「皇(=天皇)は海の彼方(かなた)にいながらも良く人民を治め、国内は安楽(あんらく)で、深い至誠(しせい、この上なく誠実なこと)の心が見受けられる」。
朝貢外交にありがちな高圧的(こうあつてき)な文言(もんごん)が見られないばかりか、丁寧(ていねい)な文面(ぶんめん)で我が国を褒(ほ)める内容にもなっていますね。
この国書が意味することは非常に重要です。つまり、聖徳太子のように終始ぶれることなく対等外交を進めたように、国の支配者が相手国に対して主張すべきことは主張する態度を堂々と貫けば、たとえ世界の超大国を自負(じふ)する隋であっても、まともに応じてくれることを示しているのです。
一方、隋からの激しい攻撃をはね返しながらも朝貢外交を続けた高句麗に対して、隋は「いつでもお前の首をすげかえられるが、皇帝たる自分にそのような面倒をかけるな」と一方的に突(つ)き放した内容の国書を送りつけています。悲しいかな、これも歴史の真実なんですよね。





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晴雨堂ミカエル 小中学生時代に授業で習った事に納得できなかった要素をまさに黒田氏は解説してくれました。
聖徳太子の政治手腕を評価しない授業内容で、隋に対する「不遜な国書」にしても、エピソードを並べるだけ。教師は国際社会音痴の行動、たまたま隋の皇帝が「骨のある奴」と思ったから難を逃れた、という解釈でした。乱暴な解釈と思ったものです。
ただ当時は教師と生徒の関係であり、私には教師に反論できるだけの資料を持っていませんでした。すべては私の解釈でしたから。
隋が日本を攻めなかった理由。
晴雨堂ミカエル 付け加えると、隋は後に唐にとって変わられたように、内政基盤はけっして磐石ではありません。
しかも伝統的に北方や西域の遊牧民との紛争が慢性的に続いており、常に軍隊を万里の長城などに張り付かせておかねばなりません。
高句麗は隋から見れば北方蛮族、しかもまとまった国家で武力も強い。高句麗遠征での出費は莫大。朝貢してきても、いつ裏切るか判らない。
軍費に頭を痛めている隋にとっても、対等外交をしかけた日本は少なくとも今は敵にならないし、顔を立ててやれば逆に隋の味方になるかもしれない計算があったのではないか。
これは私の推測ですが日中両国の外交官が現場で示しあわせて、非公式に日本をたてる事で丸く収めたのではないかと思います。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと私も思います。
聖徳太子の凄みがよく分かりますね。
ぴーち おはようございます!
聖徳太子と隋の斐世清とのやり取りとは別に
人は基本的に誠意があり、且つはっきりとした態度でしかも明確な意見を申し出た相手の意見には
こちらも真摯な態度で接しなければならないという本能的な気持ちが誰氏も芽生えるものだと思います。
逆に煮え切らなく的を得ない、のらりくらりとした、下手に出るような態度で話を持ちかけられたら、
その相手にはこちらも適当にあしらうしか無いと判断する事でしょう。
自信ある態度を示し、堂々と意見を述べるという直球勝負も外交には特に重要な要素だと思いますね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、確かにそのとおりですね。
煮え切らない態度は相手にも自分にも何の得もないようです。
外交での直球勝負は重要ですね。