そんな状況のなかで無理をして我が国へ攻め込んで、もし失敗すれば国家の存亡(そんぼう)にかかわるダメージを与えかねないことが煬帝をためらわせましたし、何よりも我が国が高句麗や百済と同盟を結んでいることが煬帝には大きな足かせになっていました。
それに加え、隋が我が国を攻めようとすれば、同盟国である高句麗や百済が黙っていません。それどころか、逆に三国が連合して隋に反撃(はんげき)する可能性も十分に考えられますから、そうなればいかに大国隋といえども苦しい戦いになることは目に見えていました。
つまり、隋が我が国を攻めようにもリスクがあまりにも高すぎるためにできないのです。従って、国書の受け取りを拒否(きょひ)して我が国と敵対関係になるという選択(せんたく)は不可能でした。だとすれば我が国からの国書を黙って受け取るしか方法がありませんが、その行為は我が国が隋と対等外交を結ぶことを事実上認めることを意味していたのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます!
蘇我氏のお話でもそうですが、
ここでもがっちりとガードを固めて
絶対安全だということを確信してからの
大勝負に打って出たという所でしょうか^^
常に冷静な判断を心がけていると
きっと、機が熟した頃合いも見分けられるのでしょうね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > ここでもがっちりとガードを固めて
> 絶対安全だということを確信してからの
> 大勝負に打って出たという所でしょうか^^
さすがに鋭いですね。
今後の展開で明らかになります。
> 常に冷静な判断を心がけていると
> きっと、機が熟した頃合いも見分けられるのでしょうね。
仰るとおり、冷静さを見失うと見えるものも見えなくなってしまいますからね。