まず蘇我氏を冠位十二階から除外(じょがい)したということは、逆に言えば蘇我氏に対抗(たいこう)できるだけの人材を育成できるルートを新たに作ったことになります。また、その位は12段階に細(こま)かく分かれていますから誰(だれ)が見ても明確かつ客観的(きゃっかんてき)です。これらによって、長い目で見れば蘇我氏の勢力を圧倒(あっとう)できるだけの、しかも出世した優秀な人材のみをそろえることが出来るようになるのです。
さらに蘇我氏の立場で考えてみましょう。聖徳太子から「あなたは特別だから冠位十二階の位は授けませんよ」と言われれば、確かに自分の方が下であると認めるわけにはいきませんから、聖徳太子の深慮遠謀(しんりょえんぼう、先々のことまで考えた深いはかりごとのこと)に気付いたとしても首を縦(たて)に振(ふ)らざるを得ません。
そうこうしているうちに聖徳太子が朝廷での人事権を握(にぎ)って自身が抜擢(ばってき)してきた優秀な若者をどんどん増やしていけば、蘇我氏としては自分の影響力が少しずつ削(けず)られていくのを、それこそ指をくわえて黙(だま)って見ているしかないのです。
おそらくは蘇我氏も地団駄(じだんだ)を踏んで悔(くや)しがったことでしょう。それにしても、オモテの世界で堂々と大義名分(たいぎめいぶん)を述(の)べながらウラでは蘇我氏打倒(だとう)のために色々と策謀(さくぼう)を練(ね)り続けるという、聖徳太子の優秀な政治家としての顔を垣間見(かいまみ)ることが出来るエピソードですね。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 中学の授業で、蘇我氏の存在があまりに巨大であったために官位十二階に組み込むことができなかった、と教えられました。
しかし超大国隋との対等外交を推し進めたり、朝鮮半島情勢にも目を光らせ、太子でありながら御位に就かず摂政として朝廷の実権を握るほどの人物が、蘇我氏にはなすがままとは考えられませんでした。
黒田氏の説明なら納得できます。
ぴーち おはようございます!
なるほど、相手の欲望をバッサリ奪うのではなく、今蘇我氏が一番欲しがっているものは何かをよく検討し、逆にそれを与え、尚且つプライドをも傷つけずに相手を立てながら、己の計画も着実に達成していく・・。
やはり、人間の心理や物事の通りをちゃんと知り尽くしていた人物だったのですね。
応援凸
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 「(自分たちが捏造した)規定どおりのことしか教えない」学校教育の悪弊の一つですね。
少し頭をひねれば生徒にも理解できる内容のはずですが…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
聖徳太子のしたたかさはこれだけではありません。今後の彼の行動に対して私たちはさらに舌を巻くことになるでしょう。
『冠位十二階』の外交的側面について
nanashi こんにちは。とある古代史家の端くれ者です。
「冠位十二階」の制定の目的が、内政の面からいえば、「冠位を授与することができる唯一の存在」として、冠位という秩序に超越する王権(天皇)の権威を確立することにあったのは間違いないでしょう。
しかし一方で、「冠位十二階」の制定が、外交的側面においても大きな役割を果たした(というよりも、外交を行うためには冠位制が不可欠な要素であった)ことはほとんど授業では教えられていません。
当時の朝鮮半島、例えば百済では、一品官の『佐平』に始まる十六等の体系的な官位制が整備されていました。
しかしこの百済と外交を行うにあたって、相互の尊卑が制度化されていない(見掛け上は横一列の)、日本の伝統的な「カバネ」秩序では、外国からやってきた使者に対して、誰が応対すれば良いのかわかりません。
通常、外交では、「首脳会談」「外相会談」というように、各国の同ランク(ここでは『大臣』クラス)の人間の間で交渉が行われますが、当時の日本の制度化(ランク付け)されていない「カバネ」制のままでは、体系化された官位制をもつ朝鮮三国との交渉の際に支障が出るのです。
このような観点から見ると冠位十二階は、単なる内政的な問題からのみ生れたのではなく、外交を行うにあたって、当時の東アジア諸国でスタンダードとなっていた「官位制」を取り込む必要性が生れた所に、その端緒を見ることもできるのです。
まだまだ書き足りないところが多くあるのですが、以上極々簡単ですが、『冠位十二階』の外交的側面について、書かせていただきました。
nanashiさんへ
黒田裕樹 なるほど、冠位十二階には外交的にも大きな意義があったというわけですね。
大変貴重なご見解を有難うございました。