平安時代の頃には、それまでの公地公民(こうちこうみん)の原則が完全に崩壊(ほうかい)して荘園制度が全盛期を迎(むか)えていましたが、この制度には大きな欠陥がありました。それは、荘園の所有が上流貴族や寺社のみに認められていたということです。
実際に田畑を耕(たがや)しているのは他ならぬ武士たちなのですが、朝廷は彼らの所有を認めようとしませんでした。困った武士たちは、仕方なく摂関家などの有力者に土地の名義を移し、自らは「管理人」の立場となりましたが、これほど不安定な制度はありません。
「自ら開墾(かいこん)した土地は自らの手で堂々と所有したい」。武士たちはいつしかこうした切実な願いを持つようになりましたが、武士の心の内が理解できない貴族たちによって政治が行われている以上は、その願いは叶(かな)えられそうもありませんでした。
そんな折(おり)に平家が政治の実権を握ることに成功したことで、自分たちと同じ武士である平家であれば必ずや「武士のための政治」を実現してくれるに違いない、と全国の武士たちが期待したのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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オバrev なるほど~!このシステムに手を付けなかったことで失望と反感を買ったんですね。
でも清盛が、それを分かってなかったとは思えませんけど、
それとも分かった上で、あえて手を付けなかったんでしょうかね?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど~!このシステムに手を付けなかったことで失望と反感を買ったんですね。
鋭いですね(^^ゞ
果たしてご推察どおりなのか、次回(24日)には分かりますよ。
> でも清盛が、それを分かってなかったとは思えませんけど、
> それとも分かった上で、あえて手を付けなかったんでしょうかね?
さぁ、どうでしょうか?
これも次回(24日)にはっきりしますね。
ぴーち おはようございます!
平家が政権を握った事で、当然「武士の味方」であるはず。平家なら必ず武士の悩みを聞いてくれるはずと勝手に思い込んだのは、武士の方で、平家はその事については何も宣言していないのなら、それは全面的に平家の落ち度でも無いように思いますが・・・
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 その一方で現場の武士たちは、当然自分たちの思いがかなえられるからと信じ込んでいるからこそ平家の政権樹立に協力しました。ということは、今の政治家のようにマニフェストを公表して票を集めるような形式をとっていなくとも、彼ら武士の意向を無視してはやはり政権が成り立たなくなるのです。この流れについては次回(24日)の更新で詳しく紹介します。
またそれとは別に「平家の落ち度」でない原因も確かにありました。それについても今後の更新で明らかにしていきます。
なおまゆ こんばんわ。
いつも有難うございます。
土地制度を追っかけていけば、日本史は分かりやすいでよね。なかなか、そのような授業はできないのでしょうが・・・・。
先生のブログを読むと、本当に歴史の流れが良く分かり、人物も分かりやすいので娘にも好評です。助かってます。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 土地制度は人間の生活の根幹をなしますからね。そういえば明治時代の地租改正も大事業でした。
お言葉有難うございます。少しでも多くの皆様にブログをご覧いいただけるようになりたいですね。