この事実はそれまで朝鮮半島(ちょうせんはんとう)で独立(どくりつ)を保っていた高句麗(こうくり)・百済(くだら)・新羅(しらぎ)の各国のみならず、我が国にも大きな衝撃(しょうげき)を与えました。なぜなら新(あら)たなる統一国家である隋の誕生によって、大陸の内に向けられていた巨大なエネルギーが外へ押し出されることとなり、東アジアの政治情勢(せいじじょうせい)が非常に微妙(びみょう)になってしまったからです。
果たして隋は陸続きの高句麗に積極的に遠征(えんせい)して国力(こくりょく)を高めようとしました。一度は隋の攻撃(こうげき)をはね返した高句麗でしたが、依然(いぜん)として危機にあることに変わりはありません。
隋の動向(どうこう)によっては朝鮮半島がすべて侵略(しんりゃく)されるばかりか、我が国にも攻(せ)め寄(よ)せる可能性が十分考えられました。もしそうなればまさに亡国(ぼうこく)の危機となることから、我が国は外交面においても非常に難(むずか)しい立場に追い込(こ)まれてしまっていたのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 韓国の右翼は、高句麗の旧領の領有権を主張しているようですね。南満州から沿海州にかけて。
ぴーち おはようございます!
なるほど、随の勢力が強かったからこそ
我が国も亡国の危機を逃れる為の対策がなされたわけですね。いくら海を隔てた所であっても
中国大陸はお隣の国。
「対岸の火事」だと安心はしていられませんものね(^_^;)
応援凸
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 聖徳太子とは直接的に無関係ですが、好太王(広開土王)の碑の存在を考えても高句麗の領土が南満州や沿海州あたりまで広がっていた可能性が高いですからね。
もっとも、当時の高句麗と現在の朝鮮民族との関連性の有無といった問題もあるかもしれませんが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、海を隔てた大国の存在が我が国の存亡に大きくかかわるようになってしまったのです。
海があるからといって安心することなく、速やかな「次の一手」を考える。これぞ政治ですよね。