今年も前政権による政治の迷走(めいそう)が続きましたが、最後の最後で政権交代が実現しました。現政権はその就任前後から様々な施策(しさく)を行っており、その速さと力強さは、まるで失った年月を取り戻(もど)そうと必死で突(つ)っ走(ぱし)った明治新政府を見ているかのような気がします。
現政権には国家の立て直しのために今後も頑張(がんば)っていただきたいですが、ここで問われるのは、実は私たち日本国民による、政治における「深謀遠慮(しんぼうえんりょ)」を見抜(みぬ)く力なのです。政治というものは同時に多方面において行わなければならず、場合によっては日本の国家国民の益に反しているように「見える」こともあるかもしれません。
しかし、聖徳太子(しょうとくたいし)や徳川家康(とくがわいえやす)などがそうであったように、相手に従属(じゅうぞく)するふりをしながらその裏(うら)ではしたたかな計算があったり、自分が有利になるまでは辛抱(しんぼう)を重ねながら、いざ表舞台(おもてぶたい)に立てば相手を容赦(ようしゃ)なく叩(たた)きのめしたりといった「離(はな)れ業(わざ)」も政治の醍醐味(だいごみ)なのです。
私たち日本国民は現政権による今後の政策に一喜一憂(いっきいちゆう)するだけではなく、その裏を読みながら政権と一緒(いっしょ)に我が国を立て直していくという気概(きがい)を持つべきではないでしょうか。
来年(平成25年)以後の我が国の存亡(そんぼう)は日本国民自身の手にもゆだねられていることを忘れることなく、私自身もブログ上での更新や講座の開催に今後も励(はげ)んでまいります。皆様、どうぞ良いお年を!





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- 黒田先生
こんにちは
青田です。
今年は、本当にいろいろな学びを有難うございました。
来年も宜しく、お願いします。
政権交代についてですが、現政権の速度は
異常なほど早いですね。
しかも、多・長・根です。
長・・・長期的に日本の利益になることを考えている。原発政策など。
根・・根本的に日本の役立つことを考えている。
教育改革・憲法改正など。
多・・・多角的に日本に役立つことを考えている。
日本・アメリカ・インド・オーストラリアでの安全保障の強化。
おそらく、前政権の悪夢の3年間の間に、
相当、見えない思考錯誤・準備をしていたからだと思います。
ただ、また、今の国民の平和ボケ・豊かさボケ・平等ボケが出てきて、現政権の足を引っ張ることがあれば、間違いなく、日本は、沈没すると思います。
ただ、江戸時代の200年間の平和ボケから、明治になり、わずか数十年間で、復活したことを考えると希望は、まだまだ、ありますね。
あの明治時代も、政治家・財界人は、相当、嫌われていましたが、彼らがいないと今の日本は、ないですから。。
願わくば、日本人が誇りと自信の持てるメッセージをマスコミや教育者が発信して欲しいですね。
管理人のみ閲覧できます
-
青田さんへ
黒田裕樹 こちらこそありがとうございました。
来年が良い年であってほしいものですね。
こんにちは
ネコビーバー 1年ありがとうございました。
いつも読み逃げばかりで申し訳ありません。
来年もよろしくお願いいたします。
ネコビーバーさんへ
黒田裕樹 こちらこそ読み逃げばかりで申し訳ございませんでした。
来年もよろしくお願いいたします。
ぴーち こんばんは!
そうですね。
人は直ぐにでも良い結果が現れないと
悪政だ、陳腐だと罵る傾向がありますが、
長い目で見た時に、一時は苦水を飲まされたと思うことでも、次第にそれが良薬であることに
気付かされる事もありますね。
仰るとおり、国民もまた辛抱と信頼する気持ちを強く持ち、来年は共に歩んでいく努力が強いられる1年となりそうですね。政治家が出来なければ、国民が否応なしにやらせるくらいの気概を持ちたいものです。
それでは今年、黒田さんには大変お世話になりましたm(__)m
どうぞ良いお年をお迎えくださいね^^
また明日もお邪魔させていただきます(笑)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
現政権は真っ先に「国家国民のため」と宣言して矢継ぎ早に政策を行っています。長期的な視野で良い結果が出ることを信じて国民が支えていいかなければなりませんね。もっとも、それで悪い結果が出ればまた政権交代となるわけですが…。
こちらこそお世話になり、ありがとうございました。
私も元日からお邪魔しますね(^ω^)
黒田さんへ
万金丹 いつも読み逃げばかりしていてスミマセン
来年も頑張って下さい
(たまにはネジ曲がった眉唾ものの歴史講座も拝見したいです)
今年は教養を与えてくださってありがとうございました
来年も読み逃げさせて下さい
今年はありがとうございましたm(__)m
万金丹さんへ
黒田裕樹 こちらこそいつもありがとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
大久保利通の先見性
青田です。 黒田先生
明けまして、おめでとうございます。
おはようございます。
青田です。
現代の日本人も、失われた20年をスグに良い結果を出そうとしすぎると思います。
現政権が、どれほど、優れた政策を打ち出しても
1年くらいでは、ほとんど目に見える成果は、出せない気がします。
『奇跡の近代化』を実現した明治時代においても
大久保利通は、本当の明治維新の実現は
明治30年からと予見していたそうです。
◆明治10年までは、国内の内乱の鎮圧。
・・・西南戦争が明治10年。
◆ 明治20年までは、国内の法整備の完備。
・・・・憲法発布が明治23年。
◆ 明治30年までに、国内産業の育成。
そう考えると、
少なくとも4年間は、じっくり今の政権を見守る意識が国民に必要な気がします。
「明治天皇のお誕生日」という記念すべき重要な日を忘れさせられたまま、私たち日本人は戦後何十年ものあいだ経済の発展を中心に日々を過ごしてきましたが、いつしか我が国から教育勅語の道徳心が消えたことによって殺伐(さつばつ)とした世の中となり、また先人が命懸けで守ってきた我が領土を他国から侵略される(あるいはされようとしている)危機が長く続くなど、気が付けば我が国の存立(そんりつ)そのものが脅(おびや)かされるところまで来てしまっているといっても過言(かごん)ではありません。
今の私たちに求められているのは、国家存亡の危機に対して果敢(かかん)に立ち向かい、結果として我が国を世界に冠(かん)たる一流国に引き上げた「明治の精神」そのものではないでしょうか。だとすれば、我が祖国(そこく)日本が再び輝きを取り戻(もど)すためにも、明治天皇のお誕生日である11月3日を「明治の日」に改めることは大きな意義があるはずです。
かつて昭和天皇のお誕生日であった4月29日が陛下の崩御後に「みどりの日」という曖昧(あいまい)な祝日に変えさせられた際も、国民の熱意によって「激動(げきどう)の日々を経て、復興(ふっこう)を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という「昭和の日」として甦(よみがえ)りました。
「激動の昭和」は単独で存在するのではなく、「明治の精神」と連動して我が国の歴史に大きな流れを生み出しており、もちろん現代にもつながっています。神代(かみよ)から我が国に存在している美しい歴史を実感する意味においても、今こそ私たち日本国民が一丸(いちがん)となって、明治天皇のお誕生日である11月3日を「明治の日」として堂々と復活させるべきではないでしょうか。
(※第33回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[12月31日]は年末のご挨拶を申し上げます。)
※以下のニコニコ動画は平成24年12月26日更新分「明治の終焉とその後 その1」~今回更新分「『明治の日』を実現しよう!」をまとめて映像化したものです。





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- 黒田先生
こんにちは
青田です。
戦後、豊かさと引き換えに、日本人としての
伝統や精神性を失くした気がします。
たとえば、天皇誕生日は、全く、祝わないのに
クリスマスでは、大騒ぎします。
さらに
お正月には
私の小学生の時には、どこに家の前にも日本国旗を飾っていたのにそれも、見なくなりました。
現政権において
景気というのは、大事だとは、思いますが
同時に日本人の精神性を失くした好景気だと
また、豊かさボケ、平和ボケ、平等ボケに逆戻りなると思いますので
明治の日の復活は、現政権で、実現して欲しいです。
なぜなら、日本人としての伝統・精神性の復活とそこから生まれる気骨への原点回帰は、そこから
生まれるからです。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
今は危機状態にある経済を立て直すことが先決ではありますが、それだけで終わるのではなくそれこそ「我が国日本を取り戻す」だけの様々な施策を継続させなければ、真の意味での復活はあり得ないでしょう。
ぴーち おはようございます!
こうして伺っていると、アメリカの戦略というのは一撃で日本全土を滅ぼすというやり方をしない代わりに時間を掛けながら、じんわりと内部まで侵食させるような「粒状の除草剤」の様に徐々に私達の生活スタイル、或いは食生活などを変え、環境さえも変えさせられて来てしまいましたね。
欧米型の食生活によって成人病の発症率は格段に上がり、日本文化を軽視する傾向が強まり、外来種による人体の被害も増えていますね。もしも、それが当時のアメリカの狙い通りなら、敗戦国の性だと諦めもしますが、食生活の変化に体が馴染んで、すっかり定着するのは三代目になってからだと伺った事があります。ですので、食生活の激変で今の時代は病気に苦しんだりしても、孫の代にはすっかり体そのものが肉食に対応出来る体に変化して来るのでしょう。そう考えると、いつまでもアメリカの思う壺であってはならない・そんな気もしてきます。ですので、これからも日本人はもっとしぶとく生きるべきだと思いますね。
話は変わりますが、
今度子供たちがお借りする所の条件項目の中に、
国旗を掲揚することは禁止と書かれていました。息子がその文言を見て「どうして旗を掲げてはいけないんだ?」と文句を言っていましたが、そういう所からも、日本国民であるという意識の喪失を感じさせられましたね(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、米国の大罪は原爆投下だけではありません。
いずれは通史で紹介することになりますが、GHQによる占領統治下の我が国はとんでもない目にあわされており、その後遺症はいまだに我が国全体をむしばんでいます。
そして、現内閣が「戦後レジュームからの脱却」を掲げるのも当然ですが、その一方で「そうはさせじ」とマスコミを抱き込んだ一種の戦争状態になっているのもまた我が国の現状ですね。
そう考えれば、賃貸物件にわざわざ「国旗掲揚の禁止」と堂々と記載しているのもその結果出るといえるでしょう。日本人として国旗を掲げるのは当然である、その権利を奪うことは人権問題以外の何物でもありません。
ご子息さんのお怒りは当然です。
やがて両陛下とゆかりの深かった東京・代々木(よよぎ)の地に神宮(じんぐう)が建設されることが決定し、一から人工林(じんこうりん)を造営(ぞうえい)するなど多くの国民が自発的に労働奉仕(ろうどうほうし)を重ねた大事業が行われた後、大正9(1920)年に両陛下はご祭神(さいじん)としてご鎮座(ちんざ)されました。現在の明治神宮です。
また大正12(1923)年には乃木大将が自刃した邸宅(ていたく)の隣地(りんち)に乃木神社(のぎじんじゃ)がこれも国民の熱意によって創建(そうけん)され、さらに昭和2(1927)年には同じく国民の請願(せいがん)によって明治天皇のお誕生日(たんじょうび)である11月3日が「明治節(めいじせつ)」として祝祭日(しゅくさいじつ)になりました。
我が国に大きな興隆と繁栄とをもたらした明治の精神は後世(こうせい)の人々に受け継がれ、今もなお私たちの前に光り輝(かがや)いているのです。





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ボス。 先生! 今年も ありがとうございました


来年こそは、日時と休みの合うのに期待し、
先生に会いに行きたい

ボス。さんへ
黒田裕樹 こちらこそ今年もお世話になりました。
ボス。様のご参加を心待ちにしております。
来年以降はその機会が増えるかもしれませんよ(?)。
ぴーち おはようございます!
乃木将軍に関しては、存命中に築いた国民からの尊敬の思いが彼の最後に決断した結果を救ったのかも知れませんね。どんなに魂が浮かばれなくとも多くの国民が、彼の為に祈りを捧げれば、救われない魂も救われるという一縷の望みが訪れるとも言いますね。
人が生み出す力、想念のちからとは時に奇跡を
も齎しますからね。彼の御霊が祀られた神社に参拝なさる方は、是非とも懇ろに供養していただきたいものです。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうですよね。乃木神社の建立は将軍の鎮魂のためでもあります。
自決については意見が分かれるところではありますが、彼の功績を後世までたたえる意味でも、国民の自発的な力による神社建立は素晴らしいと思います。
RALLY NEW WAVE こんにちは。今年はいろいろとコメントさせて頂き充実でした!有難う御座いました!皆様来年も宜しくお願いを致します!好いお年をお迎えを下さいませ!
RALLY NEW WAVEさんへ
黒田裕樹 来年もよろしくお願いいたします。
それだけに明治天皇の崩御は「明治」という一つの時代の終焉(しゅうえん)を国民に強く印象づけることとなり、夏目漱石(なつめそうせき)は大正3(1914)年に発表した小説「こゝろ」の中で「其時(そのとき)私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終わつたやうな気がしました」と書き、また森鴎外(もりおうがい)は乃木大将の自刃に際して歴史小説「興津弥五右衛門(おきつやごえもん)の遺書(いしょ)」を書き上げました。
また、陛下の崩御直後から世界の新聞では明治天皇の治世(ちせい)を絶賛(ぜっさん)する記事が見られるようになり、英米などを中心に「偉人(いじん)中の偉人であった」 「世界の最大君主と同列に立つことを得たりし聖帝(せいてい)、いやそれ以上であった」 と明治天皇を称(たた)えています。
明治天皇は我が国のみならず、世界史的スケールにおいてどの君主にも勝(まさ)る稀代(きだい)の英雄として世界中から仰(あお)がれていたのです。





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- 黒田先生
こんにちは
青田です。
やはり、『明治の日』を早く、復活しないといけないですね。
『文化の日』というのは、どう考えても、訳がわりません。
GHQが、勝手に祝日を変えたことには、怒りを感じますが、
戦後65年経ってるのですから、明治の日にしないと、今の若者は、全く、理解できません。
ますます、日本の伝統の崩壊につながります。
しかし、
今度の政権の布陣を考えると、日本の伝統を取り戻してくれると期待しています。(●^o^●)
青田さんへ
黒田裕樹 そうですね。
明治の日に関しては日を改めて紹介することになりますので、今しばらくお待ちください。
ぴーち おはようございます!
そうですね。
ここまで明治天皇のお人柄について
僅かながら、知識を深める事が出来た事に感謝しますm(__)m
人の痛みをしっかり自分の事のように
感じ取れるということは、一国を統括する者の資質としては無くてはならない要素だと思います。
その資質を明治天皇は、しっかりと学び、身に着けていらっしゃられたからこそ、人望が殊更厚かったのかも知れませんね。
最近TOYOTAのCMキャッチコピーで「権力よりも愛」という文句が掲げられていますが、この文句に惹かれました。
権力ばかりを振りかざすよりも、人として相手を
思う気持ちに長けた生き方を目指して行きたいものです。
勿論、明治天皇にも欠点というのはあったかも知れませんが、総じて人として尊敬に値する人物であったことは間違いなかったのでしょう。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
国内でのひいき目を差し引いたシビアな結果が出る海外での評価こそが、明治天皇のお人柄を表しているのでしょう。
だからこそ、国内においても国民の自主的な運動が盛り上がりを見せるのです。
当時の日本国民にとって明治天皇の大喪の日であった9月13日は大いなる悲しみの一日でしたが、そのうえもう一つの大きなショックを受けることになってしまいました。なぜなら、この日に明治天皇のご信任(しんにん)が厚(あつ)かった陸軍大将(りくぐんたいしょう)の乃木希典(のぎまれすけ)が陛下の後(あと)を追うように夫妻ともに自刃したからです。
乃木大将は日露戦争での旅順攻略戦(りょじゅんこうりゃくせん)で多くの部下(ぶか)を死に追いやったことを深く自責(じせき)しており、明治天皇への戦後の報告の後(のち)に自刃しようとしましたが、それを察(さっ)せられた陛下から「今はその時ではない。どうしてもというのであれば、朕が世を去(さ)りたる後にせよ」とのお言葉を賜りました。
乃木大将はその後陛下より与えられた学習院長(がくしゅういんちょう)としての職責(しょくせき)と、皇孫殿下(こうそんでんか、後の昭和天皇)のご教育という重責を果たした後、明治天皇の崩御に接(せっ)して潔(いさぎよ)く殉死(じゅんし)の道を選んだのです。





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ぴーち こんばんは!
願わくば、乃木将軍には天寿を全うしていただきたかったですね。
深く自責の念があったのなら尚更、
生きることを選択し、自分が殺めた人間達の
供養に専従していただきたかったです。
自刃をするということは、自ら犯した責任を放棄してしまう意味でもありますからね。
応援凸
乃木将軍
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
乃木将軍は、日露戦争の旅順攻略の時、
2人の息子も亡くし、自分も死ぬ気だったと
思います。
そう考えると、乃木大将は、明治天皇にたいする殉死は、明治天皇によって、延ばしてもらった命だったという気持ちがあったのではないでしょうか。(既に盟友児玉源太郎もこの世にはなく。)
昔、司馬遼太郎の『明治という国家』という本を読んだのですが、
明治とは、大正・昭和とは、全く、違う国家だったとあらためて、感じました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かにそういえますね。
責任の取り方は色々ありますが、生きてこそという思いもあります。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
大正、昭和(そして平成)は明治の御代あってこそでしたからね。
ぴーち >生きてこそという思いがあります
ありがとうございます。
きっと乃木将軍にとっては、生きることは
死を選ぶことよりも、辛い選択だったと思います。その辛い選択の方を諦めてしまった事は
非常に悔やまれます。
今、この国の自殺者が異常な程に多いという現実を考えると
そこには様々な理由が存在するとは思いますが、
それでも何かの責任を取るために自らの命を捧げるという考え方は人間の驕りに他ならないと思いますね。
けれど、もしも乃木将軍が自殺をすることに対して、死んだ後、地獄の苦しみを味わう事を承知であったとしたら・・。
自らを深く戒める事で許しを請うつもりでいたのかも知れません。
それでも、それでは殺された者も、乃木将軍も苦しみ続けるばかりで浮かばれません。互いの幸せを願うのなら、やはり少しでも長く生きて、懇ろに供養するという選択のほうが最良だったはずと思いますね。
ここまで、諄い程にコメントを差し上げてしまい
失礼致しましたm(__)m
応援凸
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 これは非常に大きな問題でもありますね。
現代の考えでは自殺の勧めなど絶対に許されませんし、できるはずがありません。
100年前の我が国でもやはり同じではなかったのではないか…。
生命の大切さを学ぶには大きな教訓になるのではと思います。
ありがとうございます。
カラリストりんこ 今年も残りわずかですね。
いつも興味深く読ませて頂いております。
大変お世話になりました。
また来年も、楽しみに読ませて頂きますね(^o^)
当ブログへも、来て頂いて大変感謝いたしております。
ありがとうございます。
よいお年をお迎え下さいませ

2013年が黒田さまにとって素敵な一年になりますようにお祈り申し上げます。
ありがとうございます。
応援ポチさせて頂きますね(^o^)
ではでは・・・・
カラリストりんこさんへ
黒田裕樹 こちらこそお世話になり、ありがとうございます。
来年もぜひよろしくお願いいたします。
翌々日の7月20日には陛下のご不例(ふれい、この場合は天皇のご病気のこと)が国民に公表され、日本国内は憂色(ゆうしょく)に包(つつ)まれました。多くの国民が陛下のご平癒(へいゆ)を願って続々と皇居に集まったほか、全国の神社や仏閣(ぶっかく)でもご病気平癒の祈願(きがん)が行われました。
しかし、明治天皇のご病状(びょうじょう)は悪化する一方で、ご持病(じびょう)であった糖尿病(とうにょうびょう)に加えて26日には尿毒症(にょうどくしょう)を併発(へいはつ)され、容易(ようい)ならぬご重態(じゅうたい)となられました。
多くの国民の祈りもむなしく、明治天皇は同年7月30日午前0時43分に61歳(満年齢59歳)で崩御されました。陛下の崩御を受けて、皇太子嘉仁親王(よしひとしんのう)が直ちに践祚されて第123代天皇(=大正天皇)となられ、元号(げんごう)も大正(たいしょう)に改(あらた)まりました。





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ぴーち こんばんは!
今でこそ糖尿病患者さんは、石を投げたら
直ぐに当たるくらい多くなってしまいましたが、
この当時はまだ珍しい病であったのでは無いでしょうか。糖尿病を悪化させる最大要因はストレスだと言いますので、やはり相当な心労とストレスを抱えていらっしゃったのでしょうね・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 明治天皇はご酒をお飲みになるのがお好きでいらっしゃいました。
糖尿病になられてからはワインを中心にお飲みになられたそうですが、仰るとおり相当なストレスがあったと思われます。
帰国当日、ロシア側から「天皇を軍艦に招待(しょうたい)したい」との申し出がありましたが、これが我が国側で大問題になりました。なぜなら、大津事件の報復として軍艦が明治天皇を乗せたまま出航(しゅっこう)する可能性(かのうせい)もあったからです。万が一にも陛下が拉致(らち)されるようなことがあっては取り返しがつきません。
しかし、明治天皇は「ロシアは先進文明国だから皆(みな)が心配するようなことをするはずがない」とご自身のご意思で軍艦へと行幸(ぎょうこう、天皇が外出されること)され、ロシア側の大歓待(かんたい)をお受けになられただけでなく、普段(ふだん)はそのようなご習慣(しゅうかん)がないにもかかわらず煙草(たばこ)入れをご持参(じさん)なさり、お自ら皇太子に煙草をお勧(すす)めなさったそうです。
大津事件と言えば「我が国における司法権(しほうけん)の独立を守った」ことで有名ですが、その陰には明治天皇のご誠実かつご迅速(じんそく)なご対応(たいおう)が相手の心を開かせ、結果として我が国存亡の危機を未然(みぜん)に防いだという事実も私たちは決して忘(わす)れてはならないでしょう。
※以下のニコニコ動画は平成24年12月24日更新分「大津事件での誠実なご対応 その1」~今回更新分「大津事件での誠実なご対応 その2」をまとめて映像化したものです。





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ぴーち こんばんは!
そうですか・・
お話を伺っているだけでも
心温まるエピソードですね^^
相手を深く知るには、時に大胆にも
相手の懐に入る覚悟も必要ですね!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
明治天皇の懐のお深さは国家元首としてのみならず、我が国伝統の皇室のご存在そのものだと思います。
明治天皇は国家の存亡(そんぼう)を懸(か)けた日清・日露両戦争において英邁(えいまい、人格や才知が特別にすぐれていること)なる元首として堂々とお振(ふ)る舞(ま)いなさいましたが、それ以外の突発的(とっぱつてき)な危機に際しても大御心をお示しになられました。
両戦争より前の明治24(1891)年、来日中のロシア皇太子ニコライ(後のニコライ二世)が滋賀県(しがけん)の大津(おおつ)で警備(けいび)を担当(たんとう)していた巡査(じゅんさ)の津田三蔵(つださんぞう)に斬(き)り付けられるという事件が起きました(大津事件)。
日清戦争すら経験していなかった当時の我が国にとって、皇太子が負傷(ふしょう)した報復(ほうふく)としてロシアが攻(せ)め込んでくるのではないかという恐怖感(きょうふかん)は現代の私たちが想像もつかないほど大きく、政府ですら周章狼狽(しゅうしょうろうばい、大いにあわててうろたえ騒ぐこと)する有様(ありさま)でした。
そんな国家存亡の危機に際して、明治天皇のご行動は実に機敏(きびん)でした。事件の一報(いっぽう)が皇居(こうきょ)に伝わるや、陛下は翌朝直(ただ)ちに列車でご移動され、その日のうちに京都へお着きになると翌日にはお自ら皇太子のニコライをお見舞いされたのです。





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ぴーち こんにちは!
なるほど、自国側に否が認められたら
直ぐ様出向いて謝罪する気持ち。
潔いですし、けじめとしては一番大切な
事ですものね。
そういう一つひとつの人間としての基本的な
通りを弁えて行動する事が、高い信用を得る材料となり、この国の危機を掬ってくれていたのですね。改めて日本の顔となる人物には
人間として恥じない生き方をされている方に
先導して行っていただきたい思いを新たにしました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
明治天皇の迅速なご行動が我が国存亡の危機を救われることになりますが、次回(25日)の更新でもう少し詳しく紹介したいと思います。
クラチー 遅くなりましたが、310000HITおめでとうございます!
どひゃー、凄い~!
(@皿@)
明治天皇とニコライ二世にそんな繋がりが…。
外国人にも優しい天皇陛下、素敵ですねぇ。
(*>w<*)
クラチーさんへ
黒田裕樹 有難うございますm(_ _)m
仰るとおり、皇族同士の深いつながりがあったんですよね。
意外と知られていないエピソードでもあります。
「いさましく 進みすすみて くにのため たふれし人の おほくもあるかな」(明治37年)
陛下の大御心は現地の兵士のみならず国民一人ひとりまでに及ぶと同時に、多くの兵士が毎日のように尊(とうと)い命を散らしていくことを大変悲しまれておられました。戦争前には黒々としていた御髪(おぐし)も、戦争中にめっきり白くなられてしまわれたということです。
「さまざまに もの思ひこし ふたとせは あまたの年を 経(へ)しここちする」(明治38年)
やがて我が国は大変な苦労を重ねながら大国ロシアを相手に辛(から)くも勝利を収(おさ)めることができました。以下の御製は東郷平八郎(とうごうへいはちろう)連合艦隊司令長官(れんごうかんたいしれいちょうかん)による横浜沖(よこはまおき)での凱旋観艦式(がいせんかんかんしき)を思われて詠まれたものです。
「いさましく かちどきあけて 沖つ浪(なみ) かへりし船を 見るぞうれしき」(明治39年=1906年)
これらのように、明治天皇は将兵の労苦と常に共にあろうとするお気持ちをことある毎に示されておられました。我が国が明治期の数々の困難(こんなん)な戦争を勝ち抜(ぬ)くことができたのも、一兵卒(いっぺいそつ)までが陛下の大御心に触(ふ)れたり、また伝え聞いたりしたことによって勇気百倍し、それぞれが獅子奮迅(ししふんじん、獅子がふるい立って暴れまわるように激しい勢いで物事に対処すること)の働(はたら)きを見せたからではないでしょうか。
※以下のニコニコ動画は平成24年12月19日更新分「戦時における陛下の大御心 その1」~今回更新分「戦時における陛下の大御心 その5」をまとめて映像化したものです。





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ぴーち そうですよね。
家族だとてそうだと思います。
親元を離れ、社会の荒波に
揉まれ、子供は苦難を乗り越えていくものですが、
たとえ遠くに離れていようが、自分を
いつも暖かく見守ってくれている
親や家族が居るというだけでも
心が落ち着くものですし、そういう拠り所が
有ると無いとでは、その人の人生は
随分と変わって来ると思います。
精神的に常に落ち着いて行動することは
成功出来る人生の大きな要因でもあるように
自分にとって心の拠り所がある事は
それだけで心強く、精神的に路頭に
迷うことが無くなるという事だと思いますからね。
応援凸
オバrev 陛下の国をそして国民を思うお気持ちは、何があっても揺るぎなく、ぶれない、強いものだということがよく分かります。
ポピュリズムに走り、軸がぶれまくっている某政党(複数)の混乱を見ていると、政治家にも国のために芯がしっかりしてぶれないことが求められているように思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、精神的な拠り所の存在の大きさを実感します。
日本国民の、そして兵士の一人ひとりが陛下の大御心を支えとして苦境に立ち向かい、結果として我が国を繁栄に導いていく。
現代にもつながる教訓だと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
来るべき新政権には「国益」を第一に考え、我が国発展のためにぶれずに行動を続けてほしいものですね。
「さ夜(よ)ふかく ゆめをさまして さらにまた 軍(いくさ)のうへを おもひつづけぬ」(明治37年)
「ゆくすゑは いかになるかと 暁(あかつき)の ねざめねざめに 世をおもふかな」(明治38年=1905年)
戦地のことが気になられて満足にご就寝(しゅうしん)がお出来(でき)にならないご様子がうかがえます。
「しぐれして 寒き朝かな 軍人(いくさびと) すすむ山路(やまじ)は 雪やふるらむ」(明治37年)
「ふる雪も またれざりけり つはものの ※たむろの寒さ おもふ今年は」(明治38年) ※たむろ=陣営のこと
日清戦争における広島の大本営と同様に、明治天皇は現地の兵士とお心を共にしたいという思(おぼ)し召しから開戦と同時にストーブを焚(た)くことをおやめになられたそうです。





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オバrev あるセミナーで、日々の一挙手一投足が人格を作るということを言われましたが、それを思いましました。
天皇家の方々の持っておられる気品といいますかオーラは、やはり一朝一夕に作られたものではないのですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
皇居での勤労奉仕で陛下がお越しになられると、そのオーラに圧倒されて何もできなくなってしまうらしいですからね。我々常人ではありえない気品をお持ちなのでしょう。
ぴーち こんばんは!
今日は奇しくも天皇誕生日ですね。
お昼の番組で、今上天皇が被災された
方達の事を思い、ご自分でも心臓の病を
押してまでも被災地をご訪問し、労いの
お言葉を掛けられているお姿をテレビは
写していましたが、やはり自分の命を削られながらも、この国の国民の事を一番に案じて
いらっしゃるお気持ちは、非常に慈悲深く
そのお気持ちを私達ももっと知るべきだと
思いましたね・・。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 昨日(23日)は仰るとおり天皇誕生日でしたね。私も近くの記念式典に参加してきました。
陛下の慈悲深いお気持ちは、今上陛下も明治天皇も、もちろん他の陛下の皆様も全く同じです。
一部の国民が陛下のお優しさを理解していないのは悲しいですね…。