このように身分の上位の人間が下位の人間に対して自分の名前の一部を与えることを偏諱(へんき)といいます(なお、それまで名乗っていた高氏の「高」は、北条高時から同じように偏諱を受けていました)。天皇が身分の低い者、ましてや「ケガレた者」として虫けらのような存在であった武士に対して偏諱を受けさせるのは空前絶後(くうぜんぜつご、過去にも例がなく、将来もありえないと思われること)のことでした。
しかし、尊氏が本当に欲しかったのは征夷大将軍の地位であり、目指していたのは「武士のための政治」を自分が行うことでした。源義家の血を引く武家の名門の子孫である自分自身こそが、北条氏に代わって政治の実権を握るにふさわしいと考えていたのです。
そんな折、1335年に北条高時の子の北条時行(ほうじょうときゆき)が関東で中先代の乱(なかせんだいのらん)を起こし、一時期は鎌倉を占領(せんりょう)しました。尊氏は乱の鎮圧(ちんあつ)を口実(こうじつ)に後醍醐天皇の許可を得ないまま鎌倉へ向かって時行軍を追い出すことに成功すると、そのまま鎌倉に留(とど)まって独自に恩賞を与え始めるなど、後醍醐天皇から離反(りはん)する姿勢を明らかにしました。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます!
足利尊氏は、北条氏に仕えていた時から
ずっと面従腹背の姿勢を崩さずに、立身出世を目指して来たのですね。
虎の威を刈る狐の如く見えるのは私だけでしょうか。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 尊氏にはもちろん尊氏の考えもあったでしょうが、仰るようなイメージがどうしてもついて回りますね。
結局は後醍醐天皇をも裏切ることになるのですが、このあたりも尊氏の印象を損ねてしまっているようです。
意外でした
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
足利尊氏が、偏諱を受けたのは、武士として
過去に例がないというのは、驚きました。
ということは、
太政大臣にもなった平清盛
征夷大将軍になった源頼朝
も偏諱は、なかったのですか。
ということは
ケガレタ存在の武士には、官位を与えることは
あったも、偏諱はなかったのですね。
よく、考えたら、織田信長、徳川家康、徳川歴代将軍も天皇からの偏諱は、受けてませんね。
後醍醐天皇の足利高氏への信頼は、絶大で、
まさに、愛情に近いものだったのですね。
青田さんへ
黒田裕樹 皇族将軍の宗尊親王から諱を受けた北条時宗のような例はありますが、時の天皇から直接受けた武士としては尊氏だけですね。
それだけに、後醍醐天皇を裏切ったことが特に戦前までにおいては悪評の原因となってしまっているのが何とも言えません。
ててててっちゃん 足利高氏が尊氏となったとは知りませんでした。
なかなか興味深いですな。
ててててっちゃんさんへ
黒田裕樹 高氏から尊氏への改名はあまり知られていませんからね。
後醍醐天皇の期待度の大きさがうかがえますが、それだけに裏切ってしまうとなると…。