々な「弊害」  (7)
┣いま明かされる松平定信の「人間性」 (5)
┣大御所時代と大塩の乱 (6)
┣時代劇「遠山の金さん」のストーリー (5)
┣水野忠邦や「妖怪」との対立 (7)
┗「金さん」伝説は永遠に (5)
第55回歴史講座 奈良・平安前中期の政治史 (41)
┣藤原不比等 [藤原氏] から長屋王 [非藤原氏] へ (5)
┣藤原四兄弟 [藤原氏] から 橘諸兄 [非藤原氏] へ (4)
┣藤原仲麻呂 (恵美押勝) [藤原氏] (6)
┣道鏡 [非藤原氏] から再び藤原氏 [藤原百川・藤原永手] へ (5)
┣摂関政治全盛までの道のり (8)
┣藤原氏を支えた財政的基盤 (4)
┣源氏物語に秘められた藤原氏との関わり (4)
┗藤原氏の「不可思議な」栄華とその後の没落 (5)
第56回歴史講座 日本文明の誕生 (22)
┣縄文文化は「世界最高水準」であった (6)
┣最新の調査研究で明らかになった「弥生文化」の真実 (4)
┣神話の正しさを証明した「地質学的事実」 (6)
┗「建国に関する伝承」と「日本文明」 (6)
第57回歴史講座 平安後期の政治史 (43)
┣武士の誕生と院政の成立 (9)
┣武士団の成長と源氏の躍進 (5)
┣平氏を栄光へと導いた二つの乱 (6)
┣平氏政権に秘められていた「大きな欠陥」 (5)
┣頼朝の台頭と平氏の滅亡 (9)
┗「戦略」が理解できなかった「戦術」の天才 (9)
第58回歴史講座 日本と韓国のほんとうの歴史 (41)
┣「日本と韓国のほんとうの歴史」を学ぶにあたって (4)
┣日朝関係を悪化させた「不幸な行き違い」 (4)
┣朝鮮半島に迫る清国の影とロシアの魔の手 (8)
┣併合を決定づけた「運命の銃弾」 (5)
┣一般的な植民地支配の厳しい現実 (3)
┣朝鮮半島の統治における数々の真実 (7)
┣慰安婦問題の「日韓合意」について (7)
┗外国が絶賛した我が国の朝鮮統治 (3)
第59回歴史講座 東條英機 (41)
┣「軍人」東條英機が政治の舞台に登場するまで (6)
┣日米開戦を導いた「アメリカの思惑」 (7)
┣コミンテルンの謀略と東條首相の苦悩 (9)
┣大東亜戦争は「無謀な戦争」だったのか (9)
┗東條英機元首相の遺書 (10)
第60回歴史講座 日本外交史その壱 (29)
┣「小国」が始めたチャイナとの外交 (5)
┣「邪馬台国」と「倭の五王」の外交について (6)
┣聖徳太子がもたらした「対等外交」 (10)
┗「聖徳太子抹殺計画」の恐怖 (8)
第61回歴史講座 日本外交史その弐 (38)
┣遣唐使のはじまりとその後の中断 (11)
┣鑑真の渡日と刀伊の入寇 (9)
┣元寇で見せた「鎌倉武士の意地」 (8)
┣神風をもたらした「断固たる決意」 (5)
┗征夷大将軍の重責と「元寇抹殺計画」 (5)
第62回歴史講座 日本外交史その参 (49)
┣室町幕府の誕生と南北朝の動乱 (11)
┣日明貿易に秘められた義満の野望 (11)
┣室町時代の様々な外交 (7)
┣大航海時代と南蛮貿易の真実 (7)
┣秀吉の外交政策 ~「やられる前に、やれ」 (6)
┗朝鮮出兵の真実と豊臣家のその後 (7)
第63回歴史講座 日本外交史その四 (55)
┣厳しい制限貿易による「鎖国」の完成 (10)
┣閉ざされた「自主開国」への道 (11)
┣「平和ボケ」の極みだった幕府の外交政策 (10)
┣不本意な開国による様々な問題と「征夷大将軍」の重み (16)
┗「貧乏くじ」を引いた井伊直弼は現代の縮図でもある (8)
第64回歴史講座 日本外交史その五 (64)
┣初期の外交問題と領土の画定 (13)
┣条約改正への道のり (11)
┣日清戦争と三国干渉 (9)
┣列強による中国分割と日英同盟 (9)
┣日露戦争の世界史的意義 (11)
┗日露戦争後の国際関係と日韓併合 (11)
第65回歴史講座 日本外交史その六 (16)
┣第一次世界大戦とロシア革命 (14)
┣ヴェルサイユ体制とワシントン体制 (2)
┣幣原外交の挫折と復活 (0)
┣世界的な恐慌と統帥権干犯問題 (0)
┗満州事変と国際連盟脱退 (0)
第1回公民授業 民主政治と基本的人権 (9)
第2回公民授業 明治憲法と日本国憲法 (24)
┣明治憲法の真実 (10)
┣明治憲法における「国民の権利」と「統帥権干犯問題」 (8)
┗日本国憲法制定における「真実」 (6)
第3回公民授業 平和主義 (23)
┣日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題 (6)
┣自衛隊の国際貢献に関する歴史 (6)
┣日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 (9)
┗「積極的平和主義」と憲法改正 (2)
黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編 (24)
┣「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の内容再現について (1)
┣幕府の滅亡と王政復古・メルマガ編 (6)
┣戊辰戦争の悲劇・メルマガ編 (9)
┗明治新政府の発足・メルマガ編 (8)
鎖国に至るまでの歴史 (27)
┣「鎖国に至るまでの歴史」について (1)
┣大航海時代が招いた南蛮貿易とキリシタン大名 (6)
┣秀吉によるカトリックへの弾圧と家康の当初の姿勢 (6)
┣江戸幕府による厳しい弾圧がもたらした「鎖国」の完成 (8)
┗「抑止力」に学ぶ我が国の未来 (6)
自由民権運動の真実 (33)
┣「自由民権運動の真実」について (2)
┣自由民権運動の始まりと政府の姿勢 (7)
┣政府と民権派とが育て上げた自由民権運動 (7)
┣激化事件の続発とその後の自由民権運動 (6)
┣自由民権運動に関する政府の条例の覚え方 (2)
┣行政機関の整備 (4)
┗初期議会 (5)
授業研究(日本史) (25)
┣討幕をめぐる動き (11)
┗廃藩置県から士族の受難まで (14)
授業研究(政治・経済) (102)
┣参議院選挙 (9)
┣憲法改正 (13)
┣平和主義(憲法の理念) (3)
┣平和主義(自衛隊をどう教えるか) (3)
┣平和主義(専守防衛と非核三原則) (2)
┣平和主義(防衛装備移転三原則) (2)
┣平和主義(日米安保条約) (5)
┣平和主義(思いやり予算と在日米軍施設) (4)
┣平和主義(ガイドラインと安全保障関連法) (8)
┣平和主義(有事法制) (2)
┣平和主義(自衛隊の海外派遣) (11)
┣平和主義(シビリアン・コントロール) (2)
┣国際政治(国際連合) (2)
┣国際政治(冷戦のはじまり) (8)
┣国際政治(多極化と第三世界) (8)
┣国際政治(冷戦の終結) (14)
┗国際政治(冷戦後の東アジア) (6)
歴史講座60回を迎えて (19)
次期学習指導要領の改定案について (7)
ナイトセミナー「徳川綱吉の真実」 (18)
┣倫理法人会について (2)
┣「徳川綱吉」=「暗君」説は本当か? (6)
┣「生類憐みの令」の背景とその真実 (4)
┗ケインズよりも200年以上早く実践した経済学 (6)
黒田裕樹のTweetより (6)
番外編 (6)
未分類 (0)

「百万人の歴史講座」開設しました!

今なら10,000円をお支払いくださるだけで、これまで65回にわたる歴史講座(公民授業)のすべてと、今後も展開される講演のレジュメを、ずっと入手できます!(※詳しくは以下のバナーをクリックしてください)


メルマガ登録バナー

4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。

メルマガ登録・解除
黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編
>> サンプル
詳細ページへ
powered by まぐまぐ!
 

ブログランキング

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。

ブログランキング 人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

おきてがみ

足跡が残りますので、お気軽にクリックして下さい。こちらからも訪問させていただきます。

おきてがみ

いつもありがとうございます!

#HANDLE#、いつもありがとうございます!

カレンダー

12 | 2013/01 | 02
日 月 火 水 木 金 土
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

facebook

Hiroki Kuroda

バナーを作成

検索フォーム


バナー用画像

バナー用画像ができました。ご自由にお使いください。

Mr Kuroda blog

メールフォーム

当ブログにおける記事の内容や講演の申込み等、何でもお気軽にお問い合わせ下さい。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

黒田裕樹

Author:黒田裕樹
(くろだ・ひろき)
社会人出身の教師(大阪府内の公立高校非常勤講師)です。歴史教育のブログ「黒田裕樹の歴史講座」を開設しております。
Birthday:S44.02.15(みずがめ座)
血液型:A型
花嫁募集中(未婚)です(^^ゞ
大阪市在住
広島東洋カープの大ファンです♪

教師としての専門科目:日本史、現代社会など
高校地歴・公民、中学社会の教員免許を所有

大阪・明星高校から関西大学法学部を卒業後、複数の司法書士事務所に勤務の後に教師になることを志し、通信教育で教員免許を取得。私立高校の社会科非常勤講師から私立大学の事務職員、大阪府立高等学校期限付常勤講師を経て、現在は大阪府内の公立高校で非常勤講師として勤務中です。

他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」の実践を心掛け、原則として毎日正午に欠かさず更新しております。

リンク

  • 南木の資料室別館
  • 南木家の食卓
  • 歴史講座のご案内 by 学ぼう会 北摂
  • 授業づくりJAPANさいたま 「小6・中学社会 学校でまなびたい歴史」
  • 授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」
  • 授業づくりJAPAN横浜《中学》 「日本人を育てる歴史と道徳」
  • 授業づくりJAPAN TOKIO《高校》日本人を育てる授業
  • 授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー
  • 授業づくりJAPAN岩手《小学》日本人を育てる授業
  • しばやんの日々
  • 奈津子の徒然雑記帳
  • えだもと建具のブログ
  • 大好きな日本を取り戻し、良くしたい
  • ピアニッシモ・ストーリー
  • 蒼い空と白い雲
  • 蓼食う虫も好き好き
  • 実録!翔の『極楽カナダ生活』
  • ねずさんの ひとりごと
  • 日本古代史つれづれブログ
  • 初代石川流~日本が日本であるために
  • のほほんメモリー ~キレイゴトの秘密基地~
  • 日本美学研究所
  • VTECサウンド
  • わにまろブログ
  • のんびり屋ちゃてれの忙しき日々
  • 江戸歌舞伎とつれづれ日記
  • のんびりとじっくりと!
  • とさを 店主の一言ブログ
  • 宇和島接骨院
  • いいかげん、でもいいかげん。
  • 老年フリーターのつぶやき
  • 徒然なんでも日記
  • ボヤytalday
  • SONG-VOICE-LIFE! ヴォイストレーナーの日記
  • 漫画家佐佐木あつし公式ブログ ☆☆気づきの記☆☆
  • 癒しでおまかせ本舗(癒しで解消☆おまかせ本舗)
  • 1年の春1000年の冬
  • 神戸の司法書士井上真太郎のブログ
  • 空色きゃんでぃ
  • 345ママの愉快な毎日
  • 明日は明日の風が吹く!
  • きなり食堂
  • オプションで生きる ドクトル・ぬきちの専業実録記
  • 東国の古代史
  • 友なる 音楽
  • にじゅうご
  • いささめ
  • 和歌を訪ねて
  • 桜とサムライ
  • 海月のような日記(旧3兄妹日記)
  • しもきたまご
  • 「国際派時事コラム・商社マンに技あり!」 ライブ版
  • 『新着通知はありません』
  • 管理画面

このブログをリンクに追加する

最新記事

  • 「百万人の歴史講座」開始のお知らせ(10,000円で永久会員です) (12/31)
  • 無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」発行のお知らせ(4月13日創刊・毎週水曜日発行) (12/31)
  • ヴェルサイユ体制とワシントン体制 その2 (04/21)
  • ヴェルサイユ体制とワシントン体制 その1 (04/20)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その14 (04/19)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その13 (04/18)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その12 (04/17)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その11 (04/16)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その10 (04/15)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その9 (04/14)

最新コメント

  • omachi:日清戦争と三国干渉 その2 (03/03)
  • 青田:占領下の皇室と国民 その1 (02/18)
  • 青田:初期の外交問題と領土の画定 その1 (02/02)
  • R2:「平和主義者」家康に対する誤解と偏見 その2 (01/09)
  • 青田:「平和ボケ」の極みだった幕府の外交政策 その5 (01/03)
  • 鳳麒:「元禄赤穂事件」の真実 その4 (11/04)
  • 鳳麒:「元禄赤穂事件」の真実 その6 (11/04)

最新トラックバック

  • 蓼食う虫も好き好き:弱腰で世は怖し… (03/19)
  • 蓼食う虫も好き好き:世界を知って自国を知る (01/22)
  • 蓼食う虫も好き好き:クラチー、やらかすの巻 (11/26)
  • 蓼食う虫も好き好き:秀吉「日本が危ない…。そうだ!海外に出兵しよう!」 (09/18)
  • 世捨て人の雑感:文部省唱歌「われは海の子」 その1 (08/15)
  • 「和の心」 ~ とある土木系技術者が綴る:【参加報告】黒田裕樹の歴史講座 第59回「東條英機」(1) (03/27)
  • 蓼食う虫も好き好き:【ミッション】東條英機の名誉を回復せよ (03/13)

月別アーカイブ

  • 2018/12 (2)
  • 2018/04 (22)
  • 2018/03 (34)
  • 2018/02 (29)
  • 2018/01 (34)
  • 2017/12 (33)
  • 2017/11 (31)
  • 2017/10 (31)
  • 2017/09 (33)
  • 2017/08 (32)
  • 2017/07 (33)
  • 2017/06 (31)
  • 2017/05 (33)
  • 2017/04 (31)
  • 2017/03 (33)
  • 2017/02 (31)
  • 2017/01 (34)
  • 2016/12 (33)
  • 2016/11 (31)
  • 2016/10 (31)
  • 2016/09 (33)
  • 2016/08 (34)
  • 2016/07 (32)
  • 2016/06 (31)
  • 2016/05 (33)
  • 2016/04 (30)
  • 2016/03 (34)
  • 2016/02 (30)
  • 2016/01 (34)
  • 2015/12 (32)
  • 2015/11 (32)
  • 2015/10 (33)
  • 2015/09 (32)
  • 2015/08 (33)
  • 2015/07 (32)
  • 2015/06 (31)
  • 2015/05 (36)
  • 2015/04 (32)
  • 2015/03 (35)
  • 2015/02 (32)
  • 2015/01 (36)
  • 2014/12 (34)
  • 2014/11 (36)
  • 2014/10 (35)
  • 2014/09 (33)
  • 2014/08 (35)
  • 2014/07 (33)
  • 2014/06 (34)
  • 2014/05 (34)
  • 2014/04 (33)
  • 2014/03 (35)
  • 2014/02 (32)
  • 2014/01 (34)
  • 2013/12 (34)
  • 2013/11 (34)
  • 2013/10 (36)
  • 2013/09 (34)
  • 2013/08 (34)
  • 2013/07 (31)
  • 2013/06 (36)
  • 2013/05 (35)
  • 2013/04 (32)
  • 2013/03 (34)
  • 2013/02 (33)
  • 2013/01 (33)
  • 2012/12 (34)
  • 2012/11 (32)
  • 2012/10 (32)
  • 2012/09 (33)
  • 2012/08 (32)
  • 2012/07 (31)
  • 2012/06 (32)
  • 2012/05 (32)
  • 2012/04 (35)
  • 2012/03 (32)
  • 2012/02 (32)
  • 2012/01 (33)
  • 2011/12 (33)
  • 2011/11 (31)
  • 2011/10 (32)
  • 2011/09 (31)
  • 2011/08 (33)
  • 2011/07 (32)
  • 2011/06 (32)
  • 2011/05 (31)
  • 2011/04 (30)
  • 2011/03 (33)
  • 2011/02 (33)
  • 2011/01 (34)
  • 2010/12 (33)
  • 2010/11 (31)
  • 2010/10 (33)
  • 2010/09 (31)
  • 2010/08 (36)
  • 2010/07 (34)
  • 2010/06 (22)
  • 2010/05 (26)
  • 2010/04 (32)
  • 2010/03 (37)
  • 2010/02 (31)
  • 2010/01 (34)
  • 2009/12 (23)
  • 2009/11 (34)
  • 2009/10 (40)
  • 2009/09 (47)
  • 2009/08 (34)
  • 2009/07 (42)
  • 2009/06 (33)
  • 2009/05 (39)
  • 2009/04 (33)
  • 2009/03 (11)

ブロとも一覧


345ママの愉快な毎日

日本古代史つれづれブログ

実録!翔の『極楽カナダ生活』

これからどうする?~ インターネットビジネス ~

漫画家佐佐木あつし公式ブログ ☆☆気づきの記☆☆

にじゅうご

『新着通知はありません』

ひとはみんな 自分自身の経営者

まるちゃんゴルフ (^^)/

蓼食う虫も好き好き

のほほんメモリー ~キレイゴトの秘密基地~

 ぬきちのにっき

I hear that I am maniac.

蒼い空と白い雲

大好きな日本を取り戻し、良くしたい

日本が日本であるために

幸せな道

戦国からっぽブログ

桜とサムライ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ジオターゲティング


ジオターゲティング

人気ブログランキングパーツ

グーバーウォーク

RSSリンクの表示

  • 最近記事のRSS
  • 最新コメントのRSS
  • 最新トラックバックのRSS

QRコード

QRコード

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

昭和の始まりと金融恐慌 その3
片岡蔵相が「東京渡辺銀行の破綻(はたん)」を口走(くちばし)ったのには、遅々(ちち)として進まない審議(しんぎ)に業(ごう)を煮(に)やしたことで「対応が遅(おく)れれば遅れるほど東京渡辺銀行のように破綻に追い込(こ)まれる金融機関(きんゆうきかん)が出てくることになる」と牽制(けんせい)する狙(ねら)いがあったとされています。

しかし、当日の決済を終えていた東京渡辺銀行は現実には破綻していなかったのです。にもかかわらず議会において「破綻した」と口走ったのは、片岡蔵相による「痛恨(つうこん)の失言」以外の何物でもありませんでした。

かくして大蔵大臣に「破綻」を宣告(せんこく)された東京渡辺銀行に預金者が引き出しに詰(つ)めかけたことで、翌日には「本当に」休業に追い込(こ)まれただけでなく、東京渡辺銀行の破綻を不安に思った人々が他の中小銀行にも預金引き出しに殺到(さっとう)するという取り付け騒(さわ)ぎを起こしたため、連鎖反応(れんさはんのう)のように他の銀行も次々と休業を余儀(よぎ)なくされてしまいました。

これらの動きは今日では金融恐慌(きんゆうきょうこう)と呼(よ)ばれています。政府は日本銀行による非常貸し出しでこの騒ぎを何とか沈(しず)めましたが、金融恐慌の流れは「別の大手銀行」の経営破綻によってさらに拍車(はくしゃ)をかけることになってしまうのです。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

ブログランキング  人気ブログランキングへ    blogram投票ボタン  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
Tweet
スポンサーサイト


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2013/01/31 12:00】 | 昭和の始まりと金融恐慌
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

私のような一般人がどんなに御託を並べても
何の影響も無いでしょうけれど、やはり上に立つ者の一言一句の重みは全く異なりますので、
気をつけていただきたいものですよね。

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、政治家のように人の上に立つ公人の発言には途方もない責任が伴います。
今も昔も変わることなく言葉は慎重に選んでいただきたいものですが、その一方で失言を求めようとする報道姿勢もおかしな話だと思いますね。


オバrev
政治家って、我々庶民から見ても、ちゃんと科学的検証をせずに思い込みで発言してるってありますね。

直近で言えば、O市市長H氏(^^ゞ

もちろん政治家ですから、ダイレクトに発言することも大事ですが、慎重でなくてはならない問題は慎重に、根拠を持った発言が求められると思いますけど。

「今」でも…
鹿児島のタク
現在でも、日本で、このようなこと有り得るでしょうか。

金融機関の破たんとは異なりますが、例えば、日本国債が…いつか…ただの紙切れに…。

これだけ国が借金をしていれば、可能性はないとは言い切れない…。経済のことは詳しくないのでこの程度で…。

考えただけでも恐ろしい。でも、日本国債…私もっていないのです。

オバrevさんへ
黒田裕樹
おっしゃるとおり、政治家の思い付きでの発言は後に混乱を招きますよね。

特に今の政権には根拠ある発言を心がけてもらいたいものです。

鹿児島のタクさんへ
黒田裕樹
金融機関の破綻は20世紀末にもありましたね。
国債に関しては、ここでは詳しい説明は省略しますが、貸主と借主が同じ日本人で、主に国内で流通することを考えればそれほど心配することはないと思います。
政府と日銀が通貨量を調整すれば緩和できますからね。

確かに…・
鹿児島のタク
20世紀末の金融機関の破綻は、「公的資金」(つまり税金)の投入で難を逃れたという感じだったのでしょうか。

それと、確かに日本国債の8~9割程度(正確な数字!?)は日本人が持っているということなので、大丈夫だとは思うのですが…。この場合の「大丈夫」と「安全」は全く違うことでしょうから…。心配性なんです。ハッハッハッ!

「政府と日銀が通貨量を調整すれば緩和できる。」・・・マネーサプライ…!? このあたりを私ももっと勉強したいです。(歴史とはちょっと違いますが…)

鹿児島のタクさんへ その2
黒田裕樹
仰るとおり、公的資金の投入で金融危機は回避できますし、これまでもそれを続けています。

国債の件ですが、重要なヒントとなるのが実は今回の直後ともう一回後に登場します(2回目はおそらく3月頃になると思いますが)。
現在と状況がよく似ており、かなり参考になるのではと思われますのでそれまでお待ちください。

コメントを閉じる▲
昭和の始まりと金融恐慌 その2
昭和2(1927)年3月14日、当日の決済(けっさい)のための資金繰(ぐ)りに苦しんでいた東京渡辺銀行(とうきょうわたなべぎんこう)の関係者が午後に大蔵次官(おおくらじかん)を訪問して「何らかの救済がなければ今日中にも休業を発表せざるを得ない」と陳情(ちんじょう)しました。

次官は大蔵大臣(おおくらだいじん)の片岡直温(かたおかなおはる)に対応を相談しようとしましたが、議会で審議中(しんぎちゅう)のため面会できず、事情を書面に記(しる)して蔵相(ぞうしょう)に言付(ことづ)けました。

一方、大蔵省(おおくらしょう)からの助力(じょりょく)が得られないと判断した東京渡辺銀行は改めて金策(きんさく)に走り、別の銀行の資金援助(えんじょ)を受けて辛(かろ)うじて決済を行い、その旨(むね)を大蔵省に伝えようとしましたが、担当の次官が不在(ふざい)ですぐには連絡できませんでした。

その頃(ころ)、片岡蔵相は議会から厳(きび)しい追及(ついきゅう)を受けていましたが、そんな折(おり)に次官から書面で「東京渡辺銀行休業」の報告を受けた蔵相は、追及をかわしたい一心(いっしん)からつい口走(くちばし)ってしまいました。

「東京渡辺銀行がとうとう破綻(はたん)を致(いた)しました」。


ブログランキング  人気ブログランキングへ    blogram投票ボタン  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2013/01/30 12:00】 | 昭和の始まりと金融恐慌
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

あらら・・
いい所でお話が終わってしまいましたね(T_T)
まるで連続テレビ小説の様な展開w
それにしても、休業と破綻では
話が変わって来てしまうので、その後相当拗れたのではないですかね・・(゜レ゜)

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
狙ったわけではないのですが、前後の流れでこうなってしまいましたね(^^ゞ

おっしゃるとおり、大臣による「失言」がこの後の我が国に大きな影響を与えてしまうのです。

コメントを閉じる▲
昭和の始まりと金融恐慌 その1
大正15(1926)年12月25日、かねてより病気療養中(びょうきりょうようちゅう)であられた大正天皇が47歳で崩御(ほうぎょ)されました。深いお悲しみの中、摂政宮(せっしょうのみや)で皇太子の裕仁親王(ひろひとしんのう)が直(ただ)ちに践祚(せんそ、皇位の継承のこと)されて第124代天皇(=昭和天皇)となられ、元号も昭和(しょうわ)と改(あらた)められました。

こうして始まった昭和時代でしたが、いきなり大きな試練(しれん)を迎(むか)えることになってしまいました。大正12(1923)年に発生した関東大震災(かんとうだいしんさい)によって多額の民間手形が支払(しはら)い不能となった際、災害地を支払地とする手形は政府が信用保証して支払いを延長(えんちょう)しました。

しかし、それらは問題の先延(の)ばしに過ぎず、支払いの猶予(ゆうよ)が昭和2(1927)年で切れることから政府はその整理に着手(ちゃくしゅ)することになりました。なお、当時の内閣は病死した加藤高明(かとうたかあき)にかわって成立した、憲政会(けんせいかい)を与党とする第一次若槻礼次郎(わかつきれいじろう)内閣でした。

第一次若槻内閣は新たに公債(こうさい)を発行していわゆる震災手形(しんさいてがた)を整理しようと考え、そのための法案を議会に提出しましたが、議会では銀行の放漫(ほうまん)な貸し出しが今回の事態を招(まね)いたなどという非難の声が挙(あ)がり、なかなか前へ進みません。そうこうしているうちに、経営難に苦しむ中小銀行の資金繰(ぐ)りが限界に達しつつありました。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

ブログランキング  人気ブログランキングへ    blogram投票ボタン  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2013/01/29 12:00】 | 昭和の始まりと金融恐慌
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!


何やら時代が変わった途端に苦難というのは
訪れるものなのですね。
最近でも、民主党が政権を握った矢先に
大震災という災難が訪れ、再び自民党が政権を奪還した途端に、アフリカでの痛ましいテロ事件が
降って湧いた様に起こりましたが、
まるでその都度、国を司る者の力量を試すかのようです・・・( ´゚д゚`)
それにどう素早く対応出来るかが、その後の評価にも大きく影響してくるものですが・・・

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、新時代に対する苦難というのはある意味いつの時代も起こっているものですね。
こんな時こそ政治の力量が問われると思いますが、昭和初期はどうだったのでしょうか?

危機の時の政権
青田です。
黒田先生

こんばんは

青田です。

政治家というのは、危機の時に誰が政治の舵取りをするかで

決まりますね。

今の日本も、もし、あのまま、民主党があの悪法(人権法案)を通して政権をまだ、握っていていたらと思うと、

本当にぞっとします。

そう考えると、国の運命は、ギリギリのタイミングで、誰がリーダーになっているかで、決まるようなきわどいものなのかもしれませんね。

青田さんへ
黒田裕樹
確かにおっしゃるとおりですね。
国の命運を託すにふさわしいリーダーは危機にこそあらわれるのかもしれません。

コメントを閉じる▲
文学と芸術の動き その5
美術では、日本画の横山大観(よこやまたいかん)や下村観山(しもむらかんざん)、安田靫彦(やすだゆきひこ)らによって大正3(1914)年にそれまで解散状態だった日本美術院(にほんびじゅついん)が再興(さいこう)され、現代も続く院展(いんてん、日本美術院主催の展覧会のこと)が開催(かいさい)されました。

なお、横山大観は「生々流転(せいせいるてん)」、下村観山は「白狐(びゃっこ)」などの作品が有名です。

洋画では、大正3(1914)年に文展(ぶんてん)から分離(ぶんり)した民間の美術団体である二科会(にかかい)の梅原龍三郎(うめはらりゅうざぶろう)や安井曽太郎(やすいそうたろう)、あるいは春陽会(しゅんようかい)の岸田劉生(きしだりゅうせい)らが活躍(かつやく)しました。

岸田劉生は娘の麗子(れいこ)を描(えが)いた作品で知られており、また二科会が開催する二科展(にかてん)は芸能人がしばしば入選することで有名です。

また、彫刻(ちょうこく)では詩人でもあった高村光太郎(たかむらこうたろう)の「手」が知られています。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
(※これで大正時代は終了です。次回[1月29日]からは昭和時代・戦前の更新を開始します)

ブログランキング  人気ブログランキングへ    blogram投票ボタン  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2013/01/28 12:00】 | 文学と芸術の動き
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

私はどちらかというと西洋画の展覧会などには足を運ぶことが多いですが、日本画の展覧会は有名な方のものは一度も本物を目の前にしたことがありません(^^ゞ
岸田劉生の「麗子像」はダヴィンチの「モナリザ」に匹敵するくらい謎めいた雰囲気があり、今でもあのほほ笑みについて物議を醸しているようですね。

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
私は美術館へ行くこと自体が稀ですので、もっと芸術にお目にかからねばなりませんね(^^ゞ

麗子像は歴史の教科書にはたいてい載っている有名な絵ですからね。確かにモナリザに通じるものがありそうです。

コメントを閉じる▲
文学と芸術の動き その4
演劇(えんげき)の世界では大正13(1924)年に小山内薫(おさないかおる)や土方与志(ひじかたよし)らによって築地小劇場(つきじしょうげきじょう)がつくられ、知識人層を中心に新劇運動(しんげきうんどう)が大きな反響(はんきょう)を呼(よ)びました。

音楽では山田耕筰(やまだこうさく)が本格的な交響曲(こうきょうきょく)の作曲や演奏(えんそう)を行い、大正14(1925)年には我が国初の交響楽団(こうきょうがくだん)である日本交響楽協会(にほんこうきょうがくきょうかい)を設立しました。

その後、大正15(1926)年には日本交響楽協会から近衛秀麿(このえひでまろ)が脱退(だったい)し、新交響楽団(しんこうきょうがくだん)を立ち上げました。現在のNHK交響楽団のルーツです。この他、声楽家(せいがくか)ではオペラ歌手の三浦環(みうたたまき)が国際的な名声(めいせい)をつかみました。

大正から昭和にかけては文部省唱歌(もんぶしょうしょうか)や童謡(どうよう)も人々の間で親(した)しまれるようになりました。前述(ぜんじゅつ)の山田耕筰も「この道」「からたちの花」「赤とんぼ」「ペチカ」「待ちぼうけ」など数多くの作品を残しています。

なお、これは蛇足(だそく)ですが、山田耕筰は関西大学(かんさいだいがく)の学歌(がっか)も作曲しています。




(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

ブログランキング  人気ブログランキングへ    blogram投票ボタン  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2013/01/27 12:00】 | 文学と芸術の動き
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

へぇ~(゚д゚)!
山田耕筰が黒田さんのご出身大学
の学歌をですか!
とても名誉ある事で、素晴らしいですね♪

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、名誉あることです。
交響楽団を創設した山田耕筰らしい勇壮な曲が関大のイメージにピッタリなんですよね。

コメントを閉じる▲
第34回「黒田裕樹の歴史講座」(大阪&東京講演)のお知らせ
いつも「黒田裕樹の歴史講座」をご覧いただきまして有難うございます。

ブログのもう一つの目玉である「本物の歴史講座」ですが、次回(第34回)は「真説・忠臣蔵 ~『浅野vs.吉良』本当の理由」と題して、忠臣蔵(ちゅうしんぐら)に関する様々な考察についてご紹介します。

「忠臣蔵」といえば日本人なら誰もが知っている有名な「仇討(あだう)ち」であり、その悲劇的(ひげき)なストーリーが人々の感動を呼ぶとともに、これまでに数多くの浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎(かぶき)、あるいは映画やTVドラマとして演じられてきた年末年始の風物詩(ふうぶつし)でもあります。

しかし、忠臣蔵におけるストーリーの多くが後の創作であることや、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)本人の資質に問題があったなど最近の研究が進んだことによって、忠臣蔵に隠(かく)された「大きな意味を持つメッセージ」が分かりにくくなっている一面があるようです。

次回の歴史講座では、忠臣蔵の元となった「元禄赤穂事件(げんろくあこうじけん)」の真実に迫(せま)りながら、なぜ忠臣蔵がかくも私たち日本人の心をひきつけて離(はな)さないのかという「本当の理由」を、下記のとおり1月26日(土)には大阪、2月2日(土)には東京でそれぞれ分かりやすく明らかにしていきたいと思いますので、多くの皆様のご参加をお願いいたします!


第34回黒田裕樹の歴史講座
「真説・忠臣蔵 ~『浅野vs.吉良』本当の理由」
日時:(大阪)平成25年1月26日(土) 午後6時より
     (東京)平成25年2月2日(土) 午後3時30分より
(※大阪と東京で開始時間が異なります。ご注意下さい)
場所:(大阪)大阪市立総合生涯学習センター 第3研修室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
     (東京)スター貸会議室 浅草 (井門浅草ビル5階)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます。なお、ビルの1階には有名なカレー屋さんがあります)
会費:いずれも無料(カンパを受け付けます)
Tweet
ブログをご覧の皆様(特に東京講演においては関東在住の方々)も、よろしければ是非ご参加ください。この記事のコメント欄をご活用いただければと思います。また、今回の講座の内容については、これまでと同様に後日にはブログ上で映像とともに発表しますので、是非ご覧になってください。

なお、大阪・東京とも講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,000円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。

最後に、おなじみのブロともであるクラチーさんからの素晴らしい画像を皆様にご覧いただきます!
(※クラチーさんのブログについては、下線部からご覧いただけます。)

浅野vs吉良(ブログ用)
大石内蔵助(ブログ用)

ブログランキング  人気ブログランキングへ    blogram投票ボタン  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。


追記を閉じる▲

【2013/01/26 18:00】 | お知らせ
トラックバック(0) |

赤穂
青田です。
黒田先生

こんにちは

青田です。

この前、知人が、兵庫県の赤穂に行ってきて

良かったと言っていました。

忠臣蔵は、有名なのに、赤穂が、どこにあるのかを知っている日本人が少ないのは、不思議ですね。

それと、

知人が、大石蔵之助の子孫の娘さんと結婚したと言っていました。

大石蔵之助の血は、途絶えてなかったのですね。

驚きです。

講座が楽しみです。

青田さんへ
黒田裕樹
私も取材を兼ねて事前に行ってきました。
赤穂は大阪からだと新快速が直通していて便利ですが、一般的な知名度はどうなのでしょうか。

大石内蔵助は子沢山でしたから、子孫がまだご健在なのでしょうね。

忠臣蔵は子供のころから好きでした。
晴雨堂ミカエル
 吉良氏の没落はえげつないですね。被害者なのに事件の責任を取らされて改易に断絶。
 享保の時代にやっとお家再興になったものの、高家ではなく一般の旗本扱い。

 従四位上左少将と、4千石クラスの旗本でありながら国持ちや10万石クラスの大名に匹敵する家格、源氏の流れをくむ主家徳川よりも明白な血統、それが御書院番の番士へ落ちぶれる。

 再興後の吉良氏の官位や石高はどれくらいでしょうか?

追伸
晴雨堂ミカエル
 もし講座に参加する事ができたら、当日は正月に相応しい形で行きます。

晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹
まだ講座が始まっていないのでネタバレは控えますが、吉良家再興後に関しての石高や官位までは私もよくわかりません。ただ、吉良家再興前の旗本としての家格は500石だったようですね。

もし講座にご参加いただけるのであれば、当日はよろしくお願いします。

吉良さんが可愛そう
青田です。
黒田先生

こんばんは

青田です。

私も、晴雨堂ミカエルさんの全く、同じ意見です。

『吉良さんが、可愛そうで仕方ありません。』


そう考えると、国民世論というのは、恐ろしいですね。

善人、悪人を創るわけですから。。


そのあたりも、講座で、明らかにしてくれるのでしょうね。楽しみにしています。





青田さんへ その2
黒田裕樹
繰り返し申し上げますが、ネタバレになる事項についてはコメントを控えさせていただきます。
当日までお待ちください。

失礼しました
青田です。
黒田先生

こんばんは

青田です。

大変、失礼しました。

今後は、このようなことがないように致します。

当日を楽しみにしています。

青田さんへ その3
黒田裕樹
ご理解くださり、ありがとうございます。
こちらこそ、当日はよろしくお願いします。

面白い講座でした。
晴雨堂ミカエル
 三度目の正直と申しましょうか、やっと参加できました。
 本当は正月らしく羽織袴で行こうと思いましたが、夜勤明けで帰宅後に仮眠を取ったら講座の時刻が迫っていましたので着替える暇がありませんでした。またの機会にしましょう。

(着付けを忘れないよう年に何度か着る機会を無理やり設けていますが、普段着ではないのでどうしても帯の締め具合や位置の調節に時間がかかってしまいます)


 ネタばれになりますので詳しくは申せませんが、黒田氏の見解は私とほぼ同じなので我が意を得たりという思いです。だからこそ吉良が気の毒という思いなのであります。幕府に精一杯つくしてきたのにあの処分はまことにもって冷酷。
 吉良家が幕末にどんな動きをしたのか気になります。朝廷に行けば源氏を名乗る出自の明白な家柄なのに享保以降の消息が掴み難いのはやはり哀れです。

コメントを閉じる▲
文学と芸術の動き その3
第一次世界大戦を経(へ)て社会主義運動や労働運動が高まりを見せたのに伴(ともな)ってプロレタリア文学運動が興(おこ)り、雑誌「種蒔(たねま)く人(ひと)」「戦旗(せんき)」などが創刊(そうかん)され、小林多喜二(こばやしたきじ)の「蟹工船(かにこうせん)」、徳永直(とくながすなお)の「太陽(たいよう)のない街(まち)」などが読まれました。

大正時代には庶民(しょみん)の娯楽(ごらく)としての読み物である大衆文学(たいしゅうぶんがく)も流行しました。大正14(1925)年に大衆雑誌(たいしゅうざっし)の「キング」が創刊され、たちまち100万部を突破(とっぱ)する売れ行きとなりました。

大正11(1922)年には「サンデー毎日」が創刊され、週に一回発行される週刊誌(しゅうかんし)も人気を集めたほか、関東大震災(かんとうだいしんさい)後には「現代日本文学全集」のように一冊一円で販売(はんばい)する円本(えんぽん)や岩波文庫などの文庫本も登場しました。

その他の大衆文学としては、鈴木三重吉(すずきみえきち)が創刊した児童文学雑誌「赤(あか)い鳥(とり)」を基本とした北原白秋(きたはらはくしゅう)らによる童謡運動(どうよううんどう)が始まったり、中里介山(なかざとかいざん)の「大菩薩峠(だいぼさつとうげ)」や吉川栄治(よしかわえいじ)・直木三十五(なおきさんじゅうご)らの時代小説、あるいは江戸川乱歩(えどがわらんぽ)らの探偵小説(たんていしょうせつ)などが人気を呼(よ)んだりしました。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

ブログランキング  人気ブログランキングへ    blogram投票ボタン  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2013/01/26 12:00】 | 文学と芸術の動き
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!


江戸川乱歩の描く世界は嫌いではありませんね(^^ゞ
ミステリーものが流行る世の中は、比較的平和な世の中である証拠でもあるようなので、
大正時代も現代の様に、人々のくらしが
安定し、平和な時代であったという事がこのことからも伺えますね^^

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
江戸川乱歩といえば明智小五郎ですよね。私は明智光秀の名を初めて聞いたときに「あれ?小五郎さんの名前をパクってるのか?」と勘違いしました(爆)。

確かにミステリーが流行るとそんなイメージがありますよね。
そういえば今日(平成25年1月26日)の誰かさんの歴史講座の内容も…。

コメントを閉じる▲
文学と芸術の動き その2
明治43(1910)年に創刊された雑誌(ざっし)の「白樺(しらかば)」では武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)や志賀直哉(しがなおや)、有島武郎(ありしまたけお)らが活躍(かつやく)し、個人主義や人道主義(じんどうしゅぎ)、あるいは理想主義を追求する作風を示し、白樺派(しらかばは)と呼(よ)ばれました。武者小路実篤は「その妹(いもうと)」、志賀直哉は「暗夜行路(あんやこうろ)」、有島武郎は「或(あ)る女(おんな)」などの作品が有名です。

一方、雑誌「スバル」では独自(どくじ)の唯美主義(ゆいびしゅぎ)を主張した耽美派(たんびは)があらわれ、永井荷風(ながいかふう)が「腕(うで)くらべ」を、谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)が「痴人(ちじん)の愛(あい)」を著(あらわ)しました。

また、横光利一(よこみつりいち)や川端康成(かわばたやすなり)らが新しい感覚と表現を主張した新感覚派(しんかんかくは)もこれに続きました。

詩では高村光太郎(たかむらこうたろう)や萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)らが口語(こうご)による自由詩を発表し、短歌では伊藤左千夫(いとうさちお)門下の斎藤茂吉(さいとうもきち)が島木赤彦(しまきあかひこ)らとともにアララギ派を確立しました。

この他、俳句では河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)らが従来の五七五調の形にとらわれない新自由律俳句(しんじゆうりつはいく)を開拓(かいたく)しています。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

ブログランキング  人気ブログランキングへ    blogram投票ボタン  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2013/01/25 12:00】 | 文学と芸術の動き
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

実は中学の時に自分が本格的に小説らしきものを最初に読ませていただいたのが、武者小路実篤の「友情」でした(^^ゞ
タイトルの清いイメージとは別に男女の三角関係という少々背伸びをした内容だったことで
あの当時は何となく後ろめたい気持ちで読んでおりましたが、
今思うと、純情であったのだなと懐古します(*^_^*)

応援凸


ぴーちさんへ
黒田裕樹
武者小路実篤の「友情」は色々と考えさせられる作品ですよね。
個人主義を尊重する白樺派ならではですが、青少年の純情さが懐かしく思えます。


オバrev
大正という時代は、明治と昭和に挟まれた短い時代だったこともあって、あまり印象にないですが、現代の教育や研究や文学、芸術への影響という点では実際の長さ以上に大きな時代だったんじゃないかなと思いながら読ませて頂きました。

何しろ、小・中・高と日本史の授業でまともにこの時代まで進んだことないもんで(^^ゞ

オバrevさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、大正時代は我が国の現代の文化にもつながることの多い様々な実績を残しています。
時代は短くとも中身は濃いですね。

確かに勉強する機会がないですね(´・ω・`)
ぜひとも私の講座で勉学に励んでくださいm(_ _)m

コメントを閉じる▲
文学と芸術の動き その1
大正期の文学は、「こゝろ」や「明暗(めいあん)」などの作品を残した夏目漱石(なつめそうせき)や「阿部一族(あべいちぞく) 」などを発表した森鴎外(もりおうがい)の影響(えいきょう)を受けた若い作家たちが次々と登場しました。

人間社会の現実をありのままに描写(びょうしゃ)する自然主義(しぜんしゅぎ)が作者自身のありのままを写(うつ)しとるだけの私小説(ししょうせつ)へと変化していったのに対し、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)や菊池寛(きくちかん)らは雑誌「新思潮(しんしちょう)」を発刊(はっかん)して、知性を重視して人間の心理を鋭(するど)くえぐり出した理知主義(りちしゅぎ)の文学を発表し、新思潮派(しんしちょうは)と呼(よ)ばれました。

芥川龍之介の代表的な作品には「羅生門(らしょうもん)」「鼻(はな)」「杜子春(とししゅん)」「河童(かっぱ)」などがあり、現代の国語の教科書にも採用されています。

菊池寛の代表的な作品には「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に」「父帰(ちちかえ)る」などがあります。また、菊池は大正12(1923)年に月刊誌(げっかんし)の「文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう)」を創刊しています。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

ブログランキング  人気ブログランキングへ    blogram投票ボタン  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2013/01/24 12:00】 | 文学と芸術の動き
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

菊池寛の「父帰る」はモノクロの映画作品で
鑑賞した事がありますが、未だに印象深い作品として脳裏に残っていますね・・
そう言えば、主人公の父の名前は黒田さんという方だったような・・(^^ゞ

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
「父帰る」は3回映画化されていますが、一番新しいのが60年前ですからね。

>そう言えば、主人公の父の名前は黒田さんという方だったような・・(^^ゞ
さすがよくご存知ですね(^^♪
私は父親になったことはありませんし(爆)、父も失踪しておりませんが(^^ゞ

コメントを閉じる▲
学問と教育の発展 その2
自然科学では、野口英世(のぐちひでよ)による黄熱病(おうねつびょう)の研究や本多光太郎(ほんだこうたろう)のKS磁石鋼(じしゃくこう)の発明、八木秀次(やぎひでつぐ)による今のテレビ用アンテナの原型となる八木アンテナの発明などの業績(ぎょうせき)がありました。

また、研究機関として理化学研究所(りかがくけんきゅうじょ)が大正6(1917)年に創立されたり、航空研究所・鉄鋼研究所・地震研究所などが相次(あいつ)いで設立されたりしました。

ところで、この当時の教育の普及(ふきゅう)はめざましく、義務教育の就学率(しゅうがくりつ)はほぼ100%となったほか、中等・高等教育機関も充実(じゅうじつ)しました。

例(たと)えば中学校の数は大正4(1915)年には321校であったのが大正14(1925)年には500校を超(こ)え、また生徒数も大正9(1920)年の約17万人から昭和5(1930)年には約34万人と倍増(ばいぞう)しています。

なお、原敬内閣(はらたかしないかく)は高等教育機関の充実を進め、旧制高等学校が大幅(おおはば)に増加したほか、大正7(1918)年には大学令(だいがくれい)を公布して、総合大学である官立(かんりつ)の帝国大学以外にも単科大学や公立・私立の設置を認めました。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

ブログランキング  人気ブログランキングへ    blogram投票ボタン  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2013/01/23 12:00】 | 学問と教育の発展
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

たった10年間程で随分と学校の数も、生徒の数も増えたものですね!
現在もまだ義務教育は中学校までとなっていますが、近い将来、高等教育も義務化になるんのでしょうかね?

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、当時の教育の水準は高まる一方だったっですね。

高校の義務教育化ですか…。確かにほとんどの中学生が高校に進学しますが、こればかりは分かりませんね。

コメントを閉じる▲
 | ホーム |  次ページ
Copyright © 黒田裕樹 Allrights Reserved.
Template ac-airwater-3c-js by 斎七 @ 虹のもとブログ
Photo by BEIZ Graphics